紫灘遺稿抄録 / 心得の条々・洒落とした胸懐で人に接する
一胸懷は洒落とあらまほしき事なり、是は大かた人の資質による事なれど、平生の習にても如何にもなるものなり、德あるものは先づは洒落なるものなれど、おのづから一箇の工夫ありと覺え侍る、石勒が、大丈夫磊々落々として、日月の皓然たる如くなるべしといへる、おもしろき辭なり、末の世の習にて、兎角胸襟狹隘、懷抱忌刻にして、萬事に疑猜おほく、能くきのきゝたる樣なれども、せは〱敷して、人も嫌ひ吾身もとかう氣遣おほく苦心する事あり、とても世にあらん限り、首尾きづかひのみせんも、無益の事なり、丈夫たらんものは、世俗に所謂大竹をうちわりたらん樣に、磊塊洒落とあれば、出て人に交り入て家人に接するに、おのづから彼よりも吾に化して、忌刻なるものもさら〱となるもの也、一生涯にていかばかりの得なるべき、これ長壽を祈る一肋にもなりぬべし、
新字:一胸懐は洒落とあらまほしき事なり、是は大かた人の資質による事なれど、平生の習にても如何にもなるものなり、徳あるものは先づは洒落なるものなれど、おのづから一箇の工夫ありと覚え侍る、石勒が、大丈夫磊々落々として、日月の皓然たる如くなるべしといへる、おもしろき辞なり、末の世の習にて、兎角胸襟狭隘、懐抱忌刻にして、万事に疑猜おほく、能くきのきゝたる様なれども、せは〱敷して、人も嫌ひ吾身もとかう気遣おほく苦心する事あり、とても世にあらん限り、首尾きづかひのみせんも、無益の事なり、丈夫たらんものは、世俗に所謂大竹をうちわりたらん様に、磊塊洒落とあれば、出て人に交り入て家人に接するに、おのづから彼よりも吾に化して、忌刻なるものもさら〱となるもの也、一生涯にていかばかりの得なるべき、これ長寿を祈る一肋にもなりぬべし、
書き下し
一胸懷は洒落とあらまほしき事なり、是は大かた人の資質による事なれど、平生の習にても如何にもなるものなり、德あるものは先づは洒落なるものなれど、おのづから一箇の工夫ありと覺え侍る、石勒が、大丈夫磊々落々として、日月の皓然たる如くなるべしといへる、おもしろき辭なり、末の世の習にて、兎角胸襟狹隘、懷抱忌刻にして、萬事に疑猜おほく、能くきのきゝたる樣なれども、せは〱敷して、人も嫌ひ吾身もとかう氣遣おほく苦心する事あり、とても世にあらん限り、首尾きづかひのみせんも、無益の事なり、丈夫たらんものは、世俗に所謂大竹をうちわりたらん樣に、磊塊洒落とあれば、出て人に交り入て家人に接するに、おのづから彼よりも吾に化して、忌刻なるものもさら〱となるもの也、一生涯にていかばかりの得なるべき、これ長壽を祈る一肋にもなりぬべし、
現代語訳
一、胸懐(心の持ち方)はさっぱりとしたものでありたいものです。これは大方、人の資質によりますが、日ごろの習慣でもどうにかなるものです。徳のある者はまず洒落(さっぱりしているもの)ですが、おのずから一つの工夫があると思います。石勒が「大丈夫は磊々落々として、日月が明るく輝くようであるべきだ」と言ったのは、おもしろい言葉です。末の世の習いで、とかく胸中が狭く、心に忌み嫌う気持ちがあり、何事にも疑い猜みが多く、よく気が利くようでありながら、せせこましくて、人も嫌い自分もあれこれ気遣いが多く苦心することがあります。どうせ世にある限り、始めから終わりまで気遣いばかりしても無益です。丈夫(立派な男子)たらんとする者は、世間でいう大竹を割ったように、磊塊洒落としていれば、出て人と交わり、入って家人に接するときも、おのずと相手が私に感化されて、忌み嫌う気持ちのある者もさらさらとなるものです。一生涯でどれほどの得になることでしょう。これは長寿を祈る一助にもなるでしょう。
解説
この章句が説くこと
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