士説 / 下・第3段
其醜在中。罅見隙出於外。而不可揜。豈足觀乎。今士大夫家蓄古書名器。必擇其眞而後藏之。一覺其贋。捨而不收。至於身之言行。則外是而內非。陽善而陰惡。是以其身爲天下之僞物也。且身與書器孰重孰輕。書器非眞。則知鄙而棄之。身爲僞物。則怙莫之恥焉。亦見其味於理也。吾謂世之爲士者。知先治其質以爲道藝之地。則爲聖爲賢。亦可由是而進矣。
新字:其醜在中。罅見隙出於外。而不可揜。豈足観乎。今士大夫家蓄古書名器。必択其真而後蔵之。一覚其贋。捨而不収。至於身之言行。則外是而内非。陽善而陰悪。是以其身為天下之偽物也。且身与書器孰重孰軽。書器非真。則知鄙而棄之。身為偽物。則怙莫之恥焉。亦見其味於理也。吾謂世之為士者。知先治其質以為道芸之地。則為聖為賢。亦可由是而進矣。
書き下し
其の醜中に在り、罅隙より外に見はれて、揜ふべからず。豈観るに足らんや。今士大夫の家、古書名器を蓄ふるに、必ず其の真を択びて而る後に之を蔵す。一たび其の贋なるを覚れば、捨てて収めず。身の言行に至りては、則ち外は是にして内は非、陽は善にして陰は悪なり。是を以て其の身を天下の偽物と為すなり。且つ身と書器と孰れか重く孰れか軽き。書器真に非ざれば、則ち知りて鄙しみて之を棄つ。身偽物と為らば、則ち怙りて之を恥づる莫し。亦其の理に昧きを見るなり。吾謂へらく、世の士為る者、先づ其の質を治めて以て道芸の地と為すを知らば、則ち聖と為り賢と為ること、亦是れに由りて進むべしと。
現代語訳
その醜さは中にあり、裂け目やすき間から外に現れて、隠すことができません。どうして見るに堪えるでしょうか。いま士大夫の家では、古書や名器を蓄えるとき、必ずその真物を選んでから収めます。いったん偽物だと気づけば、捨てて収めません。ところが我が身の言行となると、外は正しく内は誤り、表は善で裏は悪です。こうして自分の身を、天下の偽物にしてしまっています。そもそも身と書や器とでは、どちらが重く、どちらが軽いでしょうか。書や器が本物でなければ、それと知って卑しみ捨てるのに、身が偽物となると、開き直って恥じることがありません。これもまた、道理に暗いことのあらわれです。私が思うに、世の士たる者が、まず質を整えて、それを道と芸の土台とすることを知るならば、聖人にも賢人にもなる道は、ここから進めるのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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言志四録・言志晩録 第二百四十条 恥を知れば則ち恥無し人は恥無かるべからず。又悔無かるべからず。悔を知れば則ち悔無く、恥を知れば則ち恥無し。
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論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
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『正法眼蔵随聞記』巻六示して云く、人を愧づべくんば明眼の人を愧づべし、予在宋の時天童の浄和尚、侍者に請するにいはく、元子は外国人たりといへども、器量人なりと云ふて請す、予堅く此を辞す、其故は和国に聞へん為にも、学道の稽古の為にも、大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外国人として大叢林の侍者たらんこと、大国に人なきに似たりと難ずることやあらん、最もはぢつべしと思ひて、書状を以て此旨をのべしかば、浄和尚聞て、国を重んじ、人を愧づることを感じ、許して更に請し玉はざりしなり、
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『講孟余話』離婁上 第七章此の章、公孫丑上篇第七章と同一の手段、同一の議論にして、均しく恥の一字を以て人を激励す。恥の一字は孟子喫緊の語なり。故に云ふ「人は以て恥無かるべからず」、又云ふ「恥の人に於ける大なり」(並びに盡心上篇に見ゆ)。然れども恥を知らぬ人に至りては、孟子の説も亦窮すべし。斉の景公の涕出でて呉に女すを見て、一時の権道、保国の良図と思ふの族は、人間に羞恥と云ふことあるを夢にも知らず。斯の人をして路に当たらしめば、国体を失ひ国事を誤ること、豈に限りあらんや。然れども恥は人心必有の物なれば、木石に非ざるよりは恥なきことを得ず。其の恥なきと云ふ者は、真に恥なきに非ず。恥づと雖も是れを処することなき故に、強ひて恥ぢざるの容をなすのみ。其の中心益々自ら恥づるなり。是れに因りて孟子又是れを処するの法を掲示し、遂に五年・七年等の効験を挙げて是れを歓動す。是に於て誰か敢へて羞恥を棄てて効験に趨かざらんや。況んや文王を師とするは甚だ容易なることにて、即ち上章反求在身の説に過ぎず。其の政に発する者は民を養ひ且つ教ふるに過ぎず。其の兵に発する者は民を弔ひ罪を伐つに過ぎず。已に羞恥の甚しきを知り、又効験の易きを知る。誰か敢へて其の図を改めざらんや。如何ぞ今人頑然として移らざる。時に復た孟子あることなし。吾将た誰をか尤めん。悲しいかな。
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『驢鞍橋』卷中又此の恥は、浮世の人知らされば、苦しからずとは云はんや。夢幻なる人間の中の恥をだに愚に思ふは更になし。況や未来永劫の恥に於てをや。此の理をしらさるを、理を知る人と云はんや、義ある人となさんや。さりとては兼て思ひ知り給ふへし。理ある人間ならは、是れを恐るへし。義ある人ならは、勇猛堅固の心釼を以て、生死の敵を截断して、大平に住すへしと云ふはさまざまの異生となり、悪道に輪廻し、世々生々耻を曝さん事、口惜き事に非すや。是れを永劫の苦みと云ふ也。是れをかへりみすと云ふこと有らんや。なに人の知るぞ知らぬぞと云ふ間ならんや。さりとては兼てよふ思ひ知り、勇猛心を以て生死を修し離れて、大安楽に住せよと云ふ事也。是れまてはいさめの分式也。末はおつとつて心の用ゐ様也。
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『慎思録』巻之二人の世に在るや、恥づべき者五つ。寒餓の士、溝壑に転死する者は、与り存せず。人の子為る者、不孝にして父母に順はざる、一の恥づべきなり。人の臣為る者、其の位に居りて素餐し、且つ節に死せざる、二の恥づべきなり。民の父母為りて、其の民を養ふこと能はざる、三の恥づべきなり。学びて道を知ること能はざる、四の恥づべきなり。知りて行ふこと能はざる、五の恥づべきなり。
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