尚武論 / 武士道の自然と、歌や学の位置
未聞有以不幸罪之者。又池田輝政。爲害其父。永井氏請厚賞。日比半右衞門。爲殺其子。米邨市之丞爲揄揚之類。未聞有以斁天倫謗之者。此則我邦武士道也。他如婦人女子殺身立節操者。渠等初非學道者。我邦自然武士道。自然而識之也。徂徠曰。武士道。創于戰國。惡習也。闇齋曰。我邦有異端。所謂武士道是也。云云。此皆僻于儒之言也。余故曰。我方之士。宜體識武之尊於文。忠之尊於孝也。與爲徐庶。寧爲趙苞。與爲班固。寧爲班彪。不亦可乎。我邦苟無武士道。則武士不武士也。何可尊平哉。朝廷縉紳家。以倭歌爲我邦之道。夫和歌創于素盞烏尊。連歌基于日本武命。二神固非以此爲道者。假以述志耳。今之學者以學爲詩歌可也。以詩歌爲學。大不可也。人麻呂赤人。世以歌聖稱之。二人均文人也。固非知道者。以予觀之。則李杜之亞耳。我邦所道在于武。不在歌也。孔子嘗曰。乘桴浮于海。又曰。欲居九夷。豈有所取我邦耶。其所取果在武也。白石先生。欲以京師風易江戶。徂徠先生。欲以西土之風化日本。俱不知我邦之善有冠于世界者也。易曰。舍爾靈龜。觀我朶頤。二先生有焉。我邦之武。以弓馬爲重。故武士曰弓執。曰弓馬家。此皆古言也。西土以夷稱我邦。說文曰。夷字从大从弓。此。又以弓稱之。非若南蠻北狄。以獸稱之之類也。陸機要覽。稱我方之弓曰東弓。又邦人稱武士道。曰弓矢禮。爲是故也。我邦東北之士。最善弓馬。是以東北之武勇。特秀于天下。武田長尾之以武顯。以弓馬也。武士宜乘馬執弓不失古實也。聖人以詩書禮樂爲敎。以予觀之。我邦萬葉古今集。猶彼方詩也。
新字:未聞有以不幸罪之者。又池田輝政。為害其父。永井氏請厚賞。日比半右衛門。為殺其子。米邨市之丞為揄揚之類。未聞有以斁天倫謗之者。此則我邦武士道也。他如婦人女子殺身立節操者。渠等初非学道者。我邦自然武士道。自然而識之也。徂徠曰。武士道。創于戦国。悪習也。闇斎曰。我邦有異端。所謂武士道是也。云云。此皆僻于儒之言也。余故曰。我方之士。宜体識武之尊於文。忠之尊於孝也。与為徐庶。寧為趙苞。与為班固。寧為班彪。不亦可乎。我邦苟無武士道。則武士不武士也。何可尊平哉。朝廷縉紳家。以倭歌為我邦之道。夫和歌創于素盞烏尊。連歌基于日本武命。二神固非以此為道者。仮以述志耳。今之学者以学為詩歌可也。以詩歌為学。大不可也。人麻呂赤人。世以歌聖称之。二人均文人也。固非知道者。以予観之。則李杜之亜耳。我邦所道在于武。不在歌也。孔子嘗曰。乗桴浮于海。又曰。欲居九夷。豈有所取我邦耶。其所取果在武也。白石先生。欲以京師風易江戸。徂徠先生。欲以西土之風化日本。倶不知我邦之善有冠于世界者也。易曰。舎爾霊亀。観我朶頤。二先生有焉。我邦之武。以弓馬為重。故武士曰弓執。曰弓馬家。此皆古言也。西土以夷称我邦。説文曰。夷字从大从弓。此。又以弓称之。非若南蠻北狄。以獣称之之類也。陸機要覧。称我方之弓曰東弓。又邦人称武士道。曰弓矢礼。為是故也。我邦東北之士。最善弓馬。是以東北之武勇。特秀于天下。武田長尾之以武顕。以弓馬也。武士宜乗馬執弓不失古実也。聖人以詩書礼楽為教。以予観之。我邦万葉古今集。猶彼方詩也。
書き下し
未だ聞かず、不幸を以て之を罪する者有るを。又、池田輝政は其の父を害せんが為に、永井氏厚賞を請ひ、日比半右衛門は其の子を殺さんが為に、米村市之丞之を揄揚するの類、未だ聞かず、天倫を斁ると謗る者有るを。此れ則ち我が邦の武士道なり。他、婦人女子の身を殺して節操を立つる者のごときは、渠等初めより学道の者に非ず。我が邦自然の武士道、自然にして之を識るなり。徂徠曰く、武士道は戦国に創まる、悪習なり、と。闇斎曰く、我が邦に異端有り、所謂武士道是れなり、云云、と。此れ皆儒に僻せる言なり。余故に曰く、我が方の士、宜しく武の文より尊く、忠の孝より尊きを体識すべきなり、と。徐庶たらんよりは、寧ろ趙苞たれ。班固たらんよりは、寧ろ班彪たれ。亦可ならずや。我が邦苟くも武士道無くんば、則ち武士は武士ならざるなり。何ぞ尊ぶべけんや。朝廷縉紳家、倭歌を以て我が邦の道と為す。夫れ和歌は素盞烏尊に創まり、連歌は日本武命に基づく。二神は固より此れを以て道と為す者に非ず、仮りて以て志を述ぶるのみ。今の学者、学を以て詩歌を為すは可なり。詩歌を以て学と為すは、大いに不可なり。人麻呂・赤人、世に歌聖を以て之を称す。二人は均しく文人なり。固より道を知る者に非ず。予を以て之を観れば、則ち李杜の亜のみ。我が邦の道とする所は武に在り、歌に在らざるなり。孔子嘗て曰く、桴に乗りて海に浮かばん、と。又曰く、九夷に居らんと欲す、と。豈に我が邦に取る所有るか。其の取る所は果たして武に在るなり。白石先生は京師の風を以て江戸に易へんと欲し、徂徠先生は西土の風を以て日本を化せんと欲す。倶に我が邦の善の世界に冠たる者有るを知らざるなり。易に曰く、爾の霊亀を舎てて、我が朶頤を観る、と。二先生に有り。我が邦の武は、弓馬を以て重しと為す。故に武士を弓執と曰ひ、弓馬家と曰ふ。此れ皆古言なり。西土は夷を以て我が邦を称す。説文に曰く、夷の字は大に从ひ弓に从ふ、と。此れ又弓を以て之を称するなり。南蛮北狄の、獣を以て之を称するの類に非ざるなり。陸機の要覧に、我が方の弓を称して東弓と曰ふ。又邦人、武士道を称して弓矢の礼と曰ふは、是が為の故なり。我が邦東北の士、最も弓馬に善し。是を以て東北の武勇、特に天下に秀づ。武田・長尾の武を以て顕るるは、弓馬を以てなり。武士は宜しく馬に乗り弓を執り、古実を失はざるべきなり。聖人は詩書礼楽を以て教へと為す。予を以て之を観れば、我が邦の万葉・古今集は、猶ほ彼の方の詩のごとし。
現代語訳
これらを不孝だと罪した者はまだ聞いたことがありません。また池田輝政は父を害そうとして、永井氏が厚い賞を請い、日比半右衛門は子を殺そうとして、米村市之丞がこれを称える類の話も、天倫を損なうと非難した者を聞いたことがありません。これが我が国の武士道です。そのほか、婦人や女子が身を殺して節操を立てる者などは、彼女たちははじめから道を学んだ者ではありません。我が国の自然の武士道を、自然のうちに知っているのです。徂徠は「武士道は戦国に始まった悪習である」と言いました。闇斎は「我が国に異端がある。いわゆる武士道がそれである」云々と言いました。これらはみな儒に偏った言葉です。だから私は言います。我が国の士は、武が文より尊く、忠が孝より尊いことを体で識るべきです。徐庶になるくらいなら、むしろ趙苞になれ。班固になるくらいなら、むしろ班彪になれ。それでよいではありませんか。我が国にもし武士道がなければ、武士は武士ではありません。どうして尊ぶに足りるでしょうか。朝廷の縉紳の家では、和歌を我が国の道としています。和歌は素戔嗚尊に始まり、連歌は日本武尊に基づきます。この二神はもとよりこれを道とした者ではなく、ただ借りて志を述べたにすぎません。今の学者が、学を通じて詩歌をなすのはよいのです。詩歌を学とするのは大いに不可です。人麻呂・赤人は世に歌聖と称されますが、二人とも等しく文人です。もとより道を知る者ではありません。私から見れば、李白・杜甫に次ぐ者にすぎません。我が国が道とするところは武にあり、歌にはありません。孔子はかつて「桴に乗って海に浮かぼう」と言い、また「九夷に住みたい」と言いました。我が国に取るところがあったのでしょうか。その取るところはまさに武にあったのです。白石先生は京の風を江戸に取り替えようとし、徂徠先生は中国の風で日本を教化しようとしました。ともに、我が国の善が世界に冠たるものであることを知らないのです。易に「汝の霊亀を捨てて、我が頤を垂れるのを観る」とあります。この二先生に当てはまります。我が国の武は、弓馬を重しとします。だから武士を弓執といい、弓馬家といいます。これらはみな古い言葉です。中国は夷という字で我が国を呼びます。『説文』に「夷の字は大と弓からなる」とあります。これもまた弓によって呼んでいるのです。南蛮・北狄のように獣で呼ぶ類ではありません。陸機の『要覧』には、我が国の弓を東弓と称しています。また我が国の人が武士道を弓矢の礼と称するのは、このためです。我が国の東北の士は最も弓馬に長けています。そのため東北の武勇は、特に天下に秀でています。武田・長尾が武で名を顕したのは、弓馬によります。武士は馬に乗り弓を執り、古来のやり方を失ってはなりません。聖人は詩書礼楽を教えとします。私から見れば、我が国の万葉集・古今集は、あちらの詩のようなものです。
解説
この章句が説くこと
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