諸葛亮集 / 後出師表・第二段
臣受命之日,寢不安席,食不甘味,思惟北征,宜先入南,故五月渡瀘,深入不毛,幷日而食。臣非不自惜也,顧王業不得偏安於蜀都,故冒危難以奉先帝之遺意也,而議者謂爲非計。今賊適疲於西,又務於東,兵法乘勞,此進趨之時也。
新字:臣受命之日,寝不安席,食不甘味,思惟北征,宜先入南,故五月渡瀘,深入不毛,幷日而食。臣非不自惜也,顧王業不得偏安於蜀都,故冒危難以奉先帝之遺意也,而議者謂為非計。今賊適疲於西,又務於東,兵法乗労,此進趨之時也。
書き下し
臣、命を受くるの日より、寝ぬるに席に安んぜず、食らふに味を甘しとせず。北征を思惟するに、宜しく先づ南に入るべし、故に五月瀘を渡り、深く不毛に入り、日を并せて食らへり。臣は自ら惜しまざるに非ず。顧ふに王業は蜀都に偏安するを得ず、故に危難を冒して以て先帝の遺意を奉ずるなり。而るに議する者は謂ひて非計と為す。今、賊は適々西に疲れ、又た東に務む。兵法は労に乗ず、此れ進趨の時なり。
現代語訳
私は命を受けた日から、寝ても席に安んじられず、食べても味を甘いと感じませんでした。北伐を考えるにあたり、まず南に入るべきだと考え、五月に瀘水を渡り、深く不毛の地に入り、二日分を一日で食べるような苦労をしました。私とて自分の身を惜しまないわけではありません。ただ、王業は蜀の都に偏って安んじてはいられないと考え、危難を冒して先帝の遺志を奉じたのです。それなのに、論じる者は私の策を誤りだと言います。いま賊は西で疲れ、さらに東の対応に追われています。兵法は敵が疲れた隙に乗じることを説きます。いまこそ進むべき時です。
解説
南征で自ら苦労を重ねたことを述べ、批判を受けつつもなお北伐を主張する一段です。寝食も安らがなかった、という言葉に責任の重さが表れています。諸葛亮は、批判する者がいても、敵が西と東の両方で手を取られている今は、兵法でいう乗ずべき時だと状況判断を示します。ただし、この文書は真偽に議論があるため、思想の紹介として読む姿勢が必要です。現代では、反対意見があっても、タイミングの根拠を示して説明する姿勢が、実行する者の責任だと読めます。
この章句が説くこと
寝不安席南征不毛非計兵法乗労進趨の時
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