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呂氏春秋 / 振亂②

凡為天下之民長也,慮莫如長有道而息無道,賞有義而罰不義。今之世,學者多非乎攻伐。非攻伐而取救守,取救守則鄉之所謂長有道而息無道、賞有義而罰不義之術不行矣。天下之長民,其利害在察此論也。攻伐之與救守一實也,而取舍人異,以辨說去之,終無所定論。固不知,悖也;知而欺心,誣也。誣悖之士,雖辨無用矣。是非其所取而取其所非也,是利之而反害之也,安之而反危之也。為天下之長患、致黔首之大害者,若說為深。夫以利天下之民為心者,不可以不熟察此論也。

新字:凡為天下之民長也,慮莫如長有道而息無道,賞有義而罰不義。今之世,學者多非乎攻伐。非攻伐而取救守,取救守則鄉之所謂長有道而息無道、賞有義而罰不義之術不行矣。天下之長民,其利害在察此論也。攻伐之与救守一実也,而取舎人異,以辨説去之,終無所定論。固不知,悖也;知而欺心,誣也。誣悖之士,雖辨無用矣。是非其所取而取其所非也,是利之而反害之也,安之而反危之也。為天下之長患、致黔首之大害者,若説為深。夫以利天下之民為心者,不可以不熟察此論也。

書き下し

凡そ天下の民の長と為るや、慮るに有道を長じて無道を息め、有義を賞して不義を罰するに如く莫し。今の世、學者は多く攻伐を非とす。攻伐を非として救守を取る。救守を取れば、則ち嚮の所謂有道を長じて無道を息め、有義を賞して不義を罰するの術は行われず。天下の民に長たる、其の利害は此の論を察するに在るなり。攻伐と救守とは一實なり。而るに取舍人ごとに異なり、辨説を以て之を去り、終に論を定むる所無し。固より知らざるは、悖なり。知れども心を欺むくは、誣なり。誣悖の士は、辨なりと雖も用無し。是れ其の取る所を非として、其の非とする所を取るなり。是れ之を利して反って之を害するなり。之を安んぜんとして反って之を危うくするなり。天下の長患を為し、黔首の大害を致す者は、若き説を深しと為す。夫れ天下の民を利するを以て心と為す者は、以て此の論を熟察せざる可からざるなり。

現代語訳

そもそも天下の民の長となる者にとって、有道を伸ばし無道を止め、義ある者を賞し不義を罰するにまさる配慮はない。今の世の学者は多く攻伐(討伐)を非難する。攻伐を非難して救守(防衛援助)を支持するが、それでは先に述べた「有道を伸ばし無道を止め、義を賞し不義を罰する」という道が行われなくなる。天下の民の長たる者の利害は、この論をよく察するかどうかにある。攻伐と救守は実は同じ一つのことなのに、人によって取捨が分かれ、弁舌で攻伐を退け、ついに定まった結論が出ない。もともと分からないのは道理に反する「悖」、分かっていて心を偽るのは「誣」である。誣悖の士は、弁が立っても役に立たない。それは取るべきものを非とし、非とすべきものを取ることで、利するつもりが害し、安んじるつもりが危うくする。天下に長い患いをもたらし人民に大害を及ぼすのは、この誤った説こそが深い。天下の民を利することを心とする者は、この論を熟考せずにはいられない。

解説

攻伐(討伐)と救守(防衛援助)は本来同じ一事だと論じ、攻伐を一律に非難する当時の学者を批判した一段です。義の有無を問わず攻伐を退ければ、無道を止め不義を罰する道が行われなくなると説き、無知による誤りを悖、承知で心を偽るのを誣と呼んで退けます。墨家の非攻論などを念頭に、戦の是非は義か不義かで判断すべきだという呂氏春秋の立場を鮮明にします。表面的な善悪二分ではなく本質を見極めよという主張は、物事の是非を問う現代の議論にも通じます。

この章句が説くこと

攻伐救守義兵非攻悖誣振乱

この一句を、あなたの毎日に。

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