春秋左氏伝 / 僖公二十四年 寺人披、難を告ぐ
呂、郤畏偪,將焚公宮而弒晉侯。寺人披請見。公使讓之,且辭焉,曰:「蒲城之役,君命一宿,女即至。其後余從狄君以田渭濱,女為惠公來求殺余,命女三宿,女中宿至。雖有君命,何其速也?夫袪猶在,女其行乎。」對曰:「臣謂君之入也,其知之矣。若猶未也,又將及難。君命無二,古之制也。除君之惡,唯力是視。蒲人、狄人,余何有焉?今君即位,其無蒲、狄乎?齊桓公置射鉤而使管仲相。君若易之,何辱命焉?行者甚眾,豈唯刑臣?」公見之,以難告。三月,晉侯潛會秦伯于王城。己丑,晦,公宮火。瑕甥、郤芮不獲公,乃如河上,秦伯誘而殺之。晉侯逆夫人嬴氏以歸。秦伯送衛於晉三千人,實紀綱之僕。
新字:呂、郤畏偪,将焚公宮而弒晋侯。寺人披請見。公使譲之,且辞焉,曰:「蒲城之役,君命一宿,女即至。其後余従狄君以田渭浜,女為恵公来求殺余,命女三宿,女中宿至。雖有君命,何其速也?夫袪猶在,女其行乎。」対曰:「臣謂君之入也,其知之矣。若猶未也,又将及難。君命無二,古之制也。除君之悪,唯力是視。蒲人、狄人,余何有焉?今君即位,其無蒲、狄乎?斉桓公置射鉤而使管仲相。君若易之,何辱命焉?行者甚衆,豈唯刑臣?」公見之,以難告。三月,晋侯潜会秦伯于王城。己丑,晦,公宮火。瑕甥、郤芮不獲公,乃如河上,秦伯誘而殺之。晋侯逆夫人嬴氏以帰。秦伯送衛於晋三千人,実紀綱之僕。
書き下し
呂・郤偪らるるを畏れ、將に公宮を焚きて晉侯を弒せんとす。寺人披見えんことを請ふ。公之を讓めしめ、且つ辭して、曰く、「蒲城の役、君一宿を命ず、女即ち至る。其の後余狄君に從ひて以て渭濱に田す、女惠公の為に來たりて余を殺さんことを求む。女に三宿を命ず、女中宿にして至る。君命有りと雖も、何ぞ其れ速やかなる。夫の袪猶ほ在り、女其れ行れ」と。對へて曰く、「臣謂へらく君の入るや、其れ之を知れりと。若し猶ほ未だしならば、又將に難に及ばんとす。君命に二無きは、古の制なり。君の惡を除くは、唯だ力を是れ視る。蒲人・狄人、余に何か有らん。今君位に即く、其れ蒲・狄無からんや。齊の桓公射鉤を置きて管仲をして相たらしむ。君若し之を易へば、何ぞ命を辱めん。行く者甚だ眾し、豈に唯だ刑臣のみならんや」と。公之に見ゆ、難を以て告ぐ。三月、晉侯潛かに秦伯に王城に會す。己丑、晦、公宮火あり。瑕甥・郤芮公を獲ず、乃ち河上に如く、秦伯誘ひて之を殺す。晉侯夫人嬴氏を逆へて以て歸る。秦伯衛を晉に送ること三千人、實に紀綱の僕なり。
現代語訳
呂甥(りょせい、瑕甥とも)と郤芮(げきぜい)は、恵公・懐公に仕えていたため、新しい君に追い詰められることを恐れ、公宮に火を放って晋侯(文公重耳)を殺そうとした。宦官の披(ひ、勃鞮とも)が文公に面会を求めた。文公は人を遣わして彼を責め、面会を断って言わせた。「蒲城の戦いのとき、君(献公)は一晩のうちに行けと命じたのに、おまえはその日のうちにやって来た。その後、私が狄の君に従って渭水のほとりで狩りをしていたとき、おまえは恵公のために私を殺しに来た。三晩かけて行けと命じられていたのに、おまえは二晩目に着いた。君命があったとはいえ、なぜそんなに急いだのか。あのとき斬り落とされた私の袖は今もここにある。立ち去れ」。披は答えた。「私は、君が国に帰られたからには、もうそのことはおわかりだろうと思っておりました。もしまだおわかりでないなら、また難に遭われるでしょう。君命に二心を持たないのが古の定めです。君の憎む者を除くには、ただ力の限りを尽くすだけです。蒲の人か狄の人か、私にとって何の関わりがありましょう。いま君が位に即かれた以上、君にとっての蒲や狄(敵)がいないとお思いですか。斉の桓公は、自分の帯鉤を射た恨みを捨てて、管仲を宰相にしました。君がもしそれと逆のことをなさるなら、私がわざわざご命令を受けて去らされるまでもありません。自分から立ち去る者は非常に多いでしょう。刑を受けた身の私一人だけではありますまい」。文公は披に会い、披は迫っている難を告げた。三月、晋侯はひそかに秦伯と王城で会った。己丑の晦日(月末)、公宮で火事が起きた。瑕甥と郤芮は晋侯を捕らえられず、黄河のほとりに行ったが、秦伯がおびき寄せて二人を殺した。晋侯は夫人の嬴氏(懐嬴)を迎えて晋に帰った。秦伯は護衛として三千人を晋に送った。これはみな、秩序を支える役を担う実務の者たちであった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 李斯列伝臣聞く、地広き者は粟多く、国大なる者は人衆く、兵彊ければ則ち士勇なりと。是を以て太山は土壌を譲らず、故に能く其の大を成す。河海は細流を択ばず、故に能く其の深きを就す。王者は衆庶を卻けず、故に能く其の徳を明らかにす。是を以て地に四方無く、民に異国無く、四時充美にして、鬼神福を降す。此れ五帝・三王の敵無き所以なり。今乃ち黔首を棄てて以て敵国に資し、賓客を卻けて以て諸侯に業し、天下の士をして退きて敢て西に向かはず、足を裹みて秦に入らざらしむ。此れ所謂「寇に兵を藉して盗に糧を齎す」者なり。夫れ物の秦に産せずして、宝とすべき者多し。士の秦に産せずして、忠を願ふ者衆し。今客を逐ひて以て敵国に資し、民を損じて以て讎を益し、内自ら虚しくして外怨みを諸侯に樹つ。国の危ふき無きを求むるも、得べからざるなり、と。秦王乃ち逐客の令を除き、李斯の官を復し、卒に其の計謀を用ふ。
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史記 淮陰侯列伝信数しば蕭何と語る。何之を奇とす。南鄭に至るに、諸将の道に行きて亡ぐる者数十人。信度るに、何等已に数しば上に言ふも、上我を用ゐずと、即ち亡ぐ。何信の亡ぐるを聞き、以て聞するに及ばず、自ら之を追ふ。人有りて上に言ひて曰く、「丞相何亡げたり」と。上大いに怒り、左右の手を失ふが如し。居ること一二日、何来りて上に謁す。上且つ怒り且つ喜び、何を罵りて曰く、「若亡ぐるは、何ぞや」と。何曰く、「臣敢へて亡げざるなり。臣は亡ぐる者を追ふ」と。上曰く、「若追ふ所の者は誰ぞ」と。何曰く、「韓信なり」と。上復た罵りて曰く、「諸将の亡ぐる者は十を以て数ふるも、公追ふ所無し。信を追ふは、詐りなり」と。何曰く、「諸将は得易きのみ。信の如き者に至りては、国士無双なり。王必ず長く漢中に王たらんと欲せば、信を事とする所無し。必ず天下を争はんと欲せば、信に非ずんば与に事を計る所の者無し。顧ふに王の策安くに決する所かのみ」と。王曰く、「吾も亦東せんと欲するのみ。安んぞ能く郁郁として久しく此に居らんや」と。何曰く、「王の計必ず東せんと欲せば、能く信を用ゐば、信即ち留まらん。用ゐること能はずんば、信終に亡げんのみ」と。王曰く、「吾公の為に以て将と為さん」と。何曰く、「将と為すと雖も、信必ず留まらじ」と。王曰く、「以て大将と為さん」と。何曰く、「幸甚なり」と。是に於て王信を召して之を拝せんと欲す。何曰く、「王素より慢にして礼無し。今大将を拝すること小児を呼ぶが如きのみ。此れ乃ち信の去る所以なり。王必ず之を拝せんと欲せば、良日を択び、斎戒し、壇場を設け、礼を具へて、乃ち可なるのみ」と。王之を許す。諸将皆喜び、人人各自ら以て大将を得んと為す。大将を拝するに至りて、乃ち韓信なり。一軍皆驚く。
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『韓非子』亡徵第十五境内の傑、事とされずして、封外の士を求め、功伐を以て課試せずして、好んで名問を以て舉錯し、羈旅起り貴くして以て故常を陵ぐ者は、亡ぶ可きなり。
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史記 管晏列伝管仲夷吾は、潁上の人なり。少き時常に鮑叔牙と游び、鮑叔、其の賢なるを知れり。管仲貧困にして、常に鮑叔を欺くも、鮑叔、終に善く之を遇し、以て言を為さず。已にして鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚はる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用ひられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
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史記 孫子呉起列伝呉起是に於いて魏の文侯の賢なるを聞き、之に事へんと欲す。文侯、李克に問ひて曰く、「呉起は何如なる人ぞ」と。李克曰く、「起は貪にして色を好む。然れども兵を用ゐるは、司馬穰苴も過ぐる能はざるなり」と。是に於いて魏の文侯以て将と為し、秦を撃ち、五城を抜く。
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史記 酈生陸賈列伝酈生食其(れきせいいき)は、陳留高陽の人なり。読書を好み、家貧しく落魄して、以て衣食の業を為す無く、里の監門の吏と為る。然れども県中の賢豪敢へて役せず、県中皆之を狂生と謂ふ。陳勝・項梁等の起こるに及び、諸将の地を徇へて高陽を過ぐる者数十人、酈生其の将皆握齱(あくさく)として苛礼を好み自ら用ひ、大度の言を聴く能はずと聞き、酈生乃ち深く自ら蔵匿す。後に沛公兵を将ゐて地を陳留の郊に略すと聞く。沛公の麾下の騎士、適(たまたま)酈生の里中の子なり、沛公時時邑中の賢士豪俊を問ふ。騎士帰る。酈生見えて之に謂ひて曰く、「吾聞く、沛公は慢にして人を易(あなど)るも、大略多しと。此れ真に吾が従ひて游ばんと願ふ所なり、我が為に先(さきだ)つ莫し。若し沛公に見えなば、謂ひて曰へ、『臣が里中に酈生有り、年六十余、長八尺、人皆之を狂生と謂ふも、生は自ら我は狂生に非ずと謂ふ』と」と。騎士曰く、「沛公は儒を好まず、諸客の儒冠を冠して来たる者あれば、沛公輒ち其の冠を解き、其の中に溲溺(そうでき)す。人と言ふに、常に大いに罵る。未だ儒生を以て説くべからざるなり」と。酈生曰く、「弟(ただ)之を言へ」と。騎士従容として酈生の誡むる所の如く言ふ。沛公高陽の伝舎に至り、人をして酈生を召さしむ。酈生至り、入りて謁す。沛公方に床に倨して両女子をして足を洗はしめ、而して酈生を見る。酈生入り、則ち長揖して拝せず、曰く、「足下は秦を助けて諸侯を攻めんと欲するか。且(はた)諸侯を率ゐて秦を破らんと欲するか」と。沛公罵りて曰く、「豎儒(じゅじゅ)。夫れ天下同じく秦に苦しむこと久し、故に諸侯相率ゐて秦を攻む。何ぞ秦を助けて諸侯を攻むと謂ふや」と。酈生曰く、「必ず徒を聚め義兵を合はせて無道の秦を誅せんとならば、宜しく倨して長者を見るべからず」と。是に於て沛公洗ふを輟め、起ちて衣を摂(ととの)へ、酈生を延きて上坐せしめ、
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