史記 / 魯周公世家
季友聞之,自陳與湣公弟申如邾,請魯求內之。魯人欲誅慶父。慶父恐,奔莒。於是季友奉子申入,立之,是爲釐公。釐公亦莊公少子。哀姜恐,奔邾。季友以賂如莒求慶父,慶父歸,使人殺慶父,慶父請奔,弗聽,乃使大夫奚斯行哭而往。慶父聞奚斯音,乃自殺。齊桓公聞哀姜與慶父亂以危魯,及召之邾而殺之,以其尸歸,戮之魯。魯釐公請而葬之。季友母陳女,故亡在陳,陳故佐送季友及子申。季友之將生也,父魯桓公使人卜之,曰:『男也,其名曰「友」,閒于兩社,爲公室輔。季友亡,則魯不昌。』及生,有文在掌曰『友』,遂以名之,號爲成季。其後爲季氏,慶父後爲孟氏也。釐公元年,以汶陽鄪封季友。季友爲相。九年,晉裏克殺其君奚齊、卓子。齊桓公率釐公討晉亂,至髙梁而還,立晉惠公。十七年,齊桓公卒。二十四年,晉文公即位。三十三年,釐公卒,子興立,是爲文公。文公元年,楚太子商臣弒其父成王,代立。三年,文公朝晉襄父。十一年十月甲午,魯敗翟于咸,獲長翟喬如,富父終甥舂其喉,以戈殺之,埋其首於子駒之門,以命宣伯。初,宋武公之世,鄋瞞伐宋,司徒皇父帥師御之,以敗翟于長丘,獲長翟緣斯。晉之滅路,獲喬如弟棼如。
新字:季友聞之,自陳与湣公弟申如邾,請魯求内之。魯人欲誅慶父。慶父恐,奔莒。於是季友奉子申入,立之,是為釐公。釐公亦荘公少子。哀姜恐,奔邾。季友以賂如莒求慶父,慶父帰,使人殺慶父,慶父請奔,弗聴,乃使大夫奚斯行哭而往。慶父聞奚斯音,乃自殺。斉桓公聞哀姜与慶父乱以危魯,及召之邾而殺之,以其尸帰,戮之魯。魯釐公請而葬之。季友母陳女,故亡在陳,陳故佐送季友及子申。季友之将生也,父魯桓公使人卜之,曰:『男也,其名曰「友」,閒于両社,為公室輔。季友亡,則魯不昌。』及生,有文在掌曰『友』,遂以名之,号為成季。其後為季氏,慶父後為孟氏也。釐公元年,以汶陽鄪封季友。季友為相。九年,晋裏克殺其君奚斉、卓子。斉桓公率釐公討晋乱,至高梁而還,立晋恵公。十七年,斉桓公卒。二十四年,晋文公即位。三十三年,釐公卒,子興立,是為文公。文公元年,楚太子商臣弒其父成王,代立。三年,文公朝晋襄父。十一年十月甲午,魯敗翟于咸,獲長翟喬如,富父終甥舂其喉,以戈殺之,埋其首於子駒之門,以命宣伯。初,宋武公之世,鄋瞞伐宋,司徒皇父帥師御之,以敗翟于長丘,獲長翟縁斯。晋之滅路,獲喬如弟棼如。
書き下し
季友之を聞き、陳より湣公の弟申と邾に如き、魯に之を内れんことを求めんと請ふ。魯人、慶父を誅せんと欲す。慶父恐れ、莒に奔る。是に於て季友、子申を奉じて入り、之を立つ。是れを釐公と為す。釐公も亦荘公の少子なり。哀姜恐れ、邾に奔る。季友、賂を以て莒に如きて慶父を求む。慶父帰る。人をして慶父を殺さしめんとす。慶父奔らんことを請ふも、聴かず。乃ち大夫奚斯をして行き哭して往かしむ。慶父、奚斯の音を聞き、乃ち自殺す。斉の桓公、哀姜と慶父と乱れて以て魯を危くせしを聞き、及ち之を邾より召して之を殺し、其の尸を以て帰り、之を魯に戮す。魯の釐公請ひて之を葬る。季友の母は陳の女なり。故に亡げて陳に在り。陳、故に季友及び子申を佐け送る。季友の将に生れんとするや、父魯の桓公、人をして之を卜せしむ。曰く、「男なり。其の名を『友』と曰ひ、両社に間はりて、公室の輔と為らん。季友亡びば、則ち魯昌えず」と。生るるに及び、文の掌に在る有りて『友』と曰ふ。遂に以て之に名づけ、号して成季と為す。其の後を季氏と為し、慶父の後を孟氏と為すなり。釐公の元年、汶陽の鄪を以て季友を封ず。季友相と為る。九年、晋の里克、其の君奚斉・卓子を殺す。斉の桓公、釐公を率ゐて晋の乱を討ち、高梁に至りて還り、晋の恵公を立つ。十七年、斉の桓公卒す。二十四年、晋の文公即位す。三十三年、釐公卒し、子の興立つ。是れを文公と為す。文公の元年、楚の太子商臣、其の父成王を弑して、代りて立つ。三年、文公、晋の襄公に朝す。十一年十月甲午、魯、翟を咸に敗り、長翟の喬如を獲たり。富父終甥、其の喉を舂き、戈を以て之を殺し、其の首を子駒の門に埋め、以て宣伯に命づく。初め、宋の武公の世、鄋瞞、宋を伐つ。司徒皇父、師を帥ゐて之を御ぎ、以て翟を長丘に敗り、長翟の縁斯を獲たり。晋の路を滅すや、喬如の弟棼如を獲たり。
現代語訳
季友はこれを聞くと、陳から湣公の弟の申とともに邾(ちゅ)に行き、魯に申を迎え入れてくれるよう求めた。魯の人々は慶父を誅殺しようとした。慶父は恐れて莒に逃げた。そこで季友は公子申を奉じて魯に入り、申を君主に立てた。これが釐公である。釐公もまた荘公の末子である。哀姜は恐れて邾に逃げた。季友は賄賂を持って莒に行き、慶父の引き渡しを求めた。慶父は帰されてきた。季友は人をやって慶父を殺させようとした。慶父は亡命させてほしいと願ったが、聞き入れられなかった。そこで大夫の奚斯を泣きながら慶父のもとに行かせた。慶父は奚斯の泣き声を聞くと、自殺した。斉の桓公は、哀姜が慶父と乱行をして魯を危うくしたと聞き、哀姜を邾から呼び寄せて殺し、その遺体を持ち帰って、魯でさらしものにした。魯の釐公は願い出て哀姜を葬った。季友の母は陳の女性であった。だから季友は陳に亡命していたのであり、陳はそのために季友と公子申を助けて送り出したのである。季友が生まれようとするとき、父の魯の桓公は人に占わせた。占いにはこう出た。「男子である。その名を『友』といい、周社と亳社の二つの社の間に立って(朝廷の中枢で)、公室の補佐となるだろう。季友が亡べば、魯は栄えない」。生まれてみると、手のひらに「友」という模様があったので、そのまま友と名づけ、成季と号した。その子孫が季氏となり、慶父の子孫が孟氏となった。釐公の元年、汶陽の鄪(ひ)の地を季友に与えた。季友は宰相となった。九年、晋の里克が君主の奚斉と卓子を殺した。斉の桓公は釐公を率いて晋の乱を討ち、高梁まで行って帰り、晋の恵公を立てた。十七年、斉の桓公が亡くなった。二十四年、晋の文公が即位した。三十三年、釐公が亡くなり、子の興が立った。これが文公である。文公の元年、楚の太子商臣が父の成王を殺して代わりに立った。三年、文公は晋の襄公に朝見した。十一年十月甲午の日、魯は咸で翟(狄)を破り、背の高い翟の喬如を捕らえた。富父終甥が戈でその喉を突いて殺し、その首を子駒の門に埋め、(戦功を記念して叔孫得臣の子に)宣伯と名づけた。これより先、宋の武公の時代に鄋瞞(そうまん、長翟の国)が宋を攻めたことがあった。司徒の皇父が軍を率いて防ぎ、長丘で翟を破り、長翟の縁斯を捕らえた。晋が潞(ろ)を滅ぼしたときには、喬如の弟の棼如を捕らえた。
解説
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史記 魯周公世家十五年、斉の桓公始めて覇たり。二十三年、荘公斉に如きて社を観る。三十二年、初め、荘公、台を築きて党氏に臨み、孟女を見て、説びて之を愛し、立てて夫人と為さんことを許し、臂を割きて以て盟ふ。孟女、子斑を生む。斑長じ、梁氏の女を説び、往きて観る。圉人犖、墻外より梁氏の女と戯る。斑怒りて、犖を鞭うつ。荘公之を聞きて、曰く、「犖は力有り。遂に之を殺せ。是れ未だ鞭うちて置く可からざるなり」と。斑未だ殺すを得ず。会々荘公疾有り。荘公に三弟有り。長を慶父と曰ひ、次を叔牙と曰ひ、次を季友と曰ふ。荘公、斉の女を取りて夫人と為し、哀姜と曰ふ。哀姜子無し。哀姜の娣を叔姜と曰ひ、子開を生む。荘公に適嗣無く、孟女を愛し、其の子斑を立てんと欲す。荘公病み、嗣を弟叔牙に問ふ。叔牙曰く、「一継一及は、魯の常なり。慶父在り、嗣と為す可し。君何ぞ憂へん」と。荘公、叔牙の慶父を立てんと欲するを患へ、退きて季友に問ふ。季友曰く、「請ふ死を以て斑を立てん」と。荘公曰く、「曩者、叔牙、慶父を立てんと欲す。柰何せん」と。季友、荘公の命を以て牙に命じて鍼巫氏に待たしめ、鍼季をして叔牙を劫かして飲ましむるに鴆を以てせしめて、曰く、「此を飲めば則ち後有りて祀を奉ぜん。然らずんば、死して且つ後無からん」と。牙遂に鴆を飲みて死す。魯、其の子を立てて叔孫氏と為す。八月癸亥、荘公卒す。季友竟に子斑を立てて君と為すこと、荘公の命の如し。喪に侍して、党氏に舎る。是より先、慶父、哀姜と私通し、哀姜の娣の子開を立てんと欲す。荘公卒して季友の斑を立つるに及び、十月己未、慶父、圉人犖をして魯の公子斑を党氏に殺さしむ。季友、陳に奔る。慶父竟に荘公の子開を立つ。是れを湣公と為す。湣公の二年、慶父、哀姜と通ずること益々甚だし。哀姜、慶父と謀りて湣公を殺して慶父を立てんとす。慶父、卜齮をして湣公を武闈に襲殺せしむ。
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