甲陽軍鑑 / 品第六
能人の埋るゝも世のならひ、惡き者うゆるもならひ、善惡をまぜあはするは皆是天道なりと心得べし一丹波國赤井と云男、七歲にて人を伐、赤井惡右衞門と名をよばれ、五畿内におひて己が人數五百千はかりにて敵五千六千をも數度戰て惡右衞門かたずといふことなし一四國阿波の三善修理太夫殿は、
新字:能人の埋るゝも世のならひ、悪き者うゆるもならひ、善悪をまぜあはするは皆是天道なりと心得べし一丹波国赤井と云男、七歳にて人を伐、赤井悪右衛門と名をよばれ、五畿内におひて己が人数五百千はかりにて敵五千六千をも数度戦て悪右衛門かたずといふことなし一四国阿波の三善修理太夫殿は、
書き下し
能人の埋るゝも世のならひ、悪き者うゆるもならひ、善悪をまぜあはするは皆是天道なりと心得べし一丹波国赤井と云男、七歳にて人を伐、赤井悪右衛門と名をよばれ、五畿内におひて己が人数五百千はかりにて敵五千六千をも数度戦て悪右衛門かたずといふことなし一四国阿波の三善修理太夫殿は、
現代語訳
能ある人が埋もれるのも世のならい、悪い者が芽を出すのもならい。善悪を混ぜ合わせるのは、みなこれ天道であると心得るべし。一、丹波国に赤井という男、七歳にて人を斬り、赤井悪右衛門と名を呼ばれ、五畿内において自分の人数五百千ばかりで敵の五千六千をも数度戦って、悪右衛門が勝たずということはなかった。一、四国阿波の三好修理太夫殿は、
解説
世は正しく報いないという事実を、恨みではなく天道の側に置いて受け取る。よい者が埋もれ悪い者が伸びる、その混ざり方そのものが天の配りだという。次から始まる三好修理太夫の話が、まさに祈りと果報をめぐる問答になる。よい者が埋もれ悪い者が伸びる、その混ざり方そのものが天の配りだという。恨みではなく、受け取り方の側で処理している。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
天道不遇世評善悪人事受容
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『初学訓』巻之一一凡人は天地のめぐみをうけて生れ、天地の心をうけて心とし、天地の養を得て身をやしなふ。かかる天地の大恩をうけて、天地の内に住みながら、天地のわれにあたへ給へる心の徳を捨てて保たず。天地の道にそむきて行はず。其上、天地の、子としてあはれみ給へる人倫と、次には鳥獣をそこなひ苦めて不仁なるは、天地の御心にそむきて、罪深し。是天地のにくみ給ふ所なり。天道は恐るべし、侮りて背くべからず。一人として、天をおそれず人をあはれまず、悪これより大なるはなし。悪を行へば天のにくみ給ふ所、天の譴のがれがたし。即時にわざはひあると、後に禍来るとのかはりあれども、悪をなして禍なきの理なし。又天地の御心に従ひて背かざる人は、天地のめぐみありて、必ず福あり。もしは、其福早く来らざれども、後必ず福有りて禍なし。もし我が身に福なければ、必ず子孫にいたりて福あり。是必然の理なり。古の聖人の教明らかなり。聖人の言おそるべし、信ずべし、疑ふべからず。古を引くにも及ばず、近世にも此ためし多し。
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『初学訓』巻之三一天道は、人の善に福し、悪に禍し給ふ。是人のしわざの善悪によりて、天より、福と禍とを報い給へる理なり。是は、天道の常理なり、疑ふべからず。又人の生質によりて、富貴、貧賤、禍福、寿夭あり。或は、時によりて不意に吉凶あり。皆是、陰陽の変化にして、人の生れつきにより、気を禀くること厚薄あり。厚き気をうけたる人は富貴にして福あり。薄き気をうけたる人は、貧賤にして禍あり。又、長き気をうけたるは寿く、短き気をうけたるは夭し。天の陰陽の気をうけて如斯なれば、すべて天命といふ。
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『翁問答』上卷之末体充問曰、つらつら人物のありさまを考へ見るに、よきものは少なく、あしきものは多し、よき者は育ちがたくあしきものは育ち易し、人間には賢人君子まれなり、たまたまあれども或は不幸短命なり、愚痴不肖は世界にみちみちて沢山なり、盗賊などをば何れの代にもさがし、求めてころせどもたらず、鳥には鳳凰はまれにて鳶鴉は雲霞の如し、獣には麒麟は世にまれにて狐狸は其かずをしらず、草木には霊草名木はすくなくして、名もなき雑木野草は山野にみてり、天道は純粋至善なりと承はりをよび候へば、よきものは多くあしきものは少なきはずにて候へ、かへつてあしき者の沢山なるは、何たる道理にて御座候や。
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『十善法語』巻第一・不殺生戒此中初ニ人事ヲ全クシテ不殺生戒ヲ護持スル。人事カ全ケレハ自ラ天道アルコトヲ知ル。天道カ全ケレハ自ラ本性ニ達スル。生死相続縁起ノ趣ニ通達スル時節アルヘキシヤ。天地ノ天地タル所。大人ノ大人タル所ハ。生トシ生ル者ニ悉ク其所ヲ得セシムルニアル。万物ヲ各各生育メ止マヌ処ニアル。仏出世ニモアレ。仏不出世ニモアレ。此道常ニ存在シテ。世間ニ住スルシヤ。支那国ニモ。大人君子ハ自ラ此心アルシヤ。左伝ニ。叔了軍タチシテ費ヲ囲ム。初敗軍ス。平子怒テ云。費人ヲ見ハ執ヘヨト。冶区夫云。然ラス。若費人ヲ見ハ。寒タル者ニハ衣ヲ与ヘ。飢タル者ニハ食ヲ与ヘヨト。平子コレニ従フ。一年ヲ経テ其功有タト云コトシヤ。
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『翁問答』上卷之末師の曰、よき不審にて候、それは易学をよくきはめざれば、合点ゆきかぬる所にて候へども大かたをかたり候はん、夫賢人君子鳳凰麒麟などを善とさだめ、愚痴不肖鳶狐狸などを悪とさだめ、善悪の二字にてさたし、それをそのまゝ天道におしあてがふによつて一しほうたがひまし候、先根本をよく考へ見て、さて枝葉をよく吟味したるがよく候、天道を根本として生れ出たる万物なれば、天道は人物の大父母にして根本なり、人物は天道の子孫にして枝葉なり根本の天道純粋至善なれば、その枝葉の人物もみな善にして悪なしと得心すべし、瓜づるに茄子はならぬといへるが如し、
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『初学訓』巻之五惜むべし。和漢の古の事を考ふるにも、此道理たがはず。されども、遠きことを引くにも及ばず、わが日の本百年以来、このごろに至りて、まのあたりに見聞きたる、世間の諸人のなせることを考へ見て、其益あると益なきとを知るべし。凡そ俗人は、無学にして道理に暗きのみならず、利分の損得をも知らず。故に、善を行ひて天道にかなへば、必ず天喜び、人喜びて、禍なく福あり。悪を行ひて天道に背けば、必ず天怒り人恨みて、禍あり、福なきことを知らず。つねに天道を畏れずして、かへつて侮り背き、私を恣にし、ことさら、天の子としてあはれみ給へる人を恵まずして、侮り苦め、身のわざはひを求め、身の亡ぶることをなして楽とす。つひに天道神明の責をかうぶりて、亡びざれば止まず。かなしむべきかな。是れ道理に暗きのみならず、損得をも知らざるなり。