説苑 / 說叢
天與不取,反受其咎;時至不迎,反受其殃;天地無親,常與善人。天道有常,不為堯存,不為桀亡;積善之家,必有餘慶;積惡之家,必有餘殃。一噎之故,絕穀不食;一蹶之故,卻足不行。心如天地者明,行如繩墨者章。位高道大者從,事大道小者凶;言疑者無犯,行疑者無從;蠹蝝仆柱梁,蚊虻走牛羊。
新字:天与不取,反受其咎;時至不迎,反受其殃;天地無親,常与善人。天道有常,不為堯存,不為桀亡;積善之家,必有余慶;積悪之家,必有余殃。一噎之故,絶穀不食;一蹶之故,卻足不行。心如天地者明,行如縄墨者章。位高道大者従,事大道小者凶;言疑者無犯,行疑者無従;蠹蝝仆柱梁,蚊虻走牛羊。
書き下し
天與えて取らざれば、反って其の咎を受く。時至りて迎えざれば、反って其の殃を受く。天地親しむ無く、常に善人に與す。天道常有り、堯の為に存せず、桀の為に亡びず。善を積むの家には、必ず餘慶有り。惡を積むの家には、必ず餘殃有り。一噎の故に、穀を絕ちて食らわず。一蹶の故に、足を卻けて行かず。心天地の如き者は明らかに、行い繩墨の如き者は章らかなり。位高くして道大なる者は從い、事大にして道小なる者は凶なり。言疑わしき者は犯す無く、行い疑わしき者は從う無し。蠹蝝は柱梁を仆し、蚊虻は牛羊を走らす。
現代語訳
天が与えてくれるのに受け取らなければ、かえってその咎めを受ける。好機が到来したのに迎え入れなければ、かえって災いを受ける。天地は特定の者を親愛することはなく、常に善人に味方する。天の道には一定の法則があり、堯のために特別に存続することもなければ、桀のために滅びることもない。善行を積む家には必ず余慶(子孫にまで及ぶ幸い)があり、悪行を積む家には必ず余殃(子孫にまで及ぶ災い)がある。一度食べ物を喉に詰まらせたからといって、以後穀物を絶って食べないのは愚かである。一度躓いたからといって、以後足を退けて歩かないのも愚かである。心が天地のように公平無私な者は物事に明るく、行いが墨縄のようにまっすぐな者は物事が明らかになる。地位が高く行うべき道も大きい者には人々が従うが、任務は大きいのに徳が小さい者には凶事が起こる。言葉に疑わしいところがある者を人は侵さず、行いに疑わしいところがある者に人は従わない。小さな蠹(木食い虫)や蝝(いなご)でも大きな柱や梁を倒すことがあり、小さな蚊や虻でも牛や羊を走らせて苦しめることがある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 伯夷列伝或いは曰く、「天道は親無く、常に善人に与す」と。伯夷・叔斉の若きは、善人と謂ふ可き者か、非ざるか。仁を積み行ひを潔くすること此くの如くして餓死す。且つ七十子の徒、仲尼独り顔淵をのみ薦めて学を好むと為すも、然るに回や、屢々空しく、糟糠にだも厭かずして、卒に蚤夭す。天の善人に報施するは、其れ何如ぞや。盗跖は日々不辜を殺し、人の肉を肝し、暴戻恣睢にして、党を聚むること数千人、天下に横行するも、竟に寿を以て終はる。是れ何の徳に遵ふや。此れ其の尤も大いに彰明較著なる者なり。近世に至るが若きは、操行軌ならず、専ら忌諱を犯し、而も身を終ふるまで逸楽し、富厚にて世を累ぬるも絶えず。或いは地を択びて之を蹈み、時ありて然る後に言を出だし、行ひは径に由らず、公正に非ずんば憤りを発せず、而るに禍災に遇ふ者は、勝げて数ふ可からざるなり。余、甚だ惑ふ。儻くは所謂天道は、是か非か。
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言志四録・南洲手抄自ら彊めて息まざるは天道なり、君子の以ゐる所なり。虞舜の孳孳として善を為し、大禹の日に孜孜せんことを思ひ、成湯の苟に日に新にせる、文王の遑あき暇あらざる、周公の坐して以て旦を待つ、孔子の憤りを発して食を忘るる如きは、皆是なり。彼の徒に静養瞑坐を事とすのみならば、則ち此の学脈と背馳す。
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呂氏春秋・圜道①天道は圜、地道は方なり。聖王、之に法り、上下を立つる所以なり。何を以て天道の圜なるを説くや。精氣一上一下し、圜周復雜して、稽留する所無し。故に天道は圜なりと曰う。何を以て地道の方なるを説くや。萬物類を殊にし形を殊にして、皆分職有り、相為すを能わず。故に地道は方なりと曰う。主は圜を執り、臣は方に處る。方圜易わらざれば、其の國は乃ち昌ゆ。
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尚書・大禹謨満(まん)は損(そん)を招き、謙(けん)は益(えき)を受く、時(こ)れ乃(すなわ)ち天道なり。
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史記 仲尼弟子列伝冉耕、字は伯牛。孔子、以て徳行有りと為す。伯牛、悪疾有り、孔子往きて之を問ひ、牖より其の手を執り、曰く、「命なるかな、斯の人にして斯の疾有るや、命なるかな」と。
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二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、天道(てんどう)は自然(しぜん)なり、人道(じんどう)は天道に随(したが)ふといへ共(ども)、又(また)人為(じんい)なり、人道を尽(つく)して天道に任(まか)すべし、人為を忽(ゆるがせ)にして、天道を恨(うら)むる事勿(なか)れ、夫(そ)れ庭前(ていぜん)の落葉(らくよう)は天道なり、無心にして日々夜々に積(つも)る、是(これ)を払(はら)はざるは人道に非(あら)ず、払へども又落(お)つる、之(これ)に心を煩(わずら)はし、之に心を労し、一葉(いちよう)落つれば、箒(ほうき)を取りて立(た)つが如(ごと)き、是塵芥(じんかい)の為に、役(やく)せらるゝなり、愚(ぐ)と云ふべし、木の葉の落つるは天道なり、人道を以て、毎朝一度は払ふべし、又落つるとも捨置(すてお)きて、無心の落葉に役せらるゝ事勿れ、又人道を忽にして積り次第にする事勿れ、是人道なり、愚人といへども悪人といへども、能(よ)く教ふべし、教へて聞かざるも、是に心を労する事勿れ、聞かぬとて捨(す)つる事なく、幾度(いくたび)も教ふべし、教へて用(もち)ひざるも憤(いきどお)る事勿れ、聞かずとて捨つるは不仁(ふじん)なり、用ひぬとて憤るは不智(ふち)なり、不仁不智は徳者(とくしゃ)の恐るゝ処なり、仁智(じんち)二つ心掛(こころが)けて、我が徳を全(まっと)うすべし。