弁名 / 道
又有曰夏之道曰殷之道曰周之道者。蓋道者。堯舜所立。萬世因之。然又有隨時變易者。故一代聖人有所更定。立以爲道。而一代君臣由之以行焉。是非必前代之道有所未足而更改之也。亦非必前代之道已爲至。而我故更改欲新天下之耳目也。亦非必萬世因之者爲道之至。而隨時更易者爲次也。乃一代聖人有所前知數百歲之後。而以此維持世運。使不遽趨衰者存焉。自非聖人之智。未能與知其所以更改之意者也。凡諸雜見傳記者。如某善。某未善。及夏忠殷質周文之類。皆孔子論禮樂之緒言。亦以其時言之。其時正値制作之秋故也。非孔子優劣其道焉。如告顏淵四代禮樂。亦學者以爲萬世不易之制者。非矣。
新字:又有曰夏之道曰殷之道曰周之道者。蓋道者。堯舜所立。万世因之。然又有随時変易者。故一代聖人有所更定。立以為道。而一代君臣由之以行焉。是非必前代之道有所未足而更改之也。亦非必前代之道已為至。而我故更改欲新天下之耳目也。亦非必万世因之者為道之至。而随時更易者為次也。乃一代聖人有所前知数百歳之後。而以此維持世運。使不遽趨衰者存焉。自非聖人之智。未能与知其所以更改之意者也。凡諸雑見伝記者。如某善。某未善。及夏忠殷質周文之類。皆孔子論礼楽之緒言。亦以其時言之。其時正値制作之秋故也。非孔子優劣其道焉。如告顔淵四代礼楽。亦学者以為万世不易之制者。非矣。
書き下し
又た夏の道と曰ひ殷の道と曰ひ周の道と曰ふ者有り。蓋し道なる者は、堯舜の立つる所にして、万世之に因る。然れども又た時に随ひて変易する者有り。故に一代の聖人更定する所有りて、立てて以て道と為し、而して一代の君臣之に由りて以て行ふ。是れ必ずしも前代の道に未だ足らざる所有りて之を更改するに非ざるなり。亦た必ずしも前代の道已に至れりと為して、我故らに更改して天下の耳目を新たにせんと欲するに非ざるなり。亦た必ずしも万世之に因る者を道の至りと為して、時に随ひて更易する者を次と為すに非ざるなり。乃ち一代の聖人数百歳の後を前知する所有りて、此を以て世運を維持し、遽かに衰へに趨かざらしむる者存す。聖人の智に非ざるよりは、未だ其の更改する所以の意を与り知ること能はざる者なり。凡そ諸々の雑へて伝記に見ゆる者、某は善し、某は未だ善からずと、及び夏は忠、殷は質、周は文の類の如きは、皆孔子の礼楽を論ずるの緒言なり。亦た其の時を以て之を言ふ。其の時正に制作の秋に値ふが故なり。孔子其の道を優劣するに非ず。顔淵に四代の礼楽を告ぐるが如きも、亦た学者以て万世不易の制と為す者は、非なり。
現代語訳
また「夏の道」「殷の道」「周の道」という言い方がある。思うに道は堯・舜が立てたもので、万世がそれを受け継いできた。しかし時代に応じて変わる部分もある。だから一つの王朝の聖人が改め定めるところがあって、それを道として立て、その王朝の君臣はそれに拠って行った。これは前の王朝の道に足りない点があったから改めたというわけでは必ずしもない。前の王朝の道がすでに完成していたのに、わざと改めて天下の耳目を新しくしようとしたわけでもない。万世受け継がれる部分が道の極みで、時代に応じて変わる部分が二流だというわけでもない。実は、その王朝の聖人が数百年後を見通して、これによって世の勢いを保ち、急に衰えに向かわないようにした意図があるのである。聖人の知恵がなければ、改めた理由に思い至ることはできない。伝記類にまじって見える、何々はよい、何々はまだよくない、といった評や、「夏は忠、殷は質、周は文」といった類は、みな孔子が礼楽を論じたときの言葉の端々である。それも当時の状況に即して言ったもので、ちょうど礼楽を制作すべき時期にあたっていたからである。孔子が道の優劣をつけたのではない。顔淵に四代の礼楽を語ったのも、学者がそれを万世不変の制度だとするのは誤りである。
解説
この章句が説くこと
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孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
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『講孟余話』盡心下 第三十八章但だ三代以上は道天子に在り、故に道を伝ふると云ふも、大氐礼楽制度なり。礼楽制度は道の文に顕るる者なり。故に堯・舜・禹の如く聖々相承くる者は、別に礼楽制度を論ずるを待たず、唯だ精一の訓あるのみ。殷周易代の際に当りては、前王の礼楽制度に因りて其の道を伝ふるのみにて、別に精一等の口授をすべき様なし。然れども道已に其の中に充ちて其の外に顕るるなり。周衰へて孔孟起り、君相の位なければ、礼楽制度を以て道を伝ふること能はず、徒に仁義道徳を誦して伝ふる迄なり。孟子死後其の伝を得ずとは雖も、荀卿・揚雄・王通・韓愈、宋の周・程・張・朱の如き、皆伝ふる所なしと云ふべからず。其の他漢の司馬遷・劉向、唐の柳宗元、宋の欧陽脩の如き、皆肩を比して相下らず。然れども後世事愈々繁く、論愈々密に、道愈々分るるの弊を免れず。向に周の亡びて秦の天子たるや、悉く三代の礼楽制度を除去し、刑法律令を以て天下を制す。秦自ら滅絶して以来、漢の高祖・光武、唐の太宗、宋の芸祖、明の太祖の如き、千古の英雄一世の聖賢と雖も、其の刑法律令は大氐秦の故に因る。又頗る周の礼楽制度を交へて是れを文飾す。然れども刑法律令は自ら刑法律令、礼楽制度は自ら礼楽制度にて、道の其の中に充実し、外に発越するを見ず。是に於て仁義道徳、已に儒者の私有となり、人君徒に刑法律令礼楽制度の虚名を擁するのみとはなれり。然れども人君儒者、真に憂ひを茲に担ひて其の分裂を傷む者は、明君通儒となることを得、然らざる者は、庸君迂儒たるのみ。
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『徂徠先生答問書』卷上一再三被仰聞候趣致承知候。如何様にも只今迄の御学問邪魔に成候て御了簡も付不申と存候。前書申進候趣は、数百年来の儒者の誤候処にて御座候得ば、容易には御得心も出来申間敷候間。今一往根元の処より具に可申述候。堯舜禹湯文武を古の聖人と申候。皆古の人君にて御座候。道と申候は、天下国家を平治可被成候為に、聖人の建立被成候道にて候。是を天地自然の道と見申候事は、元老荘の説より起り申候事にて、儒書には無之事に候。尤聖人の広大甚深なる智慧にて、人情物理にさかはぬ様に御立候へば、無理なる事は毫髪も無之候へども、聖人出給はぬ以前より、天地に自然と備はり有之候道理にて今日の人も我心に立帰り求め候へば、をのづから見え申候事と説候は誤りにて候。
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『弁道』第三則道とは統名なり。礼楽刑政凡そ先王の建つる所の者を挙げて、合はせて之に命くるなり。礼楽刑政を離れて別に所謂道なる者有るに非ざるなり。曰ふが如し、「賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る。文武の道有らざること莫し」と。又た武城の絃歌の如き、孔子に牛刀の誚り有り、而して子游君子小人の道を学ぶを引く。見るべきのみ。孔安国の註に、「道は礼楽を謂ふなり」と。古時の言語、漢儒猶ほ其の伝を失はざるかな。
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『講孟余話』離婁上 首章此の章、徒善にても徒法にても用を済まさず、法と善と兼備するに非ざれば不可なることを云ひて、重きを法に帰し、仁心仁聞ありて民其の沢を被らざるを議る。孟子の所謂法は即ち王政なり、仁政なり、五畝の宅・百畝の田・庠序学校の設けの類なり。然れども後世政を執る者深く察せず、却つて此の語に誤らるる者あり。宋の王安石、明の方孝孺の如き皆是れなり。安石・孝孺皆謂へらく、政の要は法の善悪にありと。故に務めて法度を紛更変易せんと欲す。是れ大いに非なり。大凡道に汚隆あり徳に厚薄ありと云へども、創業垂統の主は必ず百世に伝ふるの制度ある者なり。故に守成の臣子たる者は務めて祖宗の法制を講究し、且つ徒法にならざる様にするは徳を修むるにあるのみ。若し己の徳を修むるを知らず、祖宗の法制あるをも知らず、別に先王の法を求め周室の制に倣ふ時は、必ず枘鑿矛盾して大害大変を生ずること必せり。是れ安石・孝孺の誤る所なり。然らば孟子の説は非か。云ふ、否。治を為すは太甚を去るべし。孟子の時諸国の政大いに乱る。故に其の太甚を去りて是れを成周の旧に復せんと欲するなり。且つ孟子の時大いに乱ると雖も、猶周家の余緒を承く。宋明の周制を用ひ旧制を変じ、大いに人情に戾り衆目を駭かす如きに非ざるなり。是れ知らざるべからず。
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『徂徠先生答問書』卷下士大夫たる人も、君を輔て国天下を治むる手伝をする人なれば、聖人の道を知らずして、尸録の譏免れがたく候故道をば学び候。只我身ひとつを仏にも聖人にもなすといふ様なる物ずき成事にては無之と可被思召候。其上聖人に成得れば国天下はをのづから治まるといはゞ、君を輔相せんに其君を聖人に成得んと思ふ内に、年も老日も暮れて、国天下は何れの日にか平治すべく候や。宋儒有体而無用といへる譏も、其学術の誤より出たる事にて、遁るゝに所なく候。能く御思慮可被成候。畢竟国天下を治候仕様を道といふと申候事を嫌ひ候心根は、礼楽刑政を粗迹と見て、道は一段精微なる物と思ふ所病根に候。道は精粗もなく本末もなく、一以貫之候。然るに精を貴んで粗を賤んずるは仏老の緒余に候。此所大切の分れめに候。
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