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初学訓 / 巻之五

凡、養生の術、其細なることは、方書に多く載せたりと雖も、其大要は、かくの如くなるに過ぎざるのみ。一心は靜かなるべし、騒がしかるべからず。靜かなれば明かなり。靜かならざれば、心闇くして、道理を曉りがたし。流水は、動きて影をうつさず、止水は、靜かなるゆゑ明かなるが如し。慮は深かるべし、淺かるべからず。慮は思慮なり。慮ふかければ、見ること遠く、聞くこと審かにして、見聞に迷はず。慮淺ければ、見ること聞くことに迷ひやすく、人に欺かれ、身の禍人の憂を知らず、遠く久しきを考へず、先見の明なし。心を靜にして、思案を好み、思慮を深くして、事の是非と後の禍を考ふべし。一萬事を行ふに、待といふ字を用ふべし。待とは、急ならざる事はいそがずして、心しづかに思案し、詳に行ふをいふ。

新字:凡、養生の術、其細なることは、方書に多く載せたりと雖も、其大要は、かくの如くなるに過ぎざるのみ。一心は静かなるべし、騒がしかるべからず。静かなれば明かなり。静かならざれば、心闇くして、道理を暁りがたし。流水は、動きて影をうつさず、止水は、静かなるゆゑ明かなるが如し。慮は深かるべし、浅かるべからず。慮は思慮なり。慮ふかければ、見ること遠く、聞くこと審かにして、見聞に迷はず。慮浅ければ、見ること聞くことに迷ひやすく、人に欺かれ、身の禍人の憂を知らず、遠く久しきを考へず、先見の明なし。心を静にして、思案を好み、思慮を深くして、事の是非と後の禍を考ふべし。一万事を行ふに、待といふ字を用ふべし。待とは、急ならざる事はいそがずして、心しづかに思案し、詳に行ふをいふ。

書き下し

凡、養生の術、其細なることは、方書に多く載せたりと雖も、其大要は、かくの如くなるに過ぎざるのみ。一心は静かなるべし、騒がしかるべからず。静かなれば明かなり。静かならざれば、心闇くして、道理を暁りがたし。流水は、動きて影をうつさず、止水は、静かなるゆゑ明かなるが如し。慮は深かるべし、浅かるべからず。慮は思慮なり。慮ふかければ、見ること遠く、聞くこと審かにして、見聞に迷はず。慮浅ければ、見ること聞くことに迷ひやすく、人に欺かれ、身の禍人の憂を知らず、遠く久しきを考へず、先見の明なし。心を静にして、思案を好み、思慮を深くして、事の是非と後の禍を考ふべし。一万事を行ふに、待といふ字を用ふべし。待とは、急ならざる事はいそがずして、心しづかに思案し、詳に行ふをいふ。

現代語訳

およそ養生の術の細かいことは、医書に多く載っているけれども、その大要はこのようなものにすぎません。心は静かであるべきで、騒がしくあってはいけません。静かであれば明らかです。静かでなければ、心は暗くて道理を悟りがたい。流れる水は動いていて影を映さず、止まった水は静かなので明らかであるようなものです。慮りは深くあるべきで、浅くあってはいけません。慮りとは思慮のことです。慮りが深ければ、見ることは遠く、聞くことは詳しくて、見聞に迷いません。慮りが浅ければ、見ることや聞くことに迷いやすく、人に欺かれ、身の禍や人の憂いを知らず、遠く久しい先を考えず、先を見る目がありません。心を静かにして思案を好み、思慮を深くして、事の是非と後の禍を考えるべきです。あらゆる事を行うには、「待」という字を用いるべきです。待とは、急がなくてよい事は急がずに、心静かに思案して、詳しく行うことをいいます。

解説

養生の話から、心の持ち方へと移ります。流れる水は物を映さず、止まった水は鏡のように映すという喩えは『荘子』徳充符篇に由来します。心が静かであってこそ物事がよく見え、思慮が深くなって先の禍を見通せるというのです。そして何事にも「待」の字を用いよと説きます。情報や刺激に絶えずさらされる現代、心を静める時間を持つことはますます難しくなっています。だからこそ、急がなくてよいことはひと呼吸おいて考える習慣が大切なのです。

この章句が説くこと

静思慮待つ止水荘子

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