樵談治要抄録 / 修行より政道
其人にあらずんば相應すべからず、律宗は一日の八齋戒をたもち、天台の圓頓戒などをうけん事はやすけれど、誠に二百五十戒などをたもたんこと、是又有がたかるべし、然るに淨土と禪との二の宗は、とりより所のたやすきにや侍らん、當世の人の、此の二の門に心ざさざるはすくなかるべし、それも人によるべきヿ也、天子の位にありては、まづ仁德の行をさきにし給て、朝儀のすたれたるをおこし給、大將軍の職に居して、武道をもぱらにして、萬民のうれへをすくはせ給はゞ、いかなる佛法修行にもまさるべきを、或は坐禪工夫にいとまなきと稱し、或は稱名安心にひまを得ざるといひて、やゝもすれば、向上のまんをおこし、又本願ほこりをなす事は、大なるあやまり也、昔梁の武帝は、佛法にかたぶけるあまり、大同寺に行幸ありて、みづから經を講じ給ひしかば、其世の群臣も、君の心ざしをうけて、苦空無常の觀をなしゝかば、天より花ふり、さま〱の奇瑞なども有しかど、文武の道をすて侍りしゆへに、侯景といふ臣、ひまをうかゞひ、
新字:其人にあらずんば相応すべからず、律宗は一日の八斎戒をたもち、天台の円頓戒などをうけん事はやすけれど、誠に二百五十戒などをたもたんこと、是又有がたかるべし、然るに浄土と禅との二の宗は、とりより所のたやすきにや侍らん、当世の人の、此の二の門に心ざさざるはすくなかるべし、それも人によるべきヿ也、天子の位にありては、まづ仁徳の行をさきにし給て、朝儀のすたれたるをおこし給、大将軍の職に居して、武道をもぱらにして、万民のうれへをすくはせ給はゞ、いかなる仏法修行にもまさるべきを、或は坐禅工夫にいとまなきと称し、或は称名安心にひまを得ざるといひて、やゝもすれば、向上のまんをおこし、又本願ほこりをなす事は、大なるあやまり也、昔梁の武帝は、仏法にかたぶけるあまり、大同寺に行幸ありて、みづから経を講じ給ひしかば、其世の群臣も、君の心ざしをうけて、苦空無常の観をなしゝかば、天より花ふり、さま〱の奇瑞なども有しかど、文武の道をすて侍りしゆへに、侯景といふ臣、ひまをうかゞひ、
書き下し
其人にあらずんば相應すべからず、律宗は一日の八齋戒をたもち、天台の圓頓戒などをうけん事はやすけれど、誠に二百五十戒などをたもたんこと、是又有がたかるべし、然るに淨土と禪との二の宗は、とりより所のたやすきにや侍らん、當世の人の、此の二の門に心ざさざるはすくなかるべし、それも人によるべきヿ也、天子の位にありては、まづ仁德の行をさきにし給て、朝儀のすたれたるをおこし給、大將軍の職に居して、武道をもぱらにして、萬民のうれへをすくはせ給はゞ、いかなる佛法修行にもまさるべきを、或は坐禪工夫にいとまなきと稱し、或は稱名安心にひまを得ざるといひて、やゝもすれば、向上のまんをおこし、又本願ほこりをなす事は、大なるあやまり也、昔梁の武帝は、佛法にかたぶけるあまり、大同寺に行幸ありて、みづから經を講じ給ひしかば、其世の群臣も、君の心ざしをうけて、苦空無常の觀をなしゝかば、天より花ふり、さま〱の奇瑞なども有しかど、文武の道をすて侍りしゆへに、侯景といふ臣、ひまをうかゞひ、
現代語訳
その器の人でなければ相応しません。律宗は一日の八斉戒を守り、天台の円頓戒などを受けることはたやすいけれど、本当に二百五十戒などを保つことは、これまたまれでしょう。ところが浄土と禅の二宗は、よりどころが取りつきやすいからでしょうか、当世の人でこの二門に心を向けない者は少ないでしょう。それも人によるべきことです。天子の位にあっては、まず仁徳の行いを先にして廃れた朝儀を興し、大将軍の職にあっては武道を専らにして万民の憂いを救われるならば、どんな仏法修行にもまさるはずです。それなのに、あるいは坐禅の工夫に暇がないと言い、あるいは称名の安心に暇が得られないと言って、ともすれば向上の慢心を起こし、また本願ぼこりをするのは大きな誤りです。昔、梁の武帝は仏法に傾くあまり、大同寺に行幸されて自ら経を講じられたので、その世の群臣も君の志を受けて苦・空・無常の観をなしたところ、天から花が降り、さまざまな奇瑞もありましたが、文武の道を捨てたために、侯景という臣が隙をうかがい、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』文質體用本末本末は猶ほ源流のごときなり。凡そ所謂本なる者は、皆其の功を施す所の始めを謂ふなり。「天下の本は国に在り、国の本は家に在り」の如き、皆是なり。後世本体・本心の説有るは、古書に無き所なり。「孝弟なる者は其れ仁の本たるか」の如き、亦た仁政を行ふは必ず孝弟より始むるを言ふなり。「喜怒の未だ発せざる、之を中と謂ふ。中なる者は天下の大本なり」の如き、乃ち聖人の道を立つるに、人の性に率ひて以て之を立つるを言ふ。亦た道の由りて始まる所を語るのみ。体用の説は古に無き所なり。仁斎先生之を辨ず、是と為す。礼運に「仁なる者は順の体なり」と曰ひ、燕義に「和寧は礼の用なり」と曰ふが如き、皆順を体し、礼を用ふるを謂ふのみ。
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『都鄙問答』卷之四・醫ノ志ヲ問ノ段答、博学は我も好む所なり、捨つるにあらず。然れども、医学熟して後のことなり。本末を正す時は、医学は本と知るべし。有子曰く、本立ちて道生ずと。本末の違へるは、君子の道にあらず。扠汝は、世俗の聞きなれぬことを云ふを、博学と思はれ候や。それは麁相なる了簡なり。良医は聞きなれぬことを云ふものに非ず。医書に、望聞問切と云ふことあり。先づ病人に望み、容体を見るを望と云ふ。様子を聞きて、病を知るを聞と云ふ。不審を問ひて察するを問と云ふ。脈を診て病を定むるを切と云ふ。然れば病人に望み、其の容体を観て後に、疾のことを言はせて聞き、又委細のことは、看病の者に問ひ、且つ脈を診て、我が意に合へるか合はざるかと得心して、薬を用ゆべきことなり。それに人の聞きなれぬことを云ひ、
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『講孟余話』盡心上 第四十三章師弟朋友は皆徳を以て交はる者なり、挟む所あるべからず。此の章、万章下篇第三章と并せ考ふべし。「已むべからざるに於て已む者は、已まざる所なし。厚くする所の者に於て薄くすれば、薄くせざる所なし」と云ふは、大学に「其の本乱れて末治まる者は否ず。其の厚くする所の者薄くして、其の薄くする所の者厚きは、未だ之れ有らざるなり」と云ふと同義なり。宜しく大学を以て解とすべし。
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新語・術事故に性は人に蔵れば、則ち気は天に達し、纖微浩大、下学上達す。事は類を以て相従い、声は音を以て相応ず。道唱えて徳和し、仁立ちて義興る。王者は之を朝廷に行い、疋夫は之を田に行う。末を治むる者は其の本を調え、其の影を端しくする者は其の形を正す。其の根を養う者は則ち枝葉茂り、志気調う者は即ち道沖たり。故に遠きを求むる者は近きを失う可からず、影を治むる者は其の容を忘る可からず。上明らかにして下清く、君聖にして臣忠なり。或いは遠きを図りて近きを失い、或いは道塞がりて路窮まる。季孫は顓臾の地を貪りて、変は蕭牆の内に起こる。夫れ進取する者は難を顧みざる可からず、事を謀る者は忠を尽くさざる可からず。故に刑立てば則ち徳散じ、佞用いらるれば則ち忠亡ぶ。詩に云う、「式て爾の心を訛し、以て万邦を蓄う」と。一心天下を化して、□□国治まるを言うは、此れを之れ謂うなり。
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『翁問答』上卷之末体充曰、左様候はゞ武芸文芸はいらぬものにて御座候や。師の曰、それは悪しき心得にて候本を捨てゝ末ばかりを求め学ぶ僻事なりといふ事にて候、根本の仁義を立ての上に文芸武芸に長じぬるは、本末兼備はる多能の君子にて、世俗の諺にいへる花も実もある人なり、本立つての上には文芸武芸ことのほか重宝なり、本末先後のこゝろへ簡要にて候。体充曰、本末兼備はる事ならざるものは、いかゞ仕り候はんや。師の曰、末を捨てゝ本を学びたるがよく候、文芸をしらずして文道をよく行ひ、武芸をしらずして武功を樹てたる人古来多し、これみな本を第一に勤めたる故にて候、よくよく心得べき事なり。
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『春秋左氏伝』桓公二年 本大にして末小惠の二十四年、晉始めて亂る。故に桓叔を曲沃に封じ、靖侯の孫欒賓之に傅たり。師服曰く、「吾聞く、國家の立つや、本大にして末小なり、是を以って能く固しと。故に天子は國を建て、諸侯は家を立て、卿は側室を置き、大夫は貳宗有り、士は隸子弟有り、庶人・工・商各々分親有り、皆等衰有り。是を以って民其の上に服事して、下に覬覦無し。今晉は、甸侯なり。而るに國を建つ。本既に弱し。其れ能く久しからんや」と。惠の三十年、晉の潘父昭侯を弒して桓叔を納れんとす、克たず。晉人孝侯を立つ。惠の四十五年、曲沃の莊伯翼を伐ち、孝侯を弒す。翼人其の弟鄂侯を立つ。鄂侯哀侯を生む。哀侯陘庭の田を侵す。陘庭の南鄙曲沃を啟きて翼を伐たしむ。

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