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荀子 / 天論篇

百王之無變,足以為道貫。一廢一起,應之以貫,理貫不亂。不知貫,不知應變。貫之大體未嘗亡也。亂生其差,治盡其詳。故道之所善,中則可從,畸則不可為,匿則大惑。水行者表深,表不明則陷。治民者表道,表不明則亂。禮者,表也。非禮,昏世也;昏世,大亂也。故道無不明,外內異表,隱顯有常,民陷乃去。

新字:百王之無変,足以為道貫。一廃一起,応之以貫,理貫不乱。不知貫,不知応変。貫之大体未嘗亡也。乱生其差,治尽其詳。故道之所善,中則可従,畸則不可為,匿則大惑。水行者表深,表不明則陥。治民者表道,表不明則乱。礼者,表也。非礼,昏世也;昏世,大乱也。故道無不明,外內異表,隠顕有常,民陥乃去。

書き下し

百王の變ぜざるは、以て道の貫(かん)と為すに足る。一(いつ)は廢れ一は起こるも、之に應ずるに貫を以てし、貫を理(おさ)めて亂れず。貫を知らざれば、變に應ずるを知らず。貫の大體は未だ嘗(かつ)て亡びざるなり。亂は其の差(たが)いに生じ、治は其の詳(つまび)らかを盡くす。故に道の善しとする所は、中(あた)れば則ち從うべく、畸(かたよ)れば則ち為すべからず、匿(かく)るれば則ち大いに惑う。水を行く者は深きを表(ひょう)す。表明らかならざれば則ち陷(おちい)る。民を治むる者は道を表す。表明らかならざれば則ち亂る。禮なる者は、表なり。禮に非ざれば、昏世(こんせい)なり。昏世は、大亂なり。故に道は明らかならざる無く、外內に表を異にし、隱顯(いんけん)に常有れば、民の陷ること乃ち去る。

現代語訳

歴代の王たちを通じて変わらなかったもの、それは道の筋(貫)とするに足るものである。あるものは廃れ、あるものは起こるが、それに対しては変わらぬ筋道をもって応じ、その筋道を整えておけば乱れることはない。筋道を知らなければ、変化に応じることもできない。筋道の根本は、これまで一度も失われたことがない。乱れはその筋道からの食い違いから生じ、治まりはその筋道を細部まで尽くすことから生まれる。だから道が善しとするところは、それに的中していれば従ってよく、偏っていれば行ってはならず、隠されて見えなければ大いに惑うことになる。川を渡る者は深みに目印を立てる。目印がはっきりしなければ、はまり込んでしまう。民を治める者は道に目印を立てる。目印がはっきりしなければ、世は乱れる。礼とは、その目印である。礼がなければ、世は闇である。闇の世は、大乱である。だから道はすみずみまで明らかで、外と内とで目印を使い分け、隠れた部分と現れた部分に一定の法則があれば、民が落とし穴にはまることはなくなる。

解説

変化にどう応じるかを説く段です。歴代の王を通じて変わらなかったもの——それを荀子は「貫」、つまり一本通った筋道と呼びます。制度は廃れたり起こったりするが、貫さえ整えておけば乱れない。逆に貫を知らない者は、変化に応じることもできない。変化対応力の土台は、変わらない原理を握っていることだ、というわけです。そして荀子は見事な比喩を出します。川を渡るときは深みに目印を立てる。目印が不明瞭なら人ははまり込む。同じように民を治める者は道に目印を立てねばならず、その目印こそが「礼」だと。礼を単なる作法ではなく、社会が踏み外さないための可視化されたガイドとして捉えているのが面白いところです。組織のルールも同じで、意図が見えない・基準が曖昧な決まりは、人を落とし穴に落とします。何が変わらぬ筋道で、その筋道がどこに立っているのか。まずそれを明示することが、変化に強い組織の条件です。

この一句を、あなたの毎日に。

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