諸葛亮集 / 後出師表・第一段
先帝慮漢賊不兩立,王業不偏安,故託臣以討賊也。以先帝之明,量臣之才,故知臣伐賊才弱敵强也。然不伐賊,王業亦亡,惟坐待亡,孰與伐之?是故託臣而弗疑也。
新字:先帝慮漢賊不両立,王業不偏安,故託臣以討賊也。以先帝之明,量臣之才,故知臣伐賊才弱敵強也。然不伐賊,王業亦亡,惟坐待亡,孰与伐之?是故託臣而弗疑也。
書き下し
先帝は漢賊の両立せず、王業は偏安せざるを慮る。故に臣に託するに賊を討つを以てするなり。先帝の明を以て、臣の才を量れば、故より臣の賊を伐つに、才弱くして敵強きを知る。然れども賊を伐たざれば、王業も亦た亡ぶ。惟だ坐して亡ぶを待たんよりは、孰与ぞ之を伐たん。是の故に臣に託して疑はざるなり。
現代語訳
先帝は、漢と賊(魏)は並び立たず、王業は一隅に安んじてはいられないとお考えでした。そのため、賊を討つことを私に託されたのです。先帝の見識で私の才を推し量れば、私が賊を討つのに、才が弱く敵が強いことは、もとよりご存じでした。しかし賊を討たなければ、王業もまた滅びます。ただ座して滅びを待つのと、討って出るのと、どちらがよいでしょうか。だからこそ、私に託して疑われなかったのです。
解説
後出師表の冒頭です。この文は『漢晉春秋』が伝えるもので、陳寿の『三国志』には載らず、後世の偽作や仮託とする説もあります。ここでは、蜀の小さな領土に安住していても、いずれ滅びるという論理が示されます。「座して亡びを待つより、討って出るほうがまし」という一節は、勝ち目が薄くても動かざるを得ない状況を言い当てます。変化の中で、現状維持が最も安全だとは限りません。リスクを取らない危険も含めて意思決定を考える材料になります。
この章句が説くこと
漢賊不両立偏安座して亡びを待つ才弱敵強託して疑はず後出師表
関連する章句
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