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初学訓 / 巻之一

一人は、天地の性をうけて、心に天理を生れつきたれば、其本性はもとより善なり。萬物にすぐれ、禽獸にかはれる所、こゝにあり。しかれども、食に飽き、衣を暖に著、居所を逸くしたるまでにて、人の道を知らざれば、禽獸に近し。禽獸も、飮みくらひ、身をやすくすることは、人にかはらず。人と禽獸のかはりは、只、天地の性にしたがひて、道を行ふと行はざるとにあり。古の聖人、人のをしへなく、道を知らずして、禽獸にちかきことを憂ひ給ひて、學問所をたて、師を立て、天下の人の人倫の道を敎させ給ふ。しかれば、人となるものは、必ず聖人のをしへにしたがひて、學問をつとめ、人の道を知りて行ふべし。人の道とは、人倫をあつくする道なり。聖人のをしへは、人倫の道を明らかにし給ふ敎なり。學者の學ぶ所も、同じく人倫を明らかにせんためなり。此外に、人の心法なく、人の道なしと知るべし。

新字:一人は、天地の性をうけて、心に天理を生れつきたれば、其本性はもとより善なり。万物にすぐれ、禽獣にかはれる所、こゝにあり。しかれども、食に飽き、衣を暖に著、居所を逸くしたるまでにて、人の道を知らざれば、禽獣に近し。禽獣も、飲みくらひ、身をやすくすることは、人にかはらず。人と禽獣のかはりは、只、天地の性にしたがひて、道を行ふと行はざるとにあり。古の聖人、人のをしへなく、道を知らずして、禽獣にちかきことを憂ひ給ひて、学問所をたて、師を立て、天下の人の人倫の道を教させ給ふ。しかれば、人となるものは、必ず聖人のをしへにしたがひて、学問をつとめ、人の道を知りて行ふべし。人の道とは、人倫をあつくする道なり。聖人のをしへは、人倫の道を明らかにし給ふ教なり。学者の学ぶ所も、同じく人倫を明らかにせんためなり。此外に、人の心法なく、人の道なしと知るべし。

書き下し

一人は、天地の性をうけて、心に天理を生れつきたれば、其本性はもとより善なり。万物にすぐれ、禽獣にかはれる所、ここにあり。しかれども、食に飽き、衣を暖に著、居所を逸くしたるまでにて、人の道を知らざれば、禽獣に近し。禽獣も、飲みくらひ、身をやすくすることは、人にかはらず。人と禽獣のかはりは、只、天地の性にしたがひて、道を行ふと行はざるとにあり。古の聖人、人のをしへなく、道を知らずして、禽獣にちかきことを憂ひ給ひて、学問所をたて、師を立て、天下の人の人倫の道を教させ給ふ。しかれば、人となるものは、必ず聖人のをしへにしたがひて、学問をつとめ、人の道を知りて行ふべし。人の道とは、人倫をあつくする道なり。聖人のをしへは、人倫の道を明らかにし給ふ教なり。学者の学ぶ所も、同じく人倫を明らかにせんためなり。此外に、人の心法なく、人の道なしと知るべし。

現代語訳

人は天地の性を受けて、心に天理を生まれ持っているので、その本性はもとより善です。万物にすぐれ、禽獣と異なるところはここにあります。けれども、食べ物に飽き、衣服を暖かく着て、住まいを安楽にしているだけで、人の道を知らなければ、禽獣に近いのです。禽獣も飲み食いし、身を安らかにすることは、人と変わりません。人と禽獣の違いは、ただ天地の性に従って道を行うか行わないかにあります。昔の聖人は、人が教えを受けず、道を知らずに禽獣に近いことを憂えられて、学問所を建て、師を立て、天下の人に人倫の道を教えさせられました。ですから人となる者は、必ず聖人の教えに従って学問に努め、人の道を知って行うべきです。人の道とは、人々を厚くする道です。聖人の教えは、人倫の道を明らかにされる教えです。学ぶ者が学ぶところも、同じく人倫を明らかにするためです。このほかに人の心の法はなく、人の道はないと知るべきです。

解説

『孟子』滕文公上篇には、衣食が足りて安楽に暮らしても教えがなければ禽獣に近いと聖人が憂え、人倫を教えさせたという話があり、この条はそれを下敷きにしています。人の本性は善でも、学ばなければ道は行えないというのが益軒の考えです。そして学問の目的は物知りになることではなく、人間関係を正しく厚くすることだと明言します。物が豊かな現代こそ、この指摘は重く響きます。暮らしが便利になっても、人との関わり方を学ばなければ豊かな人生にはならないのです。

この章句が説くこと

学問本性人倫教え聖人

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