初学訓 / 巻之四
一善を好み、惡を嫌ふことの誠なるは、誠意のことなり。是、人の行の第一のつとめにて、行の初なり。善を好むことは、好き色の如く、惡をきらふことは、惡しき臭の如くすべし。是、善を好み惡を嫌ふこと誠あるなり。もし、善と知れども、實に好まずして行はず、惡と知れども、實に嫌はずして去らざる、之を自欺くといふ。自欺とは、善を好み惡を嫌ふこと、眞實ならざるをいふ。自ら欺くことを誠めて、好惡の二に眞實にして、僞なかるべし。是、第一の心法なり。
新字:一善を好み、悪を嫌ふことの誠なるは、誠意のことなり。是、人の行の第一のつとめにて、行の初なり。善を好むことは、好き色の如く、悪をきらふことは、悪しき臭の如くすべし。是、善を好み悪を嫌ふこと誠あるなり。もし、善と知れども、実に好まずして行はず、悪と知れども、実に嫌はずして去らざる、之を自欺くといふ。自欺とは、善を好み悪を嫌ふこと、真実ならざるをいふ。自ら欺くことを誠めて、好悪の二に真実にして、偽なかるべし。是、第一の心法なり。
書き下し
一善を好み、悪を嫌ふことの誠なるは、誠意のことなり。是、人の行の第一のつとめにて、行の初なり。善を好むことは、好き色の如く、悪をきらふことは、悪しき臭の如くすべし。是、善を好み悪を嫌ふこと誠あるなり。もし、善と知れども、実に好まずして行はず、悪と知れども、実に嫌はずして去らざる、之を自欺くといふ。自欺とは、善を好み悪を嫌ふこと、真実ならざるをいふ。自ら欺くことを誠めて、好悪の二に真実にして、偽なかるべし。是、第一の心法なり。
現代語訳
善を好み悪を嫌うことが誠であるのは、誠意のことです。これは人の行いの第一の務めであり、行いの初めです。善を好むことは、美しい色を好むように、悪を嫌うことは、悪臭を嫌うようにすべきです。これが善を好み悪を嫌うことに誠があるということです。もし善と知っていても本当に好まずに行わず、悪と知っていても本当に嫌わずに去らないのを、自らを欺くといいます。自らを欺くとは、善を好み悪を嫌うことが真実でないことをいいます。自らを欺くことを戒めて、好悪の二つに真実であって、偽りがないようにすべきです。これが第一の心の法です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之六・躬行上一善を好み、悪をきらふことの誠なるは、大学の誠意の事にて、身を修め、道を行ふ初なり。善を好み、悪をきらはざれば、道の行はるべきやうなし。学者の最初よりつとむべきこと、是より急なるはなし。善を好むことは、たとへば好き色を好むが如く、悪をきらふ事は、悪しき臭をきらふが如くすべし。是誠に好みきらふなり。諸人のきらふ事多けれど、悪臭ほどいむべき物なし。好むこと多けれど、好色に過ぎたるものなし。是皆諸人の真実に好みきらふものなれば、善を好み、悪をきらふことも、また如此真実なるべしとなり。是誠によく人をさとすべき譬なり。もし心の内に、すでに善悪を知れども、好みきらふ事実ならずして、善を行はず、悪を去らざるは、これを自欺と云ふ。自欺とは、わが心の内、実ならざるを云ふ。善を好み、悪をきらふ事、まことならざれば、万の行みないつはりとなりて、道おこなはるべからず。たとへば草木の根なきが如く、家をつくるにもとゐ無きがごとし。おこなひの本たたず。ここを以て、道をおこなはんと思はば、先此こころざしを立つるを、はじめとすべし。
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『大和俗訓』巻之二・為学下悪むとはきらふなり。此時善をこのみ悪をきらふ事、真実にしていつはりなきを、誠意といふ。たとへば善を好む事は、好色を好むが如くにし、悪をにくむことは、悪臭をきらふがごとくに真実なるべし。是つとめ行ふ初なり。善をこのみ、悪をきらふ事、真実ならざれば、本たたずして万の道行はれず。故に此後正心修身斉家治国平天下の工夫も、皆是を以て初とす。されば大学の八条目は、格物と誠意を以て要とす。格物は知のはじめなり。誠意は行のはじめなり。格物なくして万の理をきはめざれば、智明ならずして善悪をわかちがたければ、迷ひてさとらず。夢のいまださめざるが如し。誠意なくして、善をこのみ悪をきらふ意、誠ならざれば、道を行ふべき基なくして、いまだ善人とはいひがたし。故に此二を以て、致知力行のはじめとする事むべならずや。
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『初学訓』巻之三一学問する人は、まづ、誠の心を本として、善を好みてつねに勤め行ひ、悪を嫌ひてつとめ去るべし。学問の道、善を行ひ悪を去るをむねとす。学んで書を読めども、善を好まず行はざれば用なし。わが身の過を改め、悪を去りて善を行ひ、殊に、孝弟を本として、人倫を憐み、其分に応じて、人に施し救ひ、其位に随ひて、人を敬ふべし。これ愛敬の二は、およそ人にまじはる心法なり。
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大学謂う所の其の意を誠にすとは、自ら欺くこと毋(な)きなり。悪臭を悪(にく)むが如く、好色を好むが如し。此れ之れ自ら謙(快)くすと謂う。故に君子は必ず其の独りを慎むなり。小人閑居して不善を為し、至らざる所無し。君子を見て而後厭然(えんぜん)として、其の不善を掩(おお)い、而して其の善を著(あらわ)す。人の己を視ること、其の肺肝を見るが如然(ごと)し。則ち何の益か有らん。此れ中(うち)に誠なれば外に形(あらわ)ると謂う。故に君子は必ず其の独りを慎むなり。曾子曰く、「十目の視る所、十手の指さす所、其れ厳なるかな」と。富は屋(いえ)を潤し、徳は身を潤す。心広くして体胖(ゆた)かなり。故に君子は必ず其の意を誠にす。
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『大和俗訓』巻之二・為学下一凡人には必生れつきたる良智ありて、いかなる愚者も、善悪をすこしはわきまへ知れり。其上学問して理をきはめ、其智やうやく開けぬれば、善を善とし、悪を悪とする心いよいよ明かになりぬ。されども、善をこのみ悪をきらふに誠なければ、善行はれず、悪去らずして、生れつきたる良智のちからも、学問して知れる所も、皆無用となりぬ。此故に学者道を行はんと思はば、まづ善を好み悪をきらふに誠あるべし。故に誠意の工夫尤切なり。
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伝習録・薛侃録守衡問う、「『大学』の工夫は只だ是れ誠意。誠意の工夫は只だ是れ格物なり。修・斉・治・平も、只だ誠意にて尽くる。又た正心の功有り。忿懥・好楽する所有らば則ち其の正を得ずとは、何ぞや」と。先生曰く、「此れは自ら思いて之を得るを要す。此を知らば則ち『未発の中』を知らん」と。守衡、再三請う。曰く、「学を為すの工夫に浅深有り。初めの時、若し著実に意を用いて善を好み悪を悪むに去かずんば、如何ぞ能く善を為し悪を去らん。這の著実に意を用うるは便ち是れ誠意なり。然れども心の本体は原と一物無きを知らずして、一向、意を著けて善を好み悪を悪めば、便ち又た這の分の意思を多くす。便ち是れ廓然大公ならず。『書』に所謂る『好を作し悪を作す有る無し』とは、方に是れ本体なり。所以に説く、『忿懥・好楽する所有らば、則ち其の正を得ず』と。心を正すは只だ是れ誠意の工夫の裏面に自家の心体を体当し、常に鑑の空しく衡の平らかなるを要するなり。這れ便ち是れ『未発の中』なり」と。
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