新書 / 道德說
德有六理。何謂六理?曰:道、德、性、神、明、命,此六者德之理也。諸生者,皆生於德之所生;而能象人德者,獨玉也。象德體六理,盡見於玉也,各有狀,是故以玉效德之六理。澤者,鑑也,謂之道;腒如竊膏謂之德;湛而潤厚而膠謂之性;康若濼流謂之神;光輝謂之明;礐乎堅哉謂之命;此之謂六理。鑑生空竅,而通之以道。德生理,通之以六德之畢離狀。六德者,德之有六理。理,離狀也。性生氣而通以曉,神生變而通之以化,明生識,而通之以知。命生形,而通之以定。德有六美,何謂六美?有道、有仁、有義、有忠、有信、有密,此六者德之美也。道者,德之本也;仁者,德之出也;義者,德之理也;忠者,德之厚也;信者,德之固也;密者,德之高也。
新字:徳有六理。何謂六理?曰:道、徳、性、神、明、命,此六者徳之理也。諸生者,皆生於徳之所生;而能象人徳者,独玉也。象徳体六理,尽見於玉也,各有状,是故以玉効徳之六理。沢者,鑑也,謂之道;腒如窃膏謂之徳;湛而潤厚而膠謂之性;康若濼流謂之神;光輝謂之明;礐乎堅哉謂之命;此之謂六理。鑑生空竅,而通之以道。徳生理,通之以六徳之畢離状。六徳者,徳之有六理。理,離状也。性生気而通以暁,神生変而通之以化,明生識,而通之以知。命生形,而通之以定。徳有六美,何謂六美?有道、有仁、有義、有忠、有信、有密,此六者徳之美也。道者,徳之本也;仁者,徳之出也;義者,徳之理也;忠者,徳之厚也;信者,徳之固也;密者,徳之高也。
書き下し
徳に六理有り。何をか六理と謂う。曰く、道・徳・性・神・明・命、此の六者は徳の理なり。諸生は、皆徳の生ずる所に生ず。而して能く人徳に象る者は、独り玉なり。徳に象り六理を体し、尽く玉に見わる。各おの状有り。是の故に玉を以て徳の六理に効う。沢なる者は、鑑なり、之を道と謂う。腒として竊膏の如きは、之を徳と謂う。湛えて潤い厚くして膠なるは、之を性と謂う。康として濼流の若きは、之を神と謂う。光輝は、之を明と謂う。礐乎として堅きかな、之を命と謂う。此れを之れ六理と謂う。鑑は空竅を生じ、之に通ずるに道を以てす。徳は理を生じ、之に通ずるに六徳の畢く離状なるを以てす。六徳とは、徳の六理有るなり。理は、離状なり。性は気を生じ、通ずるに暁を以てす。神は変を生じ、之に通ずるに化を以てす。明は識を生じ、之に通ずるに知を以てす。命は形を生じ、之に通ずるに定を以てす。徳に六美有り。何をか六美と謂う。道有り、仁有り、義有り、忠有り、信有り、密有り、此の六者は徳の美なり。道とは、徳の本なり。仁とは、徳の出づるなり。義とは、徳の理なり。忠とは、徳の厚きなり。信とは、徳の固きなり。密とは、徳の高きなり。
現代語訳
徳には六つの理があります。六理とは何か。道・徳・性・神・明・命で、この六つは徳の理です。あらゆる生き物は、すべて徳が生む所に生じます。そのうち人の徳によく似ているものは、玉だけです。徳にかたどり六理を体現するものが、すべて玉に現れます。それぞれに姿があります。そのため玉によって徳の六理にたとえます。つやのあるものは鏡であり、これを道といいます。脂のように柔らかく光るのは、これを徳といいます。澄んで潤い、厚くて膠のようなのは、これを性といいます。穏やかで流れる水のようなのは、これを神といいます。光り輝くのは、これを明といいます。堅く石のように固いのは、これを命といいます。これを六理といいます。鏡は空の穴を生じ、それに通じるのが道です。徳は理を生じ、それに通じるのが六徳の離れた姿のことごとくです。六徳とは、徳に六理があることです。理とは、離れた姿のことです。性は気を生じ、通じるのは暁(さとり)です。神は変化を生じ、それに通じるのは化です。明は識を生じ、それに通じるのは知です。命は形を生じ、それに通じるのは定です。徳には六つの美があります。六美とは何か。道があり、仁があり、義があり、忠があり、信があり、密があります。この六つは徳の美です。道は徳の根本です。仁は徳の現れ出る姿です。義は徳の筋目です。忠は徳の厚みです。信は徳の堅さです。密は徳の高さです。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』閔公二年 慶父、自ら縊る二年春、虢公犬戎を渭汭に敗る。舟之僑曰く、「德無くして祿あるは、殃なり。殃將に至らんとす」と。遂に晉に奔る。夏、莊公に吉禘す、速やかなるなり。初め、公の傅卜齮の田を奪ふ。公禁ぜず。秋八月辛丑、共仲卜齮をして公を武闈に賊せしむ。成季僖公を以って邾に適く。共仲莒に奔る。乃ち入りて、之を立つ。賂を以って共仲を莒に求む。莒人之を歸す。密に及び、公子魚をして請はしむ。許さず。哭して往く。共仲曰く、「奚斯の聲なり」と。乃ち縊る。閔公は、哀姜の娣叔姜の子なり。故に齊人之を立つ。共仲哀姜に通ず。哀姜之を立てんと欲す。閔公の死するや、哀姜與り知る。故に邾に孫る。齊人取りて之を夷に殺し、其の尸を以って歸る。僖公請ひて之を葬る。成季の將に生まれんとするや、桓公卜楚丘の父をして之を卜せしむ。曰く、「男なり。其の名を友と曰ひ、公の右に在らん。兩社に間はり、公室の輔と爲らん。季氏亡びなば、則ち魯昌えず」と。又之を筮し、《大有》の《乾》に之くに遇ふ。曰く、「同じく父に復り、敬すること君の所の如し」と。生まるるに及び、文の其の手に在る有りて「友」と曰ふ。遂に以って之に命く。
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