価原 / 『価原』量入以為出と常平倉
故ニ制度ヲ立テザレバ仁惠モ益ナシ夫レ產自ラ養フニ足ラズ或ハ餘計ニ迸散ノ路アラバ有餘不足ノ相去ルコト近シ王制ニ量入以爲出トハ上王公大人ヨリ下輿儓芻隷ニ至ルマデ經紀ノ要語ト知ルベキナリサテ天下一年餘計ノ布粟ハ皆富商ニ歸シ富商コレヲ都會ニ輸スココニ於テ郡縣空乏ナリ凶饑全ク都會ニ仰グ都會空乏ノ變アラバ郡縣給スル所ナカラン都會ノ物ヲ畜ル常平倉ニ非ザレバ本郡縣ニ給スル爲ニモアラズ畢竟游手ドモノ餕餘ナリ
新字:故ニ制度ヲ立テザレバ仁恵モ益ナシ夫レ産自ラ養フニ足ラズ或ハ余計ニ迸散ノ路アラバ有余不足ノ相去ルコト近シ王制ニ量入以為出トハ上王公大人ヨリ下輿儓芻隷ニ至ルマデ経紀ノ要語ト知ルベキナリサテ天下一年余計ノ布粟ハ皆富商ニ帰シ富商コレヲ都会ニ輸スココニ於テ郡県空乏ナリ凶饑全ク都会ニ仰グ都会空乏ノ変アラバ郡県給スル所ナカラン都会ノ物ヲ畜ル常平倉ニ非ザレバ本郡県ニ給スル為ニモアラズ畢竟游手ドモノ餕余ナリ
書き下し
ゆえに制度を立てざれば仁恵も益なし。それ産自ら養うに足らず、あるいは余計に迸散の路あらば、有余不足の相去ること近し。王制に「入るを量りて以て出ずるを為す」とは、上王公大人より下輿儓芻隷に至るまで経紀の要語と知るべきなり。さて天下一年余計の布粟は皆富商に帰し、富商これを都会に輸す。ここにおいて郡県空乏なり。凶饑全く都会に仰ぐ。都会空乏の変あらば郡県給する所なからん。都会の物を畜うる、常平倉にあらざれば、本郡県に給するためにもあらず、畢竟游手どもの餕余なり。
現代語訳
だから、制度を立てなければ、仁恵も益がない。そもそも生産が自らを養うのに足りない、あるいは余りが流れ散る道があるなら、余りがある状態と不足の状態は紙一重である。礼記の王制にある「入る分を量って出る分を決める」は、上は王公・大人から下は雑役の者に至るまで、家計・国計をおさめる要の言葉と知るべきである。さて、天下で一年に余る布や粟はみな富商のもとに帰し、富商はこれを都会へ送る。こうして郡県は物資が乏しくなる。凶作や飢饉のときは、すべて都会を頼ることになる。もし都会に物資の欠乏する異変があれば、郡県には供給するものがなくなる。都会が物を蓄えているといっても、それは常平倉ではないから、もともとの郡県に供給するためのものでもなく、結局は遊び人たちの食べ残しにすぎない。
解説

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