春秋左氏伝 / 隠公二年 向姜、莒を去る
二年春,公會戎于潛,修惠公之好也。戎請盟,公辭。莒子娶于向,向姜不安莒而歸。夏,莒人入向,以姜氏還。司空無駭入極,費庈父勝之。戎請盟。秋,盟于唐,復修戎好也。九月,紀裂繻來逆女,卿為君逆也。冬,紀子帛、莒子盟于密,魯故也。鄭人伐衛,討公孫滑之亂也。
新字:二年春,公会戎于潜,修恵公之好也。戎請盟,公辞。莒子娶于向,向姜不安莒而帰。夏,莒人入向,以姜氏還。司空無駭入極,費庈父勝之。戎請盟。秋,盟于唐,復修戎好也。九月,紀裂繻来逆女,卿為君逆也。冬,紀子帛、莒子盟于密,魯故也。鄭人伐衛,討公孫滑之乱也。
書き下し
二年春、公戎と潛に會す、惠公の好を修むるなり。戎盟を請ふ、公辭す。莒子向に娶る、向姜莒に安んぜずして歸る。夏、莒人向に入り、姜氏を以って還る。司空無駭極に入る、費庈父之に勝つ。戎盟を請ふ。秋、唐に盟ふ、復た戎の好を修むるなり。九月、紀の裂繻來りて女を逆ふ、卿君の為に逆ふるなり。冬、紀の子帛・莒子密に盟ふ、魯の故なり。鄭人衛を伐つ、公孫滑の亂を討つなり。
現代語訳
隠公二年の春、隠公は戎と潜で会見した。父の恵公の代からの友好を修めるためである。戎は盟約を求めたが、隠公は断った。莒の君は向の国から妻を娶ったが、その向姜は莒での暮らしになじめず、実家の向へ帰ってしまった。夏、莒の人は向に攻め入り、姜氏を連れ戻した。魯の司空の無駭が極に攻め入った。費庈父がこれを攻め取ったのである。戎が再び盟約を求めた。秋、唐で盟約した。改めて戎との友好を修めたのである。九月、紀の大夫・裂繻が魯に来て、魯の公女を嫁に迎えた。卿が主君に代わって花嫁を迎えに来たのである。冬、紀の子帛(裂繻)と莒の君が密で盟約した。魯との関係を取り持つためであった。鄭の人が衛を攻めた。公孫滑をかくまって起こした乱(廩延を奪ったこと)を罰するためである。
解説
この章句が説くこと
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