春秋左氏伝 / 文公十七年 大国の間に居りて
文公二年,六月,壬申,朝于齊。四年,二月,壬戌,為齊侵蔡,亦獲成於楚。居大國之間,而從於強令,豈其罪也。大國若弗圖,無所逃命。」晉鞏朔行成於鄭。趙穿,公婿池,為質焉。秋,周甘歜敗戎于邥垂,乘其飲酒也,冬,十月,鄭大子夷,石楚,為質于晉,襄仲如齊,拜穀之盟,復曰,臣聞齊人將食魯之麥,以臣觀之,將不能。齊君之語偷,臧文仲有言曰,民主偷必死,
新字:文公二年,六月,壬申,朝于斉。四年,二月,壬戌,為斉侵蔡,亦獲成於楚。居大国之間,而従於強令,豈其罪也。大国若弗図,無所逃命。」晋鞏朔行成於鄭。趙穿,公婿池,為質焉。秋,周甘歜敗戎于邥垂,乗其飲酒也,冬,十月,鄭大子夷,石楚,為質于晋,襄仲如斉,拝穀之盟,復曰,臣聞斉人将食魯之麦,以臣観之,将不能。斉君之語偸,臧文仲有言曰,民主偸必死,
書き下し
文公の二年、六月、壬申、齊に朝す。四年、二月、壬戌、齊の為に蔡を侵し、亦た成を楚に獲たり。大國の間に居りて、強令に從ふ、豈に其の罪ならんや。大國若し圖らずんば、命を逃るる所無し」と。晉の鞏朔成を鄭に行ふ。趙穿・公婿池、質と為る。秋、周の甘歜戎を邥垂に敗る、其の飲酒に乘ずるなり。冬、十月、鄭の大子夷・石楚、晉に質と為る。襄仲齊に如き、穀の盟を拜す。復(かへ)りて曰く、「臣聞く、齊人將に魯の麥を食まんとすと。臣を以って之を觀るに、將に能はざらんとす。齊君の語偸(かりそめ)なり。臧文仲言へる有りて曰く、『民の主偸なれば必ず死す』と」。
現代語訳
先代の鄭の文公の二年六月壬申には、斉に朝見しました。四年二月壬戌には、斉のために蔡を侵しましたが、それでも楚とも講和を得ました。大国のはざまにあって、強い命令に従わざるを得ないのは、どうして我が国の罪でありましょうか。大国がもしこの事情を汲んでくださらないなら、我々はご命令から逃れるすべがありません」。晋の鞏朔が鄭に行って講和を結んだ。晋の趙穿と公婿池が人質として鄭に入った。秋、周の甘歜が戎を邥垂で破った。戎が酒を飲んでいる隙に乗じたのである。冬十月、鄭の太子夷と石楚が人質として晋に入った。襄仲は斉に行き、穀での盟約の礼を述べた。帰国して報告した。「斉の人は魯の麦を食べに来る、つまり麦の実る頃に魯を攻めるつもりだと聞いておりました。しかし私の見るところ、それはできないでしょう。斉君の言葉は場当たりで、いい加減です。臧文仲に『民の主たる者が場当たりであれば、必ず死ぬ』という言葉があります」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』文公十七年 子家、書を趙宣子に与う春、晉の荀林父・衛の孔達・陳の公孫寧・鄭の石楚、宋を伐ちて、討めて曰く、「何の故に君を弒す」と。猶ほ文公を立てて還る。卿書せざるは、其の所を失へばなり。夏、四月、癸亥、聲姜を葬る。齊の難有り、是を以って緩し。齊侯我が北鄙を伐つ、襄仲盟を請ふ。六月、穀に盟ふ。晉侯黃父に蒐し、遂に復た諸侯を扈に合す、宋を平らぐるなり。公會に與らず、齊の難の故なり。書に「諸侯」と曰ふは、功無ければなり。是に於いて晉侯鄭伯に見えず、以って楚に貳すと為すなり。鄭の子家執訊をして之に書を與へしめ、以って趙宣子に告げて、曰く、「寡君位に即きて三年、蔡侯を召して之と君に事ふ。九月、蔡侯敝邑に入りて以って行く。敝邑侯宣多の難を以って、寡君是を以って蔡侯と偕にするを得ず。十一月、克く侯宣多を減じて、蔡侯に隨ひて以って執事に朝す。十二年、六月、歸生寡君の嫡夷を佐けて、以って陳侯を楚に請ひて、諸を君に朝せしむ。十四年、七月、寡君又朝し、以って陳の事を蕆(を)ふ。
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『春秋左氏伝』襄公二十二年 子産、晋の徴朝に対う二十二年春、臧武仲晉に如く。雨ふる。御叔に過(よぎ)る。御叔其の邑に在り、將に酒を飲まんとす。曰く、「焉んぞ聖人を用ゐん。我は將に酒を飲まんとするのみ。雨に行く、何ぞ聖を以って為さん」と。穆叔之を聞きて曰く、「使ふ可からざるなり。而も使人に傲る、國の蠹なり」と。其の賦を倍せしむ。夏、晉人朝を鄭に徵す。鄭人少正公孫僑をして對へしめて曰く、「晉の先君悼公の九年に在りて、我が寡君是に於いて位に即く。位に即きて八月にして、我が先大夫子駟、寡君に從ひて以って執事に朝す。執事寡君に禮せず。寡君懼る。是の行に因りて、我が二年六月、楚に朝す。晉是を以って戲の役有り。楚人猶ほ競ひて禮を敝邑に申ぶ。敝邑執事に從はんと欲すれども、大尤と為らんことを懼る。曰く、『晉其れ我を有禮に共せずと謂はん』と。是を以って敢へて楚に攜貳せず。我が四年三月、先大夫子蟜又寡君に從ひて以って釁を楚に觀る。晉是に於いてか蕭魚の役有り。我が敝邑を謂ふ、『晉國に邇く在り。諸を草木に譬ふれば、吾が臭味なり。而るに何ぞ敢へて差池せん』と。楚も亦た競はず。寡君其の土實を盡し、之に重ぬるに宗器を以ってし、以って齊盟を受く。遂に群臣を帥ゐて執事に隨ひ、以って歲終に會す。楚に貳する者、子侯・石盂は、歸りて之を討ず。溴梁の明年、子蟜老いたり。公孫夏寡君に從ひて以って君に朝し、嘗酎に見え、燔を執るに與る。間くこと二年、君將に東夏を靖んぜんとすと聞く。
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『春秋左氏伝』襄公二十二年 貴にして能く貧し四月、又朝して以って事を聽く。不朝の間を期するも、歲として聘せざる無く、役として從はざる無し。大國の政令の常無きを以って、國家罷病し、不虞荐(しき)りに至り、日として惕(おそ)れざる無し。豈に敢へて職を忘れんや。大國若し之を安定せば、其れ朝夕庭に在らん、何ぞ命を辱くせん。若し其の患を恤へずして、以って口實と為さば、其れ乃ち命に任ふるに堪へずして、翦りて仇讎と為る無からんや。敝邑是れを懼る。其れ敢へて君の命を忘れんや。諸を執事に委ぬ。執事實に重ねて之を圖れ」と。秋、欒盈楚より齊に適く。晏平仲齊侯に言ひて曰く、「商任の會に、命を晉に受けたり。今欒氏を納る、將た安んぞ之を用ゐん。小の大に事ふる所以は、信なり。信を失へば立たず。君其れ之を圖れ」と。聽かず。退きて陳文子に告げて曰く、「人に君たる者は信を執り、人に臣たる者は共を執る。忠信篤敬、上下之を同じくするは、天の道なり。君自ら棄つるなり。久しきこと能はざらん」と。九月、鄭の公孫黑肱疾有り。邑を公に歸す。室老・宗人を召し、段を立てて、官を黜け祭を薄くせしむ。祭るに特羊を以ってし、殷するに少牢を以ってす、以って祀に共するに足る。盡く其の餘邑を歸して曰く、「吾之を聞く、亂世に生まれては、貴にして能く貧しければ、民求むること無く、以って後に亡ぶ可しと。敬み共して君と二三子とに事へよ。生は敬戒に在り、富に在らざるなり」と。己巳、伯張卒す。君子曰く、「戒を善くす。詩に曰く、『爾の侯度を慎み、用って不虞を戒む』と。鄭の子張其れ焉有り」と。
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『春秋左氏伝』襄公三十一年 子産、館垣を壊す癸酉、襄公を葬る。公薨ずるの月、子產鄭伯に相として以て晉に如く。晉侯我が喪の故を以て、未だ之に見えず。子產盡く其の館の垣を壞たしめて、車馬を納る。士文伯之を讓めて曰く、「敝邑は政刑の脩まらざるを以て、寇盜充斥す。諸侯の屬の、辱くも寡君に在る者を若何せん。是を以て吏人をして客の館する所を完くし、其の閈閎を高くし、其の牆垣を厚くし、以て客使を憂へしむること無からしむ。今吾子之を壞つ。從者能く戒むと雖も、其れ異客を若何せん。敝邑の盟主為るを以て、繕完葺牆して、以て賓客を待つ。若し皆之を毀たば、其れ何を以て命に共せん。寡君匄をして命を請はしむ」と。對へて曰く、「敝邑の褊小にして、大國に介まり、誅求時無きを以て、是を以て敢へて寧居せず、悉く敝賦を索めて、以て來りて時事に會す。執事の間あらざるに逢ひて、未だ見ゆるを得ず、又命を聞くを獲ず、未だ見ゆる時を知らず。
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 子産、楚を禦がず冬、十月、楚子鄭を伐つ。鄭人將に之を禦がんとす。子產曰く、「晉・楚將に平らがんとし、諸侯將に和せんとす。楚王是の故に一たび來るに昧るのみ。逞くして歸らしむるに如かず。乃ち成り易からん。夫れ小人の性は、勇に釁き、禍に嗇り、以て其の性を足して、名を求むる者は、國家の利に非ざるなり。若何ぞ之に從はん」と。子展說び、寇を禦がず。十二月、乙酉、南里に入り、其の城を墮ち、樂氏に涉り、師之梁に門す。縣門發し、九人を獲たり。氾を涉りて歸る。而る後に許の靈公を葬る。衛人衛姬を晉に歸る。乃ち衛侯を釋す。君子是を以て平公の政を失ふを知る。晉の韓宣子周に聘す。王事を請はしむ。對へて曰く、「晉の士起將に時事を宰旅に歸せんとす。他事無し」と。王之を聞きて曰く、「韓氏其れ晉に昌阜ならんか。辭舊を失はず」と。齊人郟に城くの歲、其の夏、齊の烏餘廩丘を以て晉に奔る。衛の羊角を襲ひて之を取る。遂に我が高魚を襲ふ。大雨有り、其の竇より入り、其の庫に介して、以て其の城に登り、克ちて之を取る。又邑を宋に取る。是に於いて范宣子卒す。諸侯治むる能はず。趙文子政を為すに及び、乃ち卒に之を治む。文子晉侯に言ひて曰く、「晉盟主為り。諸侯或いは相侵さば、則ち討ちて其の地を歸さしむ。今烏餘の邑は、皆討類なり。而るに之を貪るは、是れ以て盟主為ること無きなり。請ふ之を歸さん」と。公曰く、「諾。孰か使ふべき」と。對へて曰く、「胥梁帶能く師を用ゐること無からん」と。晉侯往かしむ。
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『春秋左氏伝』襄公八年 子産、武功を喜ばず八年春、公、晉に如きて朝し、且つ朝聘の數を聽く。鄭の群公子、僖公の死を以てや、子駟を謀る。子駟之に先んず。夏、四月、庚辰、辭(つみ)して子狐・子熙・子侯・子丁を殺す。孫擊・孫惡、出でて衛に奔る。庚寅、鄭の子國・子耳、蔡を侵し、蔡の司馬公子燮を獲たり。鄭人皆喜ぶ。唯だ子產のみ順はずして曰く、「小國にして文德無くして武功有るは、禍焉より大なるは莫し。楚人來り討たば、能く從ふこと勿からんや。之に從はば、晉の師必ず至らん。晉・楚、鄭を伐たば、今より鄭國、四五年ならずして寧きを得ざらん」と。子國之を怒りて曰く、「爾何をか知らん。國に大命有りて、正卿有り。童子焉を言はば、將に戮せられんとす」と。五月、甲辰、邢丘に會し、以て朝聘の數を命じ、諸侯の大夫をして命を聽かしむ。季孫宿・齊の高厚・宋の向戌・衛の甯殖・邾の大夫、之に會す。鄭伯、捷を會に獻ず。故に親ら命を聽く。大夫書せざるは、晉侯を尊ぶなり。莒人、我が東鄙を伐ち、以て鄫の田を疆(さかひ)す。秋、九月、大いに雩す。旱なればなり。
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