新書 / 道德說
是以先王舉德之頌而爲辭語,以明其理;陳之天下,令人觀焉;垂之後世,辯議以審察之,以轉相告。是故弟子隨師而問,受傳學以達其知,而明其辭以立誠,故曰「博學辯議,爲此辭職者也」。德畢施物,物雖有之,微細難識。夫玉者,真德象也。六理在玉,明而易見也。是以舉玉以諭,物之所受於德者,與玉一體也。
新字:是以先王舉徳之頌而為辞語,以明其理;陳之天下,令人観焉;垂之後世,弁議以審察之,以転相告。是故弟子随師而問,受伝学以達其知,而明其辞以立誠,故曰「博学弁議,為此辞職者也」。徳畢施物,物雖有之,微細難識。夫玉者,真徳象也。六理在玉,明而易見也。是以舉玉以諭,物之所受於徳者,与玉一体也。
書き下し
是を以て先王は徳の頌を挙げて辞語を為し、以て其の理を明らかにす。之を天下に陳べ、人をして観せしめ、之を後世に垂れ、弁議して以て之を審察し、以て転た相い告ぐ。是の故に弟子は師に随いて問い、伝学を受けて以て其の知に達し、其の辞を明らかにして以て誠を立つ、故に曰く「博学弁議するは、此の辞職を為す者なり」と。徳の畢く物に施さるるや、物に之有りと雖も、微細にして識り難し。夫れ玉は、真の徳の象なり。六理は玉に在りて、明らかにして見え易し。是を以て玉を挙げて以て諭す、物の徳より受くる所の者は、玉と一体なり。
現代語訳
こうして古代の王たちは、徳のたたえ言葉を取り上げて言葉にまとめ、その理を明らかにしました。それを天下に示して人々に見せ、後の世に残し、議論して詳しく調べ、順に語り伝えたのです。だから弟子は師に付いて問い、伝えられた学びを受けて知に達し、言葉をはっきりさせて誠を立てます。そこで「広く学び議論するのは、この言葉の務めを果たすためである」と言います。徳はあまねく物に施されますが、物にあっても微細で見分けにくいものです。さて玉は、まことの徳のかたちです。六理は玉にあるとき、明らかで見えやすい。だから玉を挙げてたとえに用いました。物が徳から受けているものは、玉と一体なのです。
解説
この章句が説くこと
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『新書』道德說徳に六理有り。何をか六理と謂う。曰く、道・徳・性・神・明・命、此の六者は徳の理なり。諸生は、皆徳の生ずる所に生ず。而して能く人徳に象る者は、独り玉なり。徳に象り六理を体し、尽く玉に見わる。各おの状有り。是の故に玉を以て徳の六理に効う。沢なる者は、鑑なり、之を道と謂う。腒として竊膏の如きは、之を徳と謂う。湛えて潤い厚くして膠なるは、之を性と謂う。康として濼流の若きは、之を神と謂う。光輝は、之を明と謂う。礐乎として堅きかな、之を命と謂う。此れを之れ六理と謂う。鑑は空竅を生じ、之に通ずるに道を以てす。徳は理を生じ、之に通ずるに六徳の畢く離状なるを以てす。六徳とは、徳の六理有るなり。理は、離状なり。性は気を生じ、通ずるに暁を以てす。神は変を生じ、之に通ずるに化を以てす。明は識を生じ、之に通ずるに知を以てす。命は形を生じ、之に通ずるに定を以てす。徳に六美有り。何をか六美と謂う。道有り、仁有り、義有り、忠有り、信有り、密有り、此の六者は徳の美なり。道とは、徳の本なり。仁とは、徳の出づるなり。義とは、徳の理なり。忠とは、徳の厚きなり。信とは、徳の固きなり。密とは、徳の高きなり。
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『新書』道德說六理・六美は、徳の陰陽・天地・人と万物とを生ずる所以なり。固より生ずる所の者の法たり。故に曰く、「道此れ之を道と謂い、徳此れ之を徳と謂い、行此れ之を行と謂う」と。所謂此れを行う者は、徳なり。是の故に此の竹帛に著し之を請うの書なり。書は、此れの著す者なり。詩は、此れの志す者なり。易は、此れの占う者なり。春秋は、此れの紀す者なり。礼は、此れの体する者なり。楽は、此れの楽しむ者なり。鬼神を祭祀するは、此の福を為す者なり。博学弁議するは、此の辞を為す者なり。
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『新書』道德說書は、徳の理を竹帛に著して之を陳べ、人をして観せしめ、以て従事する所を著す、故に曰く「書は、此れの著す者なり」と。詩は、徳の理を志して其の指を明らかにし、人をして之に縁りて以て自ら成さしむるなり、故に曰く「詩は、此れの志す者なり」と。易は、人の徳の理に循うと循わざるとを察して其の吉凶を占う、故に曰く「易は、此れの占う者なり」と。春秋は、往事の徳の理に合うと合わざるとを守りて其の成敗を紀し、以て来事の師法と為す、故に曰く「春秋は、此れの紀す者なり」と。礼は、徳の理を体して之が節文を為し、人事を成す、故に曰く「礼は、此れの体する者なり」と。楽は、書・詩・易・春秋・礼の五者の道備われば、則ち徳に合う。合えば則ち歓然として大いに楽しむ、故に曰く「楽は、此れの楽しむ者なり」と。人能く徳の理を修むれば、則ち安利、之を福と謂う。福を慕わざる莫けれども、必ず得ること能わず、而して人心以為えらく鬼神以て利害に与ると。是の故に犠牲・俎豆・粢盛を具え、斎戒して鬼神を祭り、以て福を佐成せんと欲す、故に曰く「鬼神を祭祀するは、此の福を為す者なり」と。徳の理は尽く人に施され、其の人に在るや、内にして見え難し。
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新語・術事善く古を言う者は之を今に合わせ、能く遠きを述ぶる者は之を近きに考う。故に事を説く者は、上は五帝の功を陳べて之を身に思い、下は桀・紂の敗を列ねて之を己に戒むれば、則ち徳は以て日月に配す可く、行いは以て神霊に合す可く、高きに登り遠きに及び、幽に達し冥に洞し、之を聴けども声無く、之を視れども形無く、世人其の兆しを覩る莫く、其の情を知る莫し。五経の本末、道徳の真偽を校修し、既に□其の意あれども、其の人を見ず。世俗は自古より之を伝うる者を以て重しと為し、今の作る者を以て軽しと為し、見る所に淡く、聞く所に甘んじ、外貌に惑い、中情を失う。聖人は寡を貴ばざるも、世人は衆を賤しむ。五穀は性を養うに、之を地に棄て、珠玉は用無きに、之を身に宝とす。聖人は珠玉を用いずして其の身を宝とす。故に舜は黄金を嶄巌の山に棄て、珠玉を五湖の淵に捐つ。将に以て淫邪の欲を杜ぎ、琦瑋の情を絶たんとなり。
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『新書』容經古の聖王は居るに法則有り、動くに文章有り、位に戒輔を執り、玉を鳴らして以て行く。玉を鳴らすとは、玉を佩ぶるなり。上に双珩有り、下に双璜有り、衝牙蠙珠以て其の間に納め、琚瑀以て之を雑ず。行くには采薺を以てし、趨るには肆夏を以てし、歩むは規に中たり、折るるは矩に中たる。車に登れば則ち馬行きて鸞鳴り、鸞鳴りて和応ず。声を和と曰い、和すれば則ち敬あり。故に詩に曰く、「和鸞噰噰たり、万福の同まる攸」と。言動紀度を以てすれば、則ち万福の聚まる所なり。故に曰く、明君位に在れば畏る可く、施舎は愛す可く、進退は度る可く、周旋は則る可く、容貌は観る可く、事を作すは法る可く、徳行は象る可く、声気は楽しむ可く、動作に文有り、言語に章有り、以て其の上を承け、以て其の等に接し、以て其の下に臨み、以て其の民を畜う。故に之が上たる者は敬して之を信じ、等しき者は親しみて之を重んじ、下なる者は畏れて之を愛し、民なる者は粛みて之を楽しむ。是を以て上下和協して士民順一なり。故に能く其の国を宗揖して以て天子を藩衛し、義を行いて法るに足る。夫れ威有りて畏る可きを之を威と謂い、儀有りて象る可きを之を文と謂う。富は量を為す可からず、多きは数を為す可からず。故に詩に曰く、「威儀棣棣たり、選ぶ可からず」と。棣棣とは、富なり。
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『新書』道德說徳は、無を離れて有に之く者なり。故に潤えば則ち腒然として濁り始めて形あり、故に六理焉に発す。六理の変と為りて生ずる所以は、生ずる所に理有ればなり。然らば則ち物は潤を得て以て生ず、故に潤徳と謂う。徳は変及び物理の出づる所なり。夫れ変は、道の頌なり。道冰りて徳と為り、神は徳に載る。徳は、道の沢なり。道は神なりと雖も、必ず徳に載せ、而して頌乃ち因る所有り、以て発動変化して変と為る。変の諸生の理に及ぶは、皆道の化なり、各おの条理有りて以て徳に載す。徳は道の化を受けて、之を発すること各おの状を同じくせず。徳は潤う、故に曰く「膏の如きを、之を徳と謂う」、「徳は理を生じ、之に通ずるに六徳の畢く離るる状を以てす」と。性は、道徳の物を造るなり。物に形有れば、道徳の神は専らにして一気と為り、其の潤いの益ます厚きを明らかにす。濁りて膠く相い連なり、物の中に在り、物を為して生ずる莫く、気皆集まる、故に之を性と謂う。性は、神気の会する所なり。性立てば、則ち神気は暁暁然として発して外に通行し、外物の感と相い応ず、故に曰く「潤厚にして膠きを、之を性と謂う」、「性は気を生じ、之に通ずるに暁を以てす」と。
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