春秋左氏伝 / 文公十五年 天の威を畏る
冬,十一月,晉侯,宋公,衛侯,蔡侯,鄭伯許男,曹伯,盟于扈,尋新城之盟,且謀伐齊也,齊人賂晉侯,故不克而還,於是有齊難,是以公不會,書曰,諸侯盟于扈,無能為故也,凡諸侯會,公不與不書,諱君惡也,與而不書,後也,齊人來歸子叔姬,王故也,齊侯侵我西鄙,謂諸侯不能也,遂伐曹,入其郛,討其來朝也,季文子曰,齊侯其不免乎,己則無禮,而討於有禮者,曰,女何故行禮,禮以順天,天之道也,己則反天,而又以討人,難以免矣,詩曰,胡不相畏,不畏于天,君子之不虐幼賤,畏于天也,在周頌曰,畏天之威,于時保之,不畏于天,將何能保,以亂取國,奉禮以守,猶懼不終,多行無禮,弗能在矣,
新字:冬,十一月,晋侯,宋公,衛侯,蔡侯,鄭伯許男,曹伯,盟于扈,尋新城之盟,且謀伐斉也,斉人賂晋侯,故不克而還,於是有斉難,是以公不会,書曰,諸侯盟于扈,無能為故也,凡諸侯会,公不与不書,諱君悪也,与而不書,後也,斉人来帰子叔姫,王故也,斉侯侵我西鄙,謂諸侯不能也,遂伐曹,入其郛,討其来朝也,季文子曰,斉侯其不免乎,己則無礼,而討於有礼者,曰,女何故行礼,礼以順天,天之道也,己則反天,而又以討人,難以免矣,詩曰,胡不相畏,不畏于天,君子之不虐幼賤,畏于天也,在周頌曰,畏天之威,于時保之,不畏于天,将何能保,以乱取国,奉礼以守,猶懼不終,多行無礼,弗能在矣,
書き下し
冬、十一月、晉侯・宋公・衛侯・蔡侯・鄭伯・許男・曹伯、扈に盟ふ、新城の盟を尋ね、且つ齊を伐たんことを謀るなり。齊人晉侯に賂す、故に克たずして還る。是に於いて齊の難有り、是を以って公會せず。書に曰く、「諸侯扈に盟ふ」と、能く為す無きが故なり。凡そ諸侯の會に、公與らざれば書せず、君の惡を諱むなり。與りて書せざるは、後るればなり。齊人來りて子叔姬を歸す、王の故なり。齊侯我が西鄙を侵す、諸侯の能はざるを謂ふなり。遂に曹を伐ち、其の郛に入る、其の來朝を討つなり。季文子曰く、「齊侯其れ免れざらんか。己則ち無禮にして、禮有る者を討ちて、曰く、『女何の故に禮を行ふ』と。禮は以って天に順ふ、天の道なり。己則ち天に反して、又以って人を討つ、以って免れ難し。詩に曰く、『胡ぞ相畏れざる、天を畏れず』と。君子の幼賤を虐げざるは、天を畏るればなり。周頌に在りて曰く、『天の威を畏れて、時(ここ)に之を保つ』と。天を畏れずんば、將た何ぞ能く保たん。亂を以って國を取り、禮を奉じて以って守るも、猶ほ終へざらんことを懼る。多く無禮を行はば、在る能はず」と。
現代語訳
冬十一月、晋侯・宋公・衛侯・蔡侯・鄭伯・許男・曹伯が扈で盟約した。新城の盟約を確認し直し、あわせて斉を攻めることを協議するためであった。しかし斉の人が晋侯に賄賂を贈ったので、斉を攻略せずに帰還した。このとき魯は斉との紛争を抱えていたので、文公は会合に参加しなかった。『春秋』に参加国を列挙せず「諸侯扈に盟ふ」とだけ書いたのは、諸侯が何も成し得なかったからである。およそ諸侯の会合に魯の公が参加しなかった場合には、会合そのものを記さない。君の落ち度を隠すためである。参加したのに参加国を書かないのは、遅れて着いたからである。斉の人が子叔姫を魯に送り返してきた。周王の要請によるものである。斉侯(懿公)は魯の西の辺境を侵した。諸侯には何もできないと見くびったのである。さらに曹を攻め、その外城に攻め入った。曹が魯に来朝したことを咎めたのである。季文子が言った。「斉侯は禍を免れないだろう。自分は無礼でありながら、礼を行う者を討って、『おまえはなぜ礼など行うのか』と言う。礼とは天に従うためのもので、天の道である。自分は天に背きながら、さらに人を討つのだから、禍を免れるのは難しい。『詩経』に『どうして互いに畏れないのか、天を畏れないのか』とある。君子が幼い者や身分の低い者を虐げないのは、天を畏れるからである。周頌には『天の威を畏れて、ここに国を保つ』とある。天を畏れなければ、どうして国を保てようか。乱によって国を取った者は、礼を奉じて守っていても、なお全うできないのではないかと恐れるものだ。それなのに無礼を重ねるなら、君位にとどまることはできない」。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』襄公二十五年 荘公の薄葬と和議崔氏莊公を北郭に側す。丁亥、諸を士孫の里に葬る。四翣、蹕せず、下車七乘、兵甲を以ってせず。晉侯泮より濟り、夷儀に會し、齊を伐ちて以って朝歌の役に報ゆ。齊人莊公を以って說き、隰鉏をして成を請はしむ。慶封師に如く。男女班を以ってし、晉侯に賂ふに宗器・樂器を以ってす。六正・五吏・三十師・三軍の大夫・百官の正長・師旅、及び處守する者より、皆賂有り。晉侯之を許す。叔向をして諸侯に告げしむ。公、子服惠伯をして對へしめて曰く、「君有罪を舍して、以って小國を靖んず、君の惠なり。寡君命を聞けり」と。晉侯魏舒・宛沒をして衛侯を逆へしめ、將に衛をして之に夷儀を與へしめんとす。崔子其の帑を止めて、以って五鹿を求む。
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『都鄙問答』卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段曰、然り。答、然らば、今此に人あつていはん。汝が隣の娘を、忰に妻せ度候、媒いたし呉られよ、礼金をやらんと云はゞ、身の辱めを顧ず、媒せられんや。曰、夫は人を賤たる待なり。金に目呉て、争媒の成べきや。答、汝も羞悪の心有て、身の辱は受ざるなり。況や貴人に対して、何にても御願ひ申時に、此事成就なし下されなば、是程の金銀を進んと云るべきや。
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『春秋左氏伝』桓公二年 国家の敗は官の邪に由る夏四月、郜の大鼎を宋に取る。戊申、大廟に納る。禮に非ざるなり。臧哀伯諫めて曰く、「人に君たる者は、將に德を昭らかにし違を塞ぎ、以って百官に臨照せんとす。猶ほ或いは之を失はんことを懼る、故に令德を昭らかにして以って子孫に示す。是を以って清廟は茅屋、大路は越席、大羹は致へず、粢食は鑿かず、其の儉を昭らかにするなり。袞・冕・黻・珽、帶・裳・幅・舄、衡・紞・紘・綖、其の度を昭らかにするなり。藻・率・鞞・鞛、鞶・厲・游・纓、其の數を昭らかにするなり。火・龍・黼・黻、其の文を昭らかにするなり。五色比象、其の物を昭らかにするなり。錫・鸞・和・鈴、其の聲を昭らかにするなり。三辰の旂旗、其の明を昭らかにするなり。夫れ德は、儉にして度有り、登降數有り。文・物以って之を紀し、聲・明以って之を發し、以って百官に臨照す。百官是に於いて戒懼して、敢へて紀律を易へず。今德を滅して違を立て、其の賂器を大廟に寘きて、以って明らかに百官に示す。百官之に象らば、其れ又何をか誅せん。國家の敗るるは、官の邪に由るなり。官の德を失ふは、寵賂章らかなればなり。郜鼎廟に在り、章らかなること孰れか甚だしからん。武王商に克ち、九鼎を雒邑に遷す。義士猶ほ或いは之を非る。而るを況や將に違亂の賂器を大廟に昭らかにせんとするをや。其れ之を若何せん」と。公聽かず。周の內史之を聞きて曰く、「臧孫達其れ魯に後有らんか。君違へるに、之を諫むるに德を以ってするを忘れず」と。
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