春秋繁露 / 『春秋繁露』竹林第三・民を苦しめぬ手段を先に
且春秋之法、凶年不修舊、意在無苦民爾;苦民尚惡之、況傷民乎!傷民尚痛之、況殺民乎!故曰:凶年修舊則譏、造邑則諱、是害民之小者、惡之小也;害民之大者、惡之大也、今戰伐之於民、其為害幾何!考意而觀指、則春秋之所惡者、不任德而任力、驅民而殘賊之;其所好者、設而勿用、仁義以服之也。
新字:且春秋之法、凶年不修旧、意在無苦民爾;苦民尚悪之、況傷民乎!傷民尚痛之、況殺民乎!故曰:凶年修旧則譏、造邑則諱、是害民之小者、悪之小也;害民之大者、悪之大也、今戦伐之於民、其為害幾何!考意而観指、則春秋之所悪者、不任徳而任力、駆民而残賊之;其所好者、設而勿用、仁義以服之也。
書き下し
且つ春秋の法は、凶年には旧きを修めず。意は民を苦しむること無きに在るのみ。民を苦しむるすら尚お之を悪む、況んや民を傷つくるをや。民を傷つくるすら尚お之を痛む、況んや民を殺すをや。故に曰く、凶年に旧きを修むれば則ち譏り、邑を造れば則ち諱む、と。是れ民を害すること小なる者は、悪むこと小なり。民を害すること大なる者は、悪むこと大なり。今、戦伐の民に於けるや、其の害を為すこと幾何ぞ。意を考え指を観れば、則ち春秋の悪む所の者は、徳に任ぜずして力に任じ、民を駆りて之を残賊するなり。其の好む所の者は、設けて用いず、仁義を以て之を服するなり。
現代語訳
そもそも春秋の法では、凶作の年には古い建物の修繕をしません。その意図は、民を苦しめないことにあるだけです。民を苦しめることでさえ憎むのに、まして民を傷つけることはなおさらです。民を傷つけることでさえ心を痛めるのに、まして民を殺すことはなおさらです。ですから「凶年に古い建物を修繕すれば譏り、新しい町を造れば憚って書かない」と言うのです。これは民を害することが小さい者は、憎むことも小さく、民を害することが大きい者は、憎むことも大きいということです。いま戦争が民に及ぼす害は、どれほどのものでしょうか。意図と趣旨をよく考えれば、春秋が憎むのは、徳に頼らず力に頼り、民を駆り立てて損ない傷つけることです。好むのは、兵を設けても用いず、仁義によって人を従わせることです。
解説

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