春秋繁露 / 『春秋繁露』重政第十三・師は要点を教え惑わさない
能說鳥獸之類者、非聖人所欲說也;聖人所欲說、在於說仁義而理之、知其分科條別、貫所附、明其義之所審、勿使嫌疑、是乃聖人所貴而已矣;不然、傳於眾辭、觀於眾物、說不急之言、而以惑後進者、君子之所甚惡也、奚以為哉!聖人思慮、不厭晝日、繼之以夜、然後萬物察者仁義矣、由此言之、尚自為得之哉!故曰:於乎!為人師者、可無慎邪!
新字:能説鳥獣之類者、非聖人所欲説也;聖人所欲説、在於説仁義而理之、知其分科条別、貫所附、明其義之所審、勿使嫌疑、是乃聖人所貴而已矣;不然、伝於衆辞、観於衆物、説不急之言、而以惑後進者、君子之所甚悪也、奚以為哉!聖人思慮、不厭昼日、継之以夜、然後万物察者仁義矣、由此言之、尚自為得之哉!故曰:於乎!為人師者、可無慎邪!
書き下し
能く鳥獣の類を説く者は、聖人の説かんと欲する所に非ず。聖人の説かんと欲する所は、仁義を説きて之を理め、其の分科条別を知り、附する所を貫き、其の義の審らかなる所を明らかにして、嫌疑あらしむる勿きに在り。是れ乃ち聖人の貴ぶ所のみ。然らずして、衆辞に伝え、衆物を観、不急の言を説きて、以て後進を惑わす者は、君子の甚だ悪む所なり。奚ぞ以て為さんや。聖人の思慮は、昼日を厭わず、之に継ぐに夜を以てし、然る後に万物の察かなる者は仁義なり。此れに由りて之を言えば、尚お自ら之を得たりと為さんや。故に曰く、於乎、人の師為る者は、慎む無かるべけんや。
現代語訳
鳥や獣の類をよく説くことは、聖人が説きたいことではありません。聖人が説きたいのは、仁義を説いて整理し、分類や条目の区別を知り、結びつくところを貫き、その義がつまびらかなところを明らかにして、疑いを残さないことです。これこそ聖人が貴ぶところです。そうでなく、多くの言葉に頼って伝え、多くの物事を見て、急ぎでもない話を説いて、後から学ぶ者を惑わすことは、君子が最も憎むところです。そんなことをして何になるでしょうか。聖人の思慮は、昼間だけでは足りず、それに夜を継いで、その後にようやく万物のうち明らかになるのは仁義です。これによって言えば、まだ自分が得たと思えるでしょうか。ですから、ああ、人の師となる者は、慎まずにいられるでしょうか。
解説

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