新書 / 禮容語下
不敢怠安,蚤興夜寐,以繼文王之業。布文陳紀,經制度,設犧牲,使四海之內,懿然葆德,各遵基道,故曰『有成』。承順武王之功,奉揚文王之德,九州之民,四荒之國,歌謠文武之烈,累九譯而請朝,致貢職以供祀,故曰『二后受之』。方是時也,天地調和,神民順億,鬼不厲祟,民不謗怨,故曰『宥謐』。成王質仁聖哲,能明其先,能承其親,不敢惰懈,以安天下,以敬民人。今單子美說其志也,以佐王室,吾故曰『周其復興乎』。」故周平王既崩以後,周室稍稍衰弱不墜,當單子之佐政也,天子加尊,周室加興。晉之三卿郄錡郄犨郄至,從晉厲公會晉諸侯於加陵,周單襄公在會。晉厲公視遠步高。郄錡見單子,其語犯;郄犨見,其語訏;郄至見,其語伐;齊國佐見,其語盡。
新字:不敢怠安,蚤興夜寐,以継文王之業。布文陳紀,経制度,設犠牲,使四海之内,懿然葆徳,各遵基道,故曰『有成』。承順武王之功,奉揚文王之徳,九州之民,四荒之国,歌謡文武之烈,累九訳而請朝,致貢職以供祀,故曰『二后受之』。方是時也,天地調和,神民順億,鬼不厲祟,民不謗怨,故曰『宥謐』。成王質仁聖哲,能明其先,能承其親,不敢惰懈,以安天下,以敬民人。今単子美説其志也,以佐王室,吾故曰『周其復興乎』。」故周平王既崩以後,周室稍稍衰弱不墜,当単子之佐政也,天子加尊,周室加興。晋之三卿郄錡郄犨郄至,従晋厲公会晋諸侯於加陵,周単襄公在会。晋厲公視遠歩高。郄錡見単子,其語犯;郄犨見,其語訏;郄至見,其語伐;斉国佐見,其語尽。
書き下し
敢えて怠安せず、蚤く興き夜に寝ね、以て文王の業を継ぐ。文を布き紀を陳べ、制度を経し、犠牲を設け、四海の内をして懿然として徳を葆ち、各おの基道に遵わしむ。故に『有成』と曰う。武王の功を承順し、文王の徳を奉揚し、九州の民、四荒の国、文武の烈を歌謡し、九譯を累ねて朝を請い、貢職を致して以て祀に供す。故に『二后之を受く』と曰う。是の時に方りて、天地調和し、神民順億し、鬼は厲祟せず、民は謗怨せず。故に『宥謐』と曰う。成王は質仁聖哲にして、能く其の先を明らかにし、能く其の親を承け、敢えて惰懈せず、以て天下を安んじ、以て人民を敬う。今単子美しく其の志を説く。以て王室を佐く。吾故に『周其れ復た興らんか』と曰う」と。故に周の平王既に崩じて以後、周室稍稍衰弱すれども墜ちざるは、単子の政を佐くるに当たりてなり。天子尊を加え、周室興を加う。晋の三卿郄錡、郄犨、郄至、晋の厲公に従いて晋の諸侯と加陵に会す。周の単襄公会に在り。晋の厲公視ること遠く歩むこと高し。郄錡単子に見ゆれば、其の語犯す。郄犨見ゆれば、其の語訏る。郄至見ゆれば、其の語伐る。斉の国佐見ゆれば、其の語尽くす。
現代語訳
成王はあえて怠けも安んじもせず、早く起き遅く寝て、文王の事業を継ぎました。文を布き、紀を述べ、制度を整え、犠牲を備え、四海の内の人々を美しく徳を守らせ、それぞれ基となる道に従わせました。だから『有成』といいます。武王の功を受け継いで従い、文王の徳を奉じて高め、九州の民も四方の遠国も文王と武王の功績を歌い、幾重もの通訳を重ねて朝見を願い、貢ぎ物を納めて祭祀に供しました。だから『二后これを受く』といいます。そのとき、天地は調和し、神も民も安らぎ、鬼は祟らず、民はそしらず怨みませんでした。だから『宥謐』といいます。成王は生まれつき仁で聖明で、よく先祖を明らかにし、よく親の事業を受け継ぎ、怠けることなく、天下を安んじ民を敬いました。いま単子は成王の志を美しく説きました。それで王室を助けています。だから私は『周はまた興るだろう』と言うのです」。そのため周の平王が亡くなってのち、周室は次第に衰えても滅びなかったのは、単子が政を助けたときだったからです。天子は尊さを増し、周室は興りを増しました。晋の三卿である郄錡、郄犨、郄至は、晋の厲公に従って諸侯と加陵で会しました。周の単襄公もその会にいました。晋の厲公は視線が遠く、歩みは高く、郄錡が単子に会えば言葉が人を犯し、郄犨が会えば大言を吐き、郄至が会えば自慢し、斉の国佐が会えば言葉を言い尽くしました。
解説
この章句が説くこと
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『政談』國の締り一篇の發端の事総して国の治めと云ふは、譬へば碁盤の目を盛るが如し、目を盛らざる盤にては、何ほどの上手にても碁はうたれぬなり、洪水を静むるには、川筋を付るなり、川筋を付ざれば、禹王再び生れ出たまふとも、水を静むることは叶はざるなり、当時火災の事上の御世話にて塗屋土蔵造に成りたれば、火災自然と少なし、是明かなる証拠なり、其外の御政務には、此訳を申し立る人なきにや、是によりて和漢の古法を考へ愚案の量見を左に記す、
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『政談』當時制度之なき事兼て制度を立てゝこれを安くするときは人々知る故分に過ぎたる奢りは自からなくて世上に費へなし、制度なければ上より奢りをするなと制し玉ふと云ふとも、是までが分相応にて是より上か奢りなりと云ふ「キツカケ」なけれはすへきやうなし、華美を好むは人情の常なる故制度なき故に世は次第に奢りに成行くなり、衣服の制度ある時は是は大名是は大役高官の人と云ふ事坐敷の上にても自から知るゝ故、人々貴きを敬ひ儀式自から乱れさるに、上一人より下は民までも何れも小袖を着上下を着ること同様にて、其衣服の地は金さへあれは何を着ても誰制する人なし、上下の見分けなき故高官大役の人下のものと別の立てやうなく、唯々いかつかましき体をして是にて高下を別のことに成り、我か身の君子の礼儀を失ふことをは知らず、御役人奉行なとの無礼甚しく、下たるものは礼に過ぎて這ひ屈み、諂ふ風俗甚しきも制度なきか故なり、
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