新書 / 修政語下
周成王曰:「寡人聞之,有上人者,有下人者,有賢人者,有不肖人者,有智人者,有愚人者。敢問上下之人,何以爲異?」粥子對曰:「唯,疑。請以上世之政詔於君王。政曰:凡人者,若賤若貴,若幼若老,聞道志而藏之,知道善而行之,上人矣;聞道而弗取藏也,知道而弗取行也,則謂之下人也。故夫行者善則謂之賢人矣,行者惡則謂之不肖矣。故失言者善則謂之智矣,言者不善則謂之愚矣。故智、愚之人有其辭矣,賢不肖之人別其行矣,上下之人等其志矣。」周成王曰:「受命矣。」
新字:周成王曰:「寡人聞之,有上人者,有下人者,有賢人者,有不肖人者,有智人者,有愚人者。敢問上下之人,何以為異?」粥子対曰:「唯,疑。請以上世之政詔於君王。政曰:凡人者,若賤若貴,若幼若老,聞道志而蔵之,知道善而行之,上人矣;聞道而弗取蔵也,知道而弗取行也,則謂之下人也。故夫行者善則謂之賢人矣,行者悪則謂之不肖矣。故失言者善則謂之智矣,言者不善則謂之愚矣。故智、愚之人有其辞矣,賢不肖之人別其行矣,上下之人等其志矣。」周成王曰:「受命矣。」
書き下し
周の成王曰く、「寡人之を聞く、上人なる者有り、下人なる者有り、賢人なる者有り、不肖人なる者有り、智人なる者有り、愚人なる者有りと。敢えて問う、上下の人は、何を以て異なりと為す」と。粥子対えて曰く、「唯、疑う。請う、上世の政を以て君王に詔げん。政に曰く、凡そ人は、若しくは賤しく若しくは貴く、若しくは幼く若しくは老いたるも、道の志を聞きて之を蔵し、道の善を知りて之を行うは、上人なり。道を聞きて蔵むるを取らず、道を知りて行うを取らざるは、則ち之を下人と謂う。故に夫れ行う者善ければ則ち之を賢人と謂う。行う者悪しければ則ち之を不肖と謂う。故に言を失う者善ければ則ち之を智と謂う。言う者善からざれば則ち之を愚と謂う。故に智愚の人は其の辞に有り、賢不肖の人は其の行いに別れ、上下の人は其の志を等しくす」と。周の成王曰く、「命を受けたり」と。
現代語訳
周の成王が尋ねました。「私は、上人という者があり、下人という者があり、賢人という者があり、不肖の人という者があり、智者という者があり、愚者という者がある、と聞いています。うかがいたい。上下の人は、何によって違いとするのですか」。粥子は答えました。「はい、確かではありませんが、昔の政事の言葉をもって王にお告げします。政事に言うには、およそ人は、賤しくても貴くても、幼くても老いていても、道の志を聞いてそれを蔵め、道の善を知ってそれを行う者が上人です。道を聞いても蔵めず、道を知っても行わない者を、下人といいます。行いが善ければ賢人といい、行いが悪ければ不肖といいます。言葉が善ければ智といい、言葉が善くなければ愚といいます。ですから智と愚の違いは言葉に、賢と不肖の違いは行いに、上と下の違いは志の持ちようにあります」。成王は「教えを受けました」と言いました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之一史を看て経を専らにせざれば、則ち其の蔽や、流蕩して返ることを忘る。詞章に耽嗜すれば、則ち心之が為に累はさる。物を玩びて志を喪ふと謂ふべし。夫れ詞章の学は、之を史を看るに比すれば、則ち心を用ふること過多にして、其の蔽為るや大なり。蓋し学者義理に専一ならざれば、則ち其の志荒れて、道に進むこと能はず。程子曰く、専一ならざれば、則ち直遂すること能はずと。故に学を為すの工夫は、精専を貴ぶ。
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『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
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『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
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『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「我れに二子有り。一人なる者は學を好み、一人なる者は人に財を分かつを好む。孰れを以て太子と為して可ならんか」と。子墨子曰く、「未だ知る可からざるなり。或いは賞を為す所、是を為すに興らんなり。釣る者の恭なるは、魚に賜うが為に非ざるなり。䑕に蟲を以てするは、之を愛するに非ざるなり。吾れ願わくは主君の其の志と功とを合わせて觀んことを」と。
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『呻吟語』外篇・聖賢・萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ萬物の情は、各おの自ら遂げんことを求むる者なり。惟だ聖人の心のみ、則ち萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ。
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論語・先進篇子路・曾皙・冉有・公西華侍坐す。子曰く、「吾が一日爾より長ずるを以て、吾を以てすること毋かれ。居れば則ち曰く、『吾を知らざるなり』と。如し或るひと爾を知らば、則ち何を以てせんや。」子路率爾として対えて曰く、「千乗の国、大国の間に摂まり、之に加うるに師旅を以てし、之に因るに饑饉を以てす。由や之を為さば、三年に比び及ぶに、勇有りて且つ方を知らしむ可し。」夫子之を哂う。「求、爾は何如。」対えて曰く、「方六七十、如しくは五六十、求や之を為さば、三年に比び及ぶに、民を足らしむ可し。其の礼楽の如きは、以て君子を俟たん。」「赤、爾は何如。」対えて曰く、「之を能くすと曰うに非ず、学ばんことを願う。宗廟の事、如しくは会同に、端章甫して、小相たらんことを願う。」「点、爾は何如。」瑟を鼓すこと希なり。鏗爾として、瑟を舍きて作つ。対えて曰く、「三子者の撰に異なり。」子曰く、「何ぞ傷まんや。亦た各々其の志を言うなり。」曰く、「莫春には、春服既に成る。冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん。」夫子喟然として歎じて曰く、「吾は点に与せん。」三子者出づ。曾皙後る。曾皙曰く、「夫の三子者の言は何如。」子曰く、「亦た各々其の志を言えるのみ。」曰く、「夫子何ぞ由を哂えるか。」曰く、「国を為むるには礼を以てす。其の言譲らず、是の故に之を哂えり。」「唯だ求は則ち邦に非ざるか。」「安んぞ方六七十、如しくは五六十にして、邦に非ざる者を見んや。」「唯だ赤は則ち邦に非ざるか。」「宗廟会同は、諸侯に非ずして何ぞ。赤や之が小たらば、孰か能く之が大たらん。」
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