春秋左氏伝 / 文公十三年 命は民を養うに在り
邾文公卜遷于繹,史曰,利於民而不利於君,邾子曰,苟利於民,孤之利也,天生民而樹之君,以利之也,民既利矣,孤必與焉,左右曰,命可長也,君何弗為,邾子曰,命在養民,死之短長,時也,民苟利矣,遷也,吉莫如之,遂遷于繹,五月,邾文公卒,君子曰知命,秋,七月,大室之屋壞,書不共也,冬,公如晉朝且尋盟,衛侯會公于沓,請平于晉,公還,鄭伯會公于棐,亦請平于晉,公皆成之,鄭伯與公宴于棐,子家賦鴻鴈,季文子曰,寡君未免於此,文子賦四月,子家賦載馳之四章,文子賦采薇之四章,鄭伯拜,公荅拜,
新字:邾文公卜遷于繹,史曰,利於民而不利於君,邾子曰,苟利於民,孤之利也,天生民而樹之君,以利之也,民既利矣,孤必与焉,左右曰,命可長也,君何弗為,邾子曰,命在養民,死之短長,時也,民苟利矣,遷也,吉莫如之,遂遷于繹,五月,邾文公卒,君子曰知命,秋,七月,大室之屋壊,書不共也,冬,公如晋朝且尋盟,衛侯会公于沓,請平于晋,公還,鄭伯会公于棐,亦請平于晋,公皆成之,鄭伯与公宴于棐,子家賦鴻鴈,季文子曰,寡君未免於此,文子賦四月,子家賦載馳之四章,文子賦采薇之四章,鄭伯拝,公荅拝,
書き下し
邾の文公繹に遷らんことを卜す。史曰く、「民に利にして君に利ならず」と。邾子曰く、「苟も民に利あらば、孤の利なり。天民を生じて之に君を樹つるは、以って之を利せんとなり。民既に利あらば、孤必ず與(あづか)らん」と。左右曰く、「命長くす可きなり、君何ぞ為さざる」と。邾子曰く、「命は民を養ふに在り。死の短長は、時なり。民苟も利あらば、遷らん。吉之に如くは莫し」と。遂に繹に遷る。五月、邾の文公卒す。君子曰く、「命を知る」と。秋、七月、大室の屋壞る、不共を書するなり。冬、公晉に如きて朝し且つ盟を尋ぬ。衛侯公に沓に會し、晉に平がんことを請ふ。公還る。鄭伯公に棐に會し、亦た晉に平がんことを請ふ。公皆之を成す。鄭伯公と棐に宴す。子家《鴻鴈》を賦す。季文子曰く、「寡君未だ此を免れず」と。文子《四月》を賦す。子家《載馳》の四章を賦す。文子《采薇》の四章を賦す。鄭伯拜す。公荅拜す。
現代語訳
邾の文公は、都を繹に移すことを占った。史官が言った。「民には利がありますが、君には利がありません」。邾子(文公)は言った。「民に利があるなら、それが私の利である。天が民を生み、そのために君を立てたのは、民を利するためである。民が利を得るなら、私も必ずその利にあずかる」。側近たちが言った。「移らなければ寿命を延ばすことができます。君はなぜそうなさらないのですか」。邾子は言った。「君主の命(つとめ)は民を養うことにある。死が早いか遅いかは、天の時である。民に利があるなら移ろう。これ以上の吉はない」。こうして繹に都を移した。五月、邾の文公は亡くなった。君子は言った。「命というものを知っていた」。秋七月、太室(周公を祀る廟)の屋根が壊れた。『春秋』がこれを書いたのは、魯が廟の手入れを怠った不敬を示すためである。冬、文公は晋に行って朝見し、あわせて盟約を確認し直した。衛侯が沓で文公と会い、晋との和平の取りなしを求めた。文公が帰国の途につくと、鄭伯が棐で文公と会い、これも晋との和平の取りなしを求めた。文公はいずれも成立させた。鄭伯は棐で文公を招いて宴を開いた。鄭の子家が『詩経』の「鴻鴈」を歌い、困窮する鄭を憐れんでもう一度晋へ行ってほしいという意を込めた。季文子は「わが君もまだこの苦労を免れておりません」と言い、「四月」を歌って、早く帰国して祖先を祀りたいという意を示した。子家は「載馳」の第四章を歌い、小国が大国に助けを求める意を示した。文子は「采薇」の第四章を歌い、休む暇もなく働こうと承諾の意を示した。鄭伯は拝礼し、文公も答礼した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を輕しと為す。是の故に丘民に得られて天子と為り、天子に得られて諸侯と為り、諸侯に得られて大夫と為る。諸侯、社稷を危うくすれば、則ち變置す。犧牲既に成り、粢盛既に潔く、祭祀時を以てす。然り而して旱乾水溢あれば、則ち社稷を變置す。」
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孟子・梁惠王章句上梁の惠王曰く、「寡人の國に於けるや、心を盡くすのみ。河内凶なれば則ち其の民を河東に移し、其の粟を河内に移す。河東凶なるも亦た然り。鄰國の政を察するに、寡人の心を用うるが如き者無し。鄰國の民少きを加えず、寡人の民多きを加えざるは、何ぞや。」孟子對えて曰く、「王戰いを好む。請う戰いを以て喻えん。填然として之に鼓し、兵刃既に接す。甲を棄て兵を曳きて走る。或いは百步にして而る後に止り、或いは五十步にして而る後に止まる。五十步を以て百步を笑わば、則ち何如。」曰く、「不可なり。直だ百步ならざるのみ。是も亦た走るなり。」曰く、「王如し此を知らば、則ち民の鄰國より多きを望むこと無かれ。農時に違わざれば、穀は勝げて食う可からず。數罟(ソク・コ)洿池(オ・チ)に入らずんば、魚鼈も勝げて食う可からず。斧斤時を以て山林に入れば、材木勝げて用う可からず。穀と魚鼈と勝げて食う可からず、材木勝げて用う可からざるは、是れ民をして生を養い死を喪して憾無からしむるなり。生を養い死を喪して憾無きは、王道の始めなり。五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者、以て帛を衣る可し。雞豚狗彘の畜、其の時を失う無くんば、七十の者、以て肉を食う可し。百畝の田、其の時を奪う勿くんば、數口の家、以て飢うる無かる可し。庠序の教えを謹み、之に申(かさねる)ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者、道路に負戴せず。七十の者、帛を衣て肉を食い、黎民、飢えず寒えず。然り而して王ならざる者は、未だ之れ有らざるなり。狗彘、人の食を食らいて檢するを知らず。塗に餓莩(ガ・ヒョウ)有りて發するを知らず。人死すれば、則ち曰く、『我に非ざるなり、歳なり。』是れ何ぞ人を刺して之を殺して、我に非ざるなり、兵なり、と曰うに異ならんや。王、歳を罪する無くんば、斯に天下の民至らん。」
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『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「吾れ齊の吾を攻めんことを恐る。救う可きか」と。子墨子曰く、「可なり。昔者、三代の聖王、禹・湯・文・武は、百里の諸侯なり。忠を説き義を行いて、天下を取る。三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、讐怨し暴を行いて、天下を失う。吾れ願わくは主君の、上は天を尊び鬼に事え、下は百姓を愛し利し、厚く皮幣を為り、辭令を卑くし、函く徧く四隣の諸侯を禮し、國を敺りて以て齊に事えんことを。患い救う可きなり。願うに非ざれば為す可き者無し」と。
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史記 春申君列伝春申君は楚人なり、名は歇、姓は黄氏。游学して博聞、楚の頃襄王に事ふ。頃襄王、歇を以て弁と為し、秦に使ひせしむ。秦の昭王、白起をして韓・魏を攻めしめ、これを華陽に敗り、魏将芒卯を禽にす。韓・魏服して秦に事ふ。秦の昭王方に白起をして韓・魏と共に楚を伐たしめんとし、未だ行かず、而して楚の使ひ黄歇適々秦に至り、秦の計を聞く。是の時に当たり、秦已に前に白起をして楚を攻めしめ、巫・黔中の郡を取り、鄢郢を抜き、東して竟陵に至る。楚の頃襄王、東に徙りて陳県に治す。黄歇は楚の懐王の秦に誘はれて入朝し、遂に欺かれて留められ秦に死するを見る。頃襄王はその子なり、秦これを軽んず、恐らくは壹たび兵を挙げて楚を滅ぼさん。歇乃ち上書して秦の昭王に説きて曰く、天下に秦・楚より彊きは莫し。今聞く、大王楚を伐たんと欲すと。此れ猶ほ両虎の相与に闘ふがごとし。両虎相与に闘へば駑犬その獘を受く、楚を善くするに如かず。臣請ふその説を言はん。臣聞く、物至れば則ち反る、冬夏是れなり。致至れば則ち危ふし、累棋是れなり。今、大国の地は、遍く天下にその二垂を有す、此れ生民より已来、万乗の地の未だ嘗て有らざる所なり。
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説苑・奉使齊魯を攻む。子貢哀公に見え、吳に救いを求めんことを請う。公曰く、「奚ぞ先君の寶を用いんや。」子貢曰く、「吳をして寶を責めて我に師を與えしむれば、是れ恃むべからざるなり。」是に於て楊幹麻筋の弓六を以て往く。子貢吳王に謂いて曰く、「齊無道を爲し、周公の後をして血食せざらしめんと欲す。且つ魯の賦五百、邾の賦三百なり。識らず此を以て齊を益せば、吳の利ならんか、非ならんか。」吳王懼れ、乃ち師を興して魯を救う。諸侯曰く、「齊周公の後を伐つに、吳之を救う。」遂に吳に朝す。
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『韓非子』說林上二十二君之に与へて以て智伯を驕らしむるに如かず。且つ君何ぞ天下を以て智氏を図るを釈てて、独り吾が国を以て智氏の質と為すや」と。君曰く、「善し」と。乃ち之に万戸の邑を与ふ。智伯大いに悦び、因りて地を趙に索む、与へず、因りて晋陽を囲む。韓・魏之に外に反し、趙氏之に内に応じ、智氏以て亡ぶ。秦の康公、台を築くこと三年。荊人兵を起こし、将に兵を以て斉を攻めんと欲す。任妄曰く、「饑は兵を召き、疾は兵を召き、労は兵を召き、乱は兵を召く。君台を築くこと三年、今荊人兵を起こして将に斉を攻めんとす、臣恐らくは其の斉を攻むるは声と為して、秦を襲ふを以て実と為さん。之に備ふるに如かず」と。東辺を戍りて、荊人行を輟む。斉、宋を攻む。宋、臧孫子をして南のかた救ひを荊に求めしむ。荊大いに説び、之を救ふことを許して甚だ勧む。臧孫子憂へて反る。其の御曰く、「救ひを索めて得たり、今子に憂色有るは何ぞや」と。臧孫子曰く、「宋は小にして斉は大なり。夫れ小宋を救ひて大斉に悪まるるは、此れ人の憂ふる所以なり。而るに荊王説ぶは、必ず以て我を堅くせんとすればなり。我堅くして斉敝るるは、荊の利とする所なり」と。臧孫子乃ち帰る。斉人、五城を宋に抜きて荊の救ひ至らず。魏の文侯、道を趙に借りて中山を攻めんとし、趙の粛侯将に許さざらんとす。趙刻曰く、「君過てり。魏、中山を攻めて取ること能はずんば、則ち魏必ず罷れん。罷るれば則ち魏軽く、魏軽ければ則ち趙重し。魏、中山を抜くとも、必ず趙を越えて中山を有つこと能はざるなり。是れ兵を用ふる者は魏にして、地を得る者は趙なり。君必ず之を許せ。之を許して大いに歓べば、彼将に君の之を利とするを知りて、必ず将に行を輟めんとす。君は之に道を借して、示すに已むを得ざるを以てするに如かず」と。鴟夷子皮、田成子に事ふ。田成子、斉を去り、走りて燕に之く。鴟夷子皮、伝を負ひて従ふ。望邑に至る。子皮曰く、「子独り涸沢の蛇を聞かざるか。沢涸るれば、蛇将に徙らんとす。
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