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初学訓 / 巻之五

一心に仁を保ち、身に善を行ふこと眞實にして、人の知らんことを求めず、善を行ひし報のさいはひ有らんことを願はざる、これ、陰德なり。陰德を行ふこと、かくの如くにして久しければ、善積ること窮りなし。豈樂しからざらんや。後漢の明帝、其弟東平王に問うて、汝家に居ては、何をか樂とするや、とのたまひしに、東平王答へて、善をすること最樂し、といへり。凡そ世間の樂に、善をするほど、いとおもしろく樂むべきこと、其外に又何かあらんや。匹夫のともがらも、善をすれば樂あり。日に善を行ひて止まずんば、其つもれる樂、限なかるべし。况や、富貴の人をや。東平王の答宜なり。善を行ふこと、かくの如くなれば、求めざれども、おのづから天道神明の惠ありて、禍なく、福あり。

新字:一心に仁を保ち、身に善を行ふこと真実にして、人の知らんことを求めず、善を行ひし報のさいはひ有らんことを願はざる、これ、陰徳なり。陰徳を行ふこと、かくの如くにして久しければ、善積ること窮りなし。豈楽しからざらんや。後漢の明帝、其弟東平王に問うて、汝家に居ては、何をか楽とするや、とのたまひしに、東平王答へて、善をすること最楽し、といへり。凡そ世間の楽に、善をするほど、いとおもしろく楽むべきこと、其外に又何かあらんや。匹夫のともがらも、善をすれば楽あり。日に善を行ひて止まずんば、其つもれる楽、限なかるべし。況や、富貴の人をや。東平王の答宜なり。善を行ふこと、かくの如くなれば、求めざれども、おのづから天道神明の恵ありて、禍なく、福あり。

書き下し

一心に仁を保ち、身に善を行ふこと真実にして、人の知らんことを求めず、善を行ひし報のさいはひ有らんことを願はざる、これ、陰徳なり。陰徳を行ふこと、かくの如くにして久しければ、善積ること窮りなし。豈楽しからざらんや。後漢の明帝、其弟東平王に問うて、汝家に居ては、何をか楽とするや、とのたまひしに、東平王答へて、善をすること最楽し、といへり。凡そ世間の楽に、善をするほど、いとおもしろく楽むべきこと、其外に又何かあらんや。匹夫のともがらも、善をすれば楽あり。日に善を行ひて止まずんば、其つもれる楽、限なかるべし。況や、富貴の人をや。東平王の答宜なり。善を行ふこと、かくの如くなれば、求めざれども、おのづから天道神明の恵ありて、禍なく、福あり。

現代語訳

心に仁を保ち、身に善を行うことが真実で、人に知られることを求めず、善を行った報いの幸いがあることを願わない、これが陰徳です。陰徳を行うことが、このようにして久しければ、善を積むことに限りがありません。どうして楽しくないことがありましょうか。後漢の明帝が、その弟の東平王に「あなたは家にいて何を楽しみとしているか」とお尋ねになったところ、東平王は「善をすることが最も楽しい」と答えました。およそ世間の楽しみの中で、善をすることほど、とても面白く楽しむべきことが、ほかに何がありましょうか。身分の低い者でも、善をすれば楽しみがあります。毎日善を行ってやまなければ、その積もった楽しみは限りがないでしょう。まして富貴な人はなおさらです。東平王の答えはもっともです。善を行うことがこのようであれば、求めなくても、自然に天道や神明の恵みがあって、禍がなく福があります。

解説

報いを求めない陰徳を積むことの楽しさを説く条です。後漢の明帝の弟、東平王劉蒼が「善を為すこと最も楽し」と答えた逸話は『後漢書』に見え、益軒が特に好んだ言葉の一つです。晩年の『楽訓』にも通じる、益軒の幸福論の核心といえます。見返りを期待して行う善は、報われないと不満になります。しかし善を行うこと自体を楽しめば、その楽しみは毎日積み重なっていきます。人の役に立てたときの静かな喜びこそ、最も確かな楽しみなのです。

この章句が説くこと

陰徳楽しみ善東平王後漢書

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