新書 / 道德說
書者,著德之理於竹帛而陳之令人觀焉,以著所從事,故曰「書者,此之著者也」。詩者,志德之理而明其指,令人緣之以自成也,故曰「詩者,此之志者也」。易者,察人之循德之理與弗循而占其吉凶,故曰 「易者,此之占者也」。春秋者,守往事之合德之理與不合而紀其成敗,以爲來事師法,故曰「春秋者,此之紀者也」。禮者,體德理而爲之節文,成人事,故曰「禮者,此之體者也」。樂者,書、詩、易、春秋、禮五者之道備,則合於德矣。合則歡然大樂矣,故曰「樂者,此之樂者也」。人能修德之理,則安利之謂福。莫不慕福,弗能必得,而人心以爲鬼神以與於利害。是故具犧牲、俎豆、粢盛,齋戒而祭鬼神,欲以佐成福,故曰「祭祀鬼神,爲此福者也。」德之理盡施於人,其在人也,內而難見。
新字:書者,著徳之理於竹帛而陳之令人観焉,以著所従事,故曰「書者,此之著者也」。詩者,志徳之理而明其指,令人縁之以自成也,故曰「詩者,此之志者也」。易者,察人之循徳之理与弗循而占其吉凶,故曰 「易者,此之占者也」。春秋者,守往事之合徳之理与不合而紀其成敗,以為来事師法,故曰「春秋者,此之紀者也」。礼者,体徳理而為之節文,成人事,故曰「礼者,此之体者也」。楽者,書、詩、易、春秋、礼五者之道備,則合於徳矣。合則歓然大楽矣,故曰「楽者,此之楽者也」。人能修徳之理,則安利之謂福。莫不慕福,弗能必得,而人心以為鬼神以与於利害。是故具犠牲、俎豆、粢盛,斎戒而祭鬼神,欲以佐成福,故曰「祭祀鬼神,為此福者也。」徳之理尽施於人,其在人也,内而難見。
書き下し
書は、徳の理を竹帛に著して之を陳べ、人をして観せしめ、以て従事する所を著す、故に曰く「書は、此れの著す者なり」と。詩は、徳の理を志して其の指を明らかにし、人をして之に縁りて以て自ら成さしむるなり、故に曰く「詩は、此れの志す者なり」と。易は、人の徳の理に循うと循わざるとを察して其の吉凶を占う、故に曰く「易は、此れの占う者なり」と。春秋は、往事の徳の理に合うと合わざるとを守りて其の成敗を紀し、以て来事の師法と為す、故に曰く「春秋は、此れの紀す者なり」と。礼は、徳の理を体して之が節文を為し、人事を成す、故に曰く「礼は、此れの体する者なり」と。楽は、書・詩・易・春秋・礼の五者の道備われば、則ち徳に合う。合えば則ち歓然として大いに楽しむ、故に曰く「楽は、此れの楽しむ者なり」と。人能く徳の理を修むれば、則ち安利、之を福と謂う。福を慕わざる莫けれども、必ず得ること能わず、而して人心以為えらく鬼神以て利害に与ると。是の故に犠牲・俎豆・粢盛を具え、斎戒して鬼神を祭り、以て福を佐成せんと欲す、故に曰く「鬼神を祭祀するは、此の福を為す者なり」と。徳の理は尽く人に施され、其の人に在るや、内にして見え難し。
現代語訳
書は、徳の理を竹や帛に書きつけて示し、人に見せ、従うべきことを明らかにするものです。だから「書はこれを書きあらわすものである」と言います。詩は、徳の理を言葉に託してその趣旨を明らかにし、人がそれに沿って自ら成長できるようにするものです。だから「詩はこれを言いあらわすものである」と言います。易は、人が徳の理に従っているかどうかを察して吉凶を占うものです。だから「易はこれを占うものである」と言います。春秋は、過去の事が徳の理に合っていたかどうかを見守り、成功と失敗を記して、将来のことの手本とするものです。だから「春秋はこれを記すものである」と言います。礼は、徳の理を体現して作法と飾りを定め、人の営みを成り立たせるものです。だから「礼はこれを形にするものである」と言います。楽は、書・詩・易・春秋・礼の五つの道が備われば徳に合い、合えば心から大いに楽しむものです。だから「楽はこれを楽しむものである」と言います。人が徳の理をよく修めれば、安らぎと利益があり、これを福といいます。福を慕わない者はいませんが、必ず得られるとは限らず、人々は鬼神が利害に関わっていると考えます。そこで犠牲や祭器や供え物をそろえ、斎戒して鬼神を祭り、福を助け成そうとします。だから「鬼神を祭祀するのは、この福を得るためである」と言います。徳の理はすべて人に施されますが、人の内にあるものは見えにくいのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『新書』道德說六理・六美は、徳の陰陽・天地・人と万物とを生ずる所以なり。固より生ずる所の者の法たり。故に曰く、「道此れ之を道と謂い、徳此れ之を徳と謂い、行此れ之を行と謂う」と。所謂此れを行う者は、徳なり。是の故に此の竹帛に著し之を請うの書なり。書は、此れの著す者なり。詩は、此れの志す者なり。易は、此れの占う者なり。春秋は、此れの紀す者なり。礼は、此れの体する者なり。楽は、此れの楽しむ者なり。鬼神を祭祀するは、此の福を為す者なり。博学弁議するは、此の辞を為す者なり。
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『新書』六術然れども人六行有りと雖も、微細にして識り難く、唯だ先王のみ能く之を審らかにす。凡人は自ら志す能わず。是の故に必ず先王の教えを待ちて、乃ち従事する所を知る。是を以て先王は天下の為に教えを設け、人の有する所に因りて、以て訓と為し、人の情を道きて、以て真と為す。是の故に内は六法に法り、外は六行を体し、以て詩・書・易・春秋・礼・楽の六者の術を興して以て大義と為し、之を六芸と謂う。人をして之に縁りて以て自ら修めしめ、修成れば則ち六行を得。六行正しからざるは、反って六法に合う。芸の六たる所以は、六法に法りて六行を体するが故なり。故に曰く、六にして備わる、と。六者は独り六芸の本たるのみに非ず、他事も亦皆六を以て度と為す。
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『新書』道德說是を以て先王は徳の頌を挙げて辞語を為し、以て其の理を明らかにす。之を天下に陳べ、人をして観せしめ、之を後世に垂れ、弁議して以て之を審察し、以て転た相い告ぐ。是の故に弟子は師に随いて問い、伝学を受けて以て其の知に達し、其の辞を明らかにして以て誠を立つ、故に曰く「博学弁議するは、此の辞職を為す者なり」と。徳の畢く物に施さるるや、物に之有りと雖も、微細にして識り難し。夫れ玉は、真の徳の象なり。六理は玉に在りて、明らかにして見え易し。是を以て玉を挙げて以て諭す、物の徳より受くる所の者は、玉と一体なり。
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『新書』六術徳に六理有り。何をか六理と謂う。道・徳・性・神・明・命、此の六者は徳の理なり。六理生ぜざる無し。已に生じて六理は生ずる所の内に存す。是を以て陰陽・天地・人は尽く六理を以て内度と為し、内度業を成す。故に之を六法と謂う。六法内に蔵され、変じて外に遂ぐ。外に六術を遂ぐ。故に之を六行と謂う。是を以て陰陽に各おの六月の節有り、而して天地に六合の事有り、人に仁・義・礼・智・信の行有り。行和すれば則ち楽興り、楽興れば則ち六なり。此れを之れ六行と謂う。陰陽・天地の動は、六律を失わず。故に能く六法に合う。人謹みて六行を修むれば、則ち亦以て六法に合う可し。
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『淮南子』泰族訓溫惠柔良なる者は、詩の風なり。淳龐敦厚なる者は、書の教えなり。清明條達なる者は、易の義なり。恭儉尊讓なる者は、禮の爲なり。寬裕簡易なる者は、樂の化なり。刺幾辯義なる者は、春秋の靡なり。故に易の失は、鬼なり。樂の失は、淫なり。詩の失は、愚なり。書の失は、拘なり。禮の失は、忮なり。春秋の失は、訾なり。六者は、聖人 兼ね用いて之を財制す。本を失えば則ち亂れ、本を得れば則ち治まる。其の美は和に在り、其の失は權に在り。
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言志四録・言志耋録 第二百二十条 人道は六経に尽く天道は、都て是れ吉凶悔吝にして、易なり。人情は、都て是れ国風雅頌にして、詩なり。政事は、都て是れ訓誥誓命にして、書なり。交際は、都て是れ恭敬辞譲にして、礼なり。人心は、都て是れ感動和楽にして、楽なり。賞罰は、都て是れ抑揚褒貶にして、春秋なり。即ち人道は六経に於て之を尽くすを知る。
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