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春秋左氏伝 / 僖公三十三年 一日敵を縦てば数世の患

晉原軫曰:「秦違蹇叔而以貪勤民,天奉我也。奉不可失,敵不可縱。縱敵患生,違天不祥,必伐秦師。」欒枝曰:「未報秦施而伐其師,其為死君乎?」先軫曰:「秦不哀吾喪而伐吾同姓,秦則無禮,何施之為?吾聞之,一日縱敵,數世之患也。謀及子孫,可謂死君乎!」遂發命,遽興姜戎。子墨衰絰,梁弘御戎,萊駒為右。

新字:晋原軫曰:「秦違蹇叔而以貪勤民,天奉我也。奉不可失,敵不可縦。縦敵患生,違天不祥,必伐秦師。」欒枝曰:「未報秦施而伐其師,其為死君乎?」先軫曰:「秦不哀吾喪而伐吾同姓,秦則無礼,何施之為?吾聞之,一日縦敵,数世之患也。謀及子孫,可謂死君乎!」遂発命,遽興姜戎。子墨衰絰,梁弘御戎,萊駒為右。

書き下し

晉の原軫曰く、「秦蹇叔に違ひて貪を以って民を勤む、天我に奉ずるなり。奉は失ふ可からず、敵は縱(はな)つ可からず。敵を縱てば患ひ生じ、天に違へば祥ならず。必ず秦の師を伐たん」と。欒枝曰く、「未だ秦の施しに報いずして其の師を伐つは、其れ死君の為ならんや」と。先軫曰く、「秦吾が喪を哀しまずして吾が同姓を伐つ。秦則ち禮無し。何の施しか之れ為さん。吾之を聞く、一日敵を縱てば、數世の患ひなり、と。謀子孫に及ぶ、死君の為と謂ふ可きかな」と。遂に命を發し、遽かに姜戎を興す。子墨衰絰(すいてつ)す。梁弘戎に御し、萊駒右と為る。

現代語訳

晋の原軫(先軫、中軍の将)は言った。「秦は蹇叔の諫めに背き、欲にかられて民を疲れさせている。これは天がわれらに機会を与えているのだ。与えられた機会は逃してはならず、敵は見逃してはならない。敵を見逃せば禍が生じ、天に背けば不吉である。必ず秦軍を討つべきだ」。欒枝は言った。「まだ秦から受けた恩(文公の帰国を助けたこと)に報いてもいないのに、その軍を討つのは、亡き君の御心にかなうことだろうか」。先軫は言った。「秦はわが国の喪を悼みもせず、わが同姓の国(滑)を討った。秦こそ礼がないのだ。何の恩があろうか。私はこう聞いている。一日敵を見逃せば、数代にわたる患いとなる、と。子孫のためを謀るのだから、亡き君のためと言ってよいではないか」。こうして命令を発し、急いで姜戎の兵を動員した。子(晋の襄公、喪中)は喪服を黒く染めて出陣した。梁弘が兵車の御者となり、萊駒が車右となった。

解説

秦軍の帰途を撃つか否か、晋の朝議の場面である。先軫は、蹇叔の諫めを退けて遠征した秦の驕りを天の与えた好機と見て、「奉は失ふ可からず、敵は縱つ可からず」と主張する。欒枝は、亡き文公が秦の助けで帰国した恩を思えと反論する。これに先軫は、喪中の晋を悼みもせず同姓の滑を滅ぼした秦に礼はないと切り返し、「一日敵を縱てば、數世の患ひなり」と言い切った。恩義と国益の対立を、相手の非礼を理由に国益の側で決着させたのである。この言葉は後世、好機を逃すなという戒めとして引かれる。喪中の襄公が白い喪服を黒く染めて出陣したことは、次の句で「晉は是に於いて始めて墨す」と記され、晋の喪服の習俗の起源となった。恩義に配慮すべきか、好機を取るべきかという判断は、今でも組織の意思決定で繰り返し現れる。どちらを選ぶかの理屈の立て方がここに見える。

この章句が説くこと

好機決断恩義国益戦略

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