士説 / 下・第1段
士居官任職。固其事也。內之擯贊相禮。外之奉命出使。皆以士爲之。夷險緩急見其志操。升降進退見其容止。吾於此知士之難爲也。文而不質則史。可謂士乎。質而不文則野。可謂士乎。其必文質相濟。華實相副。庶乎可以爲士矣。雖然物必有質而後有文。苟無質其文即虛飾而已。是故仁義忠信士之質也。威儀辭令士之文也。古之所謂士者先治其質也。
新字:士居官任職。固其事也。内之擯賛相礼。外之奉命出使。皆以士為之。夷険緩急見其志操。升降進退見其容止。吾於此知士之難為也。文而不質則史。可謂士乎。質而不文則野。可謂士乎。其必文質相済。華実相副。庶乎可以為士矣。雖然物必有質而後有文。苟無質其文即虚飾而已。是故仁義忠信士之質也。威儀辞令士之文也。古之所謂士者先治其質也。
書き下し
士の官に居り職に任ずるは、固より其の事なり。内の擯賛相礼、外の命を奉じて出使するも、皆士を以て之を為す。夷険緩急には其の志操を見はし、升降進退には其の容止を見はす。吾此に於いて士の為り難きを知る。文にして質ならざれば則ち史なり。士と謂ふべけんや。質にして文ならざれば則ち野なり。士と謂ふべけんや。其れ必ず文質相済し、華実相副ひて、庶はくは以て士為るべし。然りと雖も物は必ず質有りて而る後に文有り。苟くも質無くんば其の文は即ち虚飾のみ。是の故に仁義忠信は士の質なり。威儀辞令は士の文なり。古の所謂士なる者は、先づ其の質を治むるなり。
現代語訳
士が官に就き職を担うのは、もとよりその務めです。内では儀礼の取り次ぎや介添えを、外では命を受けて使者に出ることも、みな士が行います。平穏なときと険しいとき、ゆるやかなときと急なときには、その志と操が表れ、昇り降り、進み退くところには、その立ち居振る舞いが表れます。私はここから、士であることの難しさを知りました。文ばかりで質がなければ「史」です。それで士といえるでしょうか。質ばかりで文がなければ「野」です。それで士といえるでしょうか。文と質が必ず補い合い、花と実がともなってこそ、士といえるでしょう。とはいえ、ものにはまず質があり、そのあとに文があります。かりにも質がなければ、その文はうわべの飾りにすぎません。だから、仁義忠信は士の質であり、威儀辞令は士の文です。昔の士というものは、まずその質を整えたのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『士説』下・第2段而して文之に従ふ。夫れ質は厚からんことを欲して薄からんことを欲せず、堅からんことを欲して脆からんことを欲せず。仁以て之を漸し、義以て之を摩す。言は必ず忠信、行は必ず篤敬。猶ほ農夫の苗を種うるがごとし。栽ゑて之を培ひ、以て其の厚きを致す。猶ほ良冶の剣を鋳るがごとし。鍛へて之を錬り、以て其の堅きを致す。其の栽培の素に資し、鍛錬の餘に用ふるに及びては、或いは天下の良材と為り、或いは一世の利器と為り、言語に発し、容貌に見はれ、道徳の華に非ざる莫く、彬彬乎として其れ君子なり。若し其れ然らざれば、威儀美なりと雖も、辞令巧なりと雖も、之を譬ふれば羊質にして虎皮なり。
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荀子・哀公篇哀公曰く、善し。敢えて問う、何如なれば斯ち士と謂うべきか、と。孔子対えて曰く、所謂る士なる者は、道術を尽くす能わずと雖も、必ず率(したが)う所有り。美善を遍(あまね)くする能わずと雖も、必ず処(お)る所有り。是の故に知は多きを務めず、其の知る所を審(つまび)らかにするを務む。言は多きを務めず、其の謂う所を審らかにするを務む。行は多きを務めず、其の由る所を審らかにするを務む。故に知は既に已に之を知り、言は既に已に之を謂い、行は既に已に之に由らば、則ち性命・肌膚の易(か)うべからざるが若し。故に富貴も以て益すに足らず、卑賤も以て損ずるに足らず。此くの如くんば則ち士と謂うべし、と。
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『士説』上・第1段君子の行ひは、士たるに始まり、聖たるに終はる。士たるの道は何をか先にする。曰く、志を立つるなり。何を以て志を立つる。曰く、自ら商賈に別つを知るなり。志を立つるの始めなり。君夫れ介冑戈を横たへ、洸洸乎として営幕の下に趨る。其の勇武此くのごときもの有り。義冠束帯、堂堂乎として朝著の位に立つ。其の威望此くのごときもの有り。此れ世の士に指目して、商賈と異視する所の者なり。然れども士の商賈に異なる所以は、豈斯に在らんや。士は義を以て職と為し、商賈は利を以て職と為す。義利の間に士商判かる。
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『弁名』文質體用本末質に対して言ふ者有り。「質文に勝てば則ち野、文質に勝てば則ち史。文質彬彬として、然る後に君子」と曰ふが如し。又曰く、「文は猶ほ質のごときなり、質は猶ほ文のごときなり」と。皆人を以て言ふ。質とは質行なり、孝弟忠信の類を謂ふ。文とは詩書礼楽を学びて、其の言辞威儀の煥然たるを謂ふなり。唯だ質にして文無きは、郷人のみ。学びて徳を成し、然る後に君子と為る。但だ其の質行有りて文足らざる者は、未だ鄙野の誚を免れず。文ありて質行無き者は、其の学ぶ所徳を成す能はず、唯だ記憶するのみ、故に以て史と為すなり。「行ひて余力有れば則ち以て文を学ぶ」と曰ひ、「十室の邑、必ず忠信丘の如き者有らん、丘の学を好むに如かざるなり」と曰ふが如き、皆質行有りと雖も、学ばずんば未だ郷人たるを免れざるを言ふ。「礼は後か」と曰ひ、「忠信は徳に進む所以なり」と曰ふが如き、皆苟くも質行無くんば、文を学ぶと雖も徳を成す能はざるを言ふ。
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『長短経』品目所謂士人なる者は、心に定むる所有り、計に守る所有り。道術の本を尽くす能わずと雖も、必ず率る所有り。〔率は猶お述のごときなり。〕百善の美を遍くする能わずと雖も、必ず処る所有り。是の故に智は多きを務めず、其の知る所を審らかにするを務む。言は多きを務めず、其の謂う所を審らかにするを務む。〔謂う所とは言の要なり。〕行は多きを務めず、其の由る所を審らかにするを務む。智は既に之を知り、言は既に之を得、〔其の要を得るなり。〕行は既に之に由れば、則ち性命形骸の易う可からざるが若きなり。富貴も以て益すに足らず、貧賤も以て損ずるに足らず。此れ則ち士人なり。
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『士説』下・第3段其の醜中に在り、罅隙より外に見はれて、揜ふべからず。豈観るに足らんや。今士大夫の家、古書名器を蓄ふるに、必ず其の真を択びて而る後に之を蔵す。一たび其の贋なるを覚れば、捨てて収めず。身の言行に至りては、則ち外は是にして内は非、陽は善にして陰は悪なり。是を以て其の身を天下の偽物と為すなり。且つ身と書器と孰れか重く孰れか軽き。書器真に非ざれば、則ち知りて鄙しみて之を棄つ。身偽物と為らば、則ち怙りて之を恥づる莫し。亦其の理に昧きを見るなり。吾謂へらく、世の士為る者、先づ其の質を治めて以て道芸の地と為すを知らば、則ち聖と為り賢と為ること、亦是れに由りて進むべしと。
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