史記 / 魯周公世家
十五年,齊桓公始霸。二十三年,莊公如齊觀社。三十二年,初,莊公筑臺臨黨氏,見孟女,說而愛之,許立爲夫人,割臂以盟。孟女生子斑。斑長,說梁氏女,往觀。圉人犖自墻外與梁氏女戲。斑怒,鞭犖。莊公聞之,曰:『犖有力焉,遂殺之,是未可鞭而置也。』斑未得殺,會莊公有疾。莊公有三弟,長曰慶父,次曰叔牙,次曰季友。莊公取齊女爲夫人曰哀姜。哀姜無子。哀姜娣曰叔姜,生子開。莊公無適嗣,愛孟女,欲立其子斑。莊公病,而問嗣於弟叔牙。叔牙曰:『一繼一及,魯之常也。慶父在,可爲嗣,君何憂?』莊公患叔牙欲立慶父,退而問季友。季友曰:『請以死立斑也。』莊公曰:『曩者叔牙欲立慶父,柰何?』季友以莊公命命牙待於鍼巫氏,使鍼季劫飲叔牙以鴆,曰:『飲此則有後奉祀;不然,死且無後。』牙遂飲鴆而死,魯立其子爲叔孫氏。八月癸亥,莊公卒,季友竟立子斑爲君,如莊公命。侍喪,舍于黨氏。先時慶父與哀姜私通,欲立哀姜娣子開。及莊公卒而季友立斑,十月己未,慶父使圉人犖殺魯公子斑於黨氏。季友奔陳。慶父竟立莊公子開,是爲湣公。湣公二年,慶父與哀姜通益甚。哀姜與慶父謀殺湣公而立慶父。慶父使卜齮襲殺湣公於武闈。
新字:十五年,斉桓公始覇。二十三年,荘公如斉観社。三十二年,初,荘公筑台臨党氏,見孟女,説而愛之,許立為夫人,割臂以盟。孟女生子斑。斑長,説梁氏女,往観。圉人犖自墻外与梁氏女戯。斑怒,鞭犖。荘公聞之,曰:『犖有力焉,遂殺之,是未可鞭而置也。』斑未得殺,会荘公有疾。荘公有三弟,長曰慶父,次曰叔牙,次曰季友。荘公取斉女為夫人曰哀姜。哀姜無子。哀姜娣曰叔姜,生子開。荘公無適嗣,愛孟女,欲立其子斑。荘公病,而問嗣於弟叔牙。叔牙曰:『一継一及,魯之常也。慶父在,可為嗣,君何憂?』荘公患叔牙欲立慶父,退而問季友。季友曰:『請以死立斑也。』荘公曰:『曩者叔牙欲立慶父,柰何?』季友以荘公命命牙待於鍼巫氏,使鍼季劫飲叔牙以鴆,曰:『飲此則有後奉祀;不然,死且無後。』牙遂飲鴆而死,魯立其子為叔孫氏。八月癸亥,荘公卒,季友竟立子斑為君,如荘公命。侍喪,舎于党氏。先時慶父与哀姜私通,欲立哀姜娣子開。及荘公卒而季友立斑,十月己未,慶父使圉人犖殺魯公子斑於党氏。季友奔陳。慶父竟立荘公子開,是為湣公。湣公二年,慶父与哀姜通益甚。哀姜与慶父謀殺湣公而立慶父。慶父使卜齮襲殺湣公於武闈。
書き下し
十五年、斉の桓公始めて覇たり。二十三年、荘公斉に如きて社を観る。三十二年、初め、荘公、台を築きて党氏に臨み、孟女を見て、説びて之を愛し、立てて夫人と為さんことを許し、臂を割きて以て盟ふ。孟女、子斑を生む。斑長じ、梁氏の女を説び、往きて観る。圉人犖、墻外より梁氏の女と戯る。斑怒りて、犖を鞭うつ。荘公之を聞きて、曰く、「犖は力有り。遂に之を殺せ。是れ未だ鞭うちて置く可からざるなり」と。斑未だ殺すを得ず。会々荘公疾有り。荘公に三弟有り。長を慶父と曰ひ、次を叔牙と曰ひ、次を季友と曰ふ。荘公、斉の女を取りて夫人と為し、哀姜と曰ふ。哀姜子無し。哀姜の娣を叔姜と曰ひ、子開を生む。荘公に適嗣無く、孟女を愛し、其の子斑を立てんと欲す。荘公病み、嗣を弟叔牙に問ふ。叔牙曰く、「一継一及は、魯の常なり。慶父在り、嗣と為す可し。君何ぞ憂へん」と。荘公、叔牙の慶父を立てんと欲するを患へ、退きて季友に問ふ。季友曰く、「請ふ死を以て斑を立てん」と。荘公曰く、「曩者、叔牙、慶父を立てんと欲す。柰何せん」と。季友、荘公の命を以て牙に命じて鍼巫氏に待たしめ、鍼季をして叔牙を劫かして飲ましむるに鴆を以てせしめて、曰く、「此を飲めば則ち後有りて祀を奉ぜん。然らずんば、死して且つ後無からん」と。牙遂に鴆を飲みて死す。魯、其の子を立てて叔孫氏と為す。八月癸亥、荘公卒す。季友竟に子斑を立てて君と為すこと、荘公の命の如し。喪に侍して、党氏に舎る。是より先、慶父、哀姜と私通し、哀姜の娣の子開を立てんと欲す。荘公卒して季友の斑を立つるに及び、十月己未、慶父、圉人犖をして魯の公子斑を党氏に殺さしむ。季友、陳に奔る。慶父竟に荘公の子開を立つ。是れを湣公と為す。湣公の二年、慶父、哀姜と通ずること益々甚だし。哀姜、慶父と謀りて湣公を殺して慶父を立てんとす。慶父、卜齮をして湣公を武闈に襲殺せしむ。
現代語訳
十五年、斉の桓公が初めて覇者となった。二十三年、荘公は斉に行って社の祭りを見物した。三十二年のこと。これより先、荘公は高台を築いて党氏の家を見下ろし、そこの娘の孟女を見て気に入り、愛して、正夫人に立てると約束し、腕を切って血をすすり合って誓った。孟女は子の斑を生んだ。斑は成長すると梁氏の娘を好きになり、会いに行った。馬飼いの犖(らく)が垣根の外から梁氏の娘にちょっかいを出した。斑は怒って犖を鞭打った。荘公はこれを聞いて言った。「犖は力が強い。いっそ殺してしまえ。鞭打っただけで放っておいてよい相手ではない」。しかし斑はまだ犖を殺せずにいた。ちょうどそのころ荘公が病気になった。荘公には三人の弟がいた。上から慶父・叔牙・季友という。荘公は斉の女性を娶って正夫人とし、哀姜といった。哀姜には子がなかった。哀姜の妹を叔姜といい、子の開を生んだ。荘公には正妻の産んだ跡継ぎがなく、孟女を愛していたので、その子の斑を立てたいと思っていた。荘公は病気になると、弟の叔牙に跡継ぎのことを尋ねた。叔牙は言った。「父から子へ継いだり、兄から弟へ及んだりするのが魯のならわしだ。慶父がいるのだから、跡継ぎにすればよい。君は何を心配されるのか」。荘公は、叔牙が慶父を立てようとしているのを憂え、下がってから季友に尋ねた。季友は言った。「命を懸けて斑を立てよう」。荘公は言った。「さきほど叔牙は慶父を立てたがっていた。どうしたものか」。季友は荘公の命令だとして叔牙に鍼巫氏の家で待つよう命じ、鍼季に叔牙を脅して毒酒(鴆)を飲ませ、こう言わせた。「これを飲めば子孫が続いて祖先の祭りを守れる。飲まなければ、死んだうえに子孫も絶える」。叔牙はついに毒酒を飲んで死んだ。魯はその子を立てて叔孫氏とした。八月癸亥の日、荘公が亡くなった。季友はついに子の斑を君主に立て、荘公の遺命どおりにした。斑は喪に服して党氏の家に泊まっていた。これより先、慶父は哀姜と密通しており、哀姜の妹の子の開を立てようとしていた。荘公が亡くなり季友が斑を立てると、十月己未の日、慶父は馬飼いの犖に命じて、党氏の家で魯の公子斑を殺させた。季友は陳に逃げた。慶父はついに荘公の子の開を立てた。これが湣公である。湣公の二年、慶父と哀姜の密通はますますひどくなった。哀姜は慶父と謀って湣公を殺し、慶父を立てようとした。慶父は卜齮(ぼくき)に命じて、湣公を宮中の武闈(ぶい)の門で襲い殺させた。
解説
関連する章句
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史記 魯周公世家季友之を聞き、陳より湣公の弟申と邾に如き、魯に之を内れんことを求めんと請ふ。魯人、慶父を誅せんと欲す。慶父恐れ、莒に奔る。是に於て季友、子申を奉じて入り、之を立つ。是れを釐公と為す。釐公も亦荘公の少子なり。哀姜恐れ、邾に奔る。季友、賂を以て莒に如きて慶父を求む。慶父帰る。人をして慶父を殺さしめんとす。慶父奔らんことを請ふも、聴かず。乃ち大夫奚斯をして行き哭して往かしむ。慶父、奚斯の音を聞き、乃ち自殺す。斉の桓公、哀姜と慶父と乱れて以て魯を危くせしを聞き、及ち之を邾より召して之を殺し、其の尸を以て帰り、之を魯に戮す。魯の釐公請ひて之を葬る。季友の母は陳の女なり。故に亡げて陳に在り。陳、故に季友及び子申を佐け送る。季友の将に生れんとするや、父魯の桓公、人をして之を卜せしむ。曰く、「男なり。其の名を『友』と曰ひ、両社に間はりて、公室の輔と為らん。季友亡びば、則ち魯昌えず」と。生るるに及び、文の掌に在る有りて『友』と曰ふ。遂に以て之に名づけ、号して成季と為す。其の後を季氏と為し、慶父の後を孟氏と為すなり。釐公の元年、汶陽の鄪を以て季友を封ず。季友相と為る。九年、晋の里克、其の君奚斉・卓子を殺す。斉の桓公、釐公を率ゐて晋の乱を討ち、高梁に至りて還り、晋の恵公を立つ。十七年、斉の桓公卒す。二十四年、晋の文公即位す。三十三年、釐公卒し、子の興立つ。是れを文公と為す。文公の元年、楚の太子商臣、其の父成王を弑して、代りて立つ。三年、文公、晋の襄公に朝す。十一年十月甲午、魯、翟を咸に敗り、長翟の喬如を獲たり。富父終甥、其の喉を舂き、戈を以て之を殺し、其の首を子駒の門に埋め、以て宣伯に命づく。初め、宋の武公の世、鄋瞞、宋を伐つ。司徒皇父、師を帥ゐて之を御ぎ、以て翟を長丘に敗り、長翟の縁斯を獲たり。晋の路を滅すや、喬如の弟棼如を獲たり。
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史記 魯周公世家斉の恵公の二年、鄋瞞、斉を伐つ。斉の王子城父、其の弟栄如を獲て、其の首を北門に埋む。衛人、其の季弟簡如を獲たり。鄋瞞是に由りて遂に亡ぶ。十五年、季文子、晋に使す。十八年二月、文公卒す。文公に二妃有り。長妃は斉の女にして哀姜と為し、子悪及び視を生む。次妃は敬嬴、嬖愛せられ、子俀を生む。俀私かに襄仲に事ふ。襄仲之を立てんと欲す。叔仲、不可なりと曰ふ。襄仲、斉の恵公に請ふ。恵公新たに立ち、魯に親しまんと欲し、之を許す。冬十月、襄仲、子悪及び視を殺して俀を立つ。是れを宣公と為す。哀姜斉に帰り、哭して市を過ぎて、曰く、「天か。襄仲、不道を為し、適を殺して庶を立つ」と。市人皆哭す。魯人之を『哀姜』と謂ふ。魯是に由りて公室卑しく、三桓彊し。宣公俀の十二年、楚の荘王彊く、鄭を囲む。鄭伯降り、復た之を国せしむ。十八年、宣公卒し、子の成公黒肱立つ。是れを成公と為す。季文子曰く、「我をして適を殺して庶を立て大援を失はしめし者は、襄仲なり」と。襄仲、宣公を立て、公孫帰父寵有り。宣公、三桓を去らんと欲し、晋と謀りて三桓を伐たんとす。会々宣公卒す。季文子之を怨み、帰父、斉に奔る。成公の二年春、斉、伐ちて我が隆を取る。夏、公、晋の郤克と斉の頃公を鞍に敗り、斉復た我が侵地を帰す。四年、成公、晋に如く。晋の景公、魯を敬せず。魯、晋に背きて楚に合はんと欲す。或ひと諫め、乃ち不す。十年、成公、晋に如く。晋の景公卒す。因りて成公を留めて葬を送らしむ。魯之を諱む。十五年、始めて呉王寿夢と鐘離に会す。十六年、宣伯、晋に告げて、季文子を誅せんと欲す。文子に義有り、晋人許さず。十八年、成公卒し、子の午立つ。是れを襄公と為す。是の時、襄公三歳なり。襄公の元年、晋、悼公を立つ。往年冬、晋の欒書、其の君厲公を弑す。
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史記 魯周公世家請ふ子の為に隠公を殺さん」と。子允許諾す。十一月、隠公、鍾巫を祭り、社圃に斉し、蒍氏に館す。揮、人をして隠公を蒍氏に殺さしめ、而して子允を立てて君と為す。是れを桓公と為す。桓公の元年、鄭、璧を以て天子の許田に易ふ。二年、宋の賂鼎を以て太廟に入る。君子之を譏る。三年、揮をして婦を斉に迎へて夫人と為さしむ。六年、夫人子を生む。桓公と日を同じくす。故に名づけて同と曰ふ。同長じ、太子と為る。十六年、曹に会し、鄭を伐ち、厲公を入る。十八年春、公将に行くこと有らんとし、遂に夫人と斉に如く。申繻諫めて止むるも、公聴かず、遂に斉に如く。斉の襄公、桓公の夫人に通ず。公、夫人を怒る。夫人以て斉侯に告ぐ。夏四月丙子、斉の襄公、公を饗す。公酔ふ。公子彭生をして魯の桓公を抱かしめ、因りて彭生に命じて其の脅を摺かしむ。公、車に死す。魯人、斉に告げて曰く、「寡君、君の威を畏れ、敢て寧居せず、来りて好礼を修む。礼成りて反らず。咎を帰する所無し。請ふ彭生を得て丑を諸侯に除かん」と。斉人、彭生を殺して以て魯に説く。太子同を立つ。是れを荘公と為す。荘公の母夫人、因りて斉に留まり、敢て魯に帰らず。荘公の五年冬、衛を伐ち、衛の恵公を内る。八年、斉の公子糾来奔す。九年、魯、子糾を斉に内れんと欲するも、桓公に後る。桓公、兵を発して魯を撃つ。魯急にして、子糾を殺す。召忽死す。斉、魯に告げて生きながら管仲を致さしむ。魯人施伯曰く、「斉の管仲を得んと欲するは、之を殺すに非ず、将に之を用ひんとするなり。之を用ひば則ち魯の患と為らん。殺して其の尸を以て之に与ふるに如かず」と。荘公聴かず、遂に管仲を囚にして斉に与ふ。斉人、管仲を相とす。十三年、魯の荘公、曹沬と斉の桓公に柯に会す。曹沬、斉の桓公を劫かし、魯の侵地を求め、已に盟ひて桓公を釈く。桓公約に背かんと欲す。管仲諫め、卒に魯の侵地を帰す。
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史記 魯周公世家抑々魯君、罪を鬼神に有するか。願はくは君且く待て」と。斉の景公之に従ふ。二十八年、昭公晋に如き、入らんことを求む。季平子、晋の六卿に私す。六卿、季氏の賂を受け、晋君を諫む。晋君乃ち止め、昭公を乾侯に居らしむ。二十九年、昭公鄆に如く。斉の景公、人をして昭公に書を賜はしめ、自ら『主君』と謂ふ。昭公之を恥ぢ、怒りて乾侯に去る。三十一年、晋、昭公を内れんと欲し、季平子を召す。平子、布衣跣行し、六卿に因りて罪を謝す。六卿為に言ひて曰く、「晋、昭公を内れんと欲するも、衆従はず」と。晋人止む。三十二年、昭公、乾侯に卒す。魯人共に昭公の弟宋を立てて君と為す。是れを定公と為す。定公立つ。趙簡子、史墨に問ひて曰く、「季氏亡びんか」と。史墨対へて曰く、「亡びず。季友は魯に大功有り、鄪を受けて上卿と為る。文子・武子に至りて、世々其の業を増す。魯の文公卒し、東門遂、適を殺して庶を立つ。魯君是に於て国政を失ふ。政は季氏に在ること、今に於て四君なり。民、君を知らず。何を以てか国を得ん。是を以て君為る者は器と名とを慎み、以て人に仮す可からず」と。定公の五年、季平子卒す。陽虎私に怒り、季桓子を囚へ、与に盟ひて、乃ち之を舎く。七年、斉、我を伐ち、鄆を取りて、以て魯の陽虎の邑と為し以て政に従はしむ。八年、陽虎、尽く三桓の適を殺し、而して更めて其の善くする所の庶子を立てて以て之に代へんと欲す。季桓子を載せて将に之を殺さんとす。桓子詐りて脱るるを得たり。三桓共に陽虎を攻む。陽虎、陽関に居る。九年、魯、陽虎を伐つ。陽虎斉に奔り、已にして晋の趙氏に奔る。十年、定公、斉の景公と夾谷に会す。孔子相事を行ふ。斉、魯君を襲はんと欲す。孔子、礼を以て階を歴し、斉の淫楽を誅す。斉侯懼れ、乃ち止め、魯の侵地を帰して過ちを謝す。十二年、仲由をして三桓の城を毀ち、其の甲兵を収めしむ。
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史記 斉太公世家五月壬辰、霊公卒す。荘公即位し、太子牙を句竇の丘に執へて、之を殺す。八月、崔杼、高厚を殺す。晋、斉の乱を聞き、斉を伐ちて高唐に至る。荘公の三年、晋の大夫欒盈、斉に奔る。荘公厚く客として之を待す。晏嬰・田文子諫むるも、公聴かず。四年、斉の荘公、欒盈をして間かに晋の曲沃に入りて内応と為らしめ、兵を以て之に随ひ、太行に上り、孟門に入る。欒盈敗れ、斉の兵還りて、朝歌を取る。六年、初め、棠公の妻好し。棠公死し、崔杼之を取る。荘公之に通じ、数々崔氏に如き、崔杼の冠を以て人に賜ふ。待者曰く、「不可なり」と。崔杼怒り、其の晋を伐つに因りて、晋と合謀して斉を襲はんと欲するも間を得ず。荘公嘗て宦者賈挙を笞うつ。賈挙復た侍し、崔杼の為に公を間ひて以て怨に報ゆ。五月、莒子斉に朝す。斉、甲戌を以て之を饗す。崔杼病と称して事を視ず。乙亥、公、崔杼の病を問ひ、遂に崔杼の妻に従ふ。崔杼の妻室に入り、崔杼と自ら戸を閉ぢて出でず。公、柱を擁して歌ふ。宦者賈挙、公の従官を遮りて入り、門を閉づ。崔杼の徒、兵を持ちて中より起る。公、台に登りて解かんことを請ふも、許さず。盟はんことを請ふも、許さず。自ら廟に殺さんことを請ふも、許さず。皆曰く、「君の臣杼、疾病にして、命を聴く能はず。公宮に近し。陪臣、淫する者有るを争ひ趣へ、二命を知らず」と。公、墻を踰ゆ。公の股を射中つ。公反りて墜つ。遂に之を弑す。晏嬰、崔杼の門外に立ちて、曰く、「君、社稷の為に死すれば則ち之に死し、社稷の為に亡ぐれば則ち之に亡ぐ。若し己の為に死し己の為に亡ぐれば、其の私暱に非ずんば、誰か敢て之に任ぜん」と。門開きて入り、公の尸を枕にして哭し、三たび踴りて出づ。人、崔杼に謂ふ、「必ず之を殺せ」と。崔杼曰く、「民の望なり。之を舎けば民を得ん」と。丁丑、崔杼、荘公の異母弟杵臼を立つ。是れを景公と為す。景公の母は、魯の叔孫宣伯の女なり。
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史記 斉太公世家忽曰く、「鄭は小にして斉は大なり、我が敵に非ず」と。遂に之を辞す。三十二年、釐公の同母弟夷仲年死す。其の子を公孫無知と曰ふ。釐公之を愛し、其の秩服奉養をして太子に比せしむ。三十三年、釐公卒し、太子諸児立つ。是れを襄公と為す。襄公の元年、始め太子為りし時、嘗て無知と闘ふ。立つに及び、無知の秩服を絀く。無知怨む。四年、魯の桓公、夫人と斉に如く。斉の襄公は故嘗て魯の夫人と私通す。魯の夫人とは、襄公の女弟なり。釐公の時より嫁して魯の桓公の婦と為る。桓公の来るに及びて襄公復た通ず。魯の桓公之を知り、夫人を怒る。夫人以て斉の襄公に告ぐ。斉の襄公、魯君と飲み、之を酔はしめ、力士彭生をして抱きて魯君の車に上らしめ、因りて魯の桓公を拉殺す。桓公車を下れば則ち死せり。魯人以て譲を為す。而して斉の襄公、彭生を殺して以て魯に謝す。八年、紀を伐つ。紀、遷りて其の邑を去る。十二年、初め、襄公、連称・管至父をして葵丘を戍らしむ。瓜の時にして往き、瓜に及びて代らしめんとす。往きて戍ること一歳、瓜の時を卒ふるも公は為に代を発せず。或ひと為に代を請ふも、公許さず。故に此の二人怒り、公孫無知に因りて乱を作さんと謀る。連称に従妹有りて公宮に在り、寵無し。之をして襄公を間はしめて、曰く「事成らば女を以て無知の夫人と為さん」と。冬十二月、襄公、姑棼に游び、遂に沛丘に猟す。彘を見る。従者曰く「彭生なり」と。公怒りて之を射る。彘、人のごとく立ちて啼く。公懼れ、車より墜ちて足を傷つけ、屨を失ふ。反りて屨を主る者茀を鞭うつこと三百。茀、宮を出づ。而して無知・連称・管至父等、公の傷つけるを聞き、乃ち遂に其の衆を率ゐて宮を襲ふ。屨を主る茀に逢ふ。茀曰く、「且く入りて宮を驚かすこと無かれ。宮を驚かさば未だ入り易からざるなり」と。無知信ぜず。茀、之に創を示す。乃ち之を信ず。宮外に待ち、茀をして先づ入らしむ。茀先づ入り、即ち襄公を戸の間に匿す。
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