新書 / 禮
禮者,所以節義而沒不遝,故饗飲之禮,先爵於卑賤,而後貴者始羞,殽膳下浹而樂人始奏。觴不下徧,君不嘗羞;殽不下浹,上不舉樂。故禮者,所以恤下也。由余曰:「乾肉不腐,則左右親;苞苴時有,筐篚時至,則羣臣附;官無蔚藏,腌陳時發,則載其上」詩曰:「投我以木瓜,報之以瓊琚;匪報也,永以爲好也。」上少投之,則下以軀償矣;弗敢謂報,願長以爲好。古之蓄其下者,其施報如此。
新字:礼者,所以節義而没不遝,故饗飲之礼,先爵於卑賤,而後貴者始羞,殽膳下浹而楽人始奏。觴不下遍,君不嘗羞;殽不下浹,上不舉楽。故礼者,所以恤下也。由余曰:「乾肉不腐,則左右親;苞苴時有,筐篚時至,則羣臣附;官無蔚蔵,腌陳時発,則載其上」詩曰:「投我以木瓜,報之以瓊琚;匪報也,永以為好也。」上少投之,則下以躯償矣;弗敢謂報,願長以為好。古之蓄其下者,其施報如此。
書き下し
礼は、義を節して沒して遝らざる所以の者なり。故に饗飲の礼は、爵を卑賤に先にして、後に貴き者始めて羞め、殽膳下に浹くして楽人始めて奏す。觴下に徧からざれば、君羞を嘗めず。殽下に浹からざれば、上楽を挙げず。故に礼とは、下を恤う所以なり。由余曰く、「乾肉腐らざれば、則ち左右親しむ。苞苴時有り、筐篚時に至れば、則ち群臣附く。官に蔚蔵無く、腌陳時に発すれば、則ち其の上を載く」と。詩に曰く、「我に投ずるに木瓜を以てすれば、之に報ずるに瓊琚を以てす。報ずるに匪ず、永く以て好を為さんとなり」と。上少しく之に投ずれば、則ち下は軀を以て償う。敢えて報と謂わず、願わくは長く以て好を為さんと。古の其の下を蓄う者は、其の施報此くの如し。
現代語訳
礼とは、義を整えて、下の者に行き渡らないことがないようにするためのものです。だから宴の礼では、まず身分の低い者に杯を先に出し、そのあとで貴い者が初めて料理に手をつけ、料理が下の者にまで行き渡ってから楽人が演奏を始めます。杯が下の者にまで行き渡らなければ、君主は料理に口をつけません。料理が下まで行き渡らなければ、上は音楽を始めません。だから礼とは、下の者をいたわるためのものです。由余は言いました。「干し肉を腐らせずに分ければ、側近たちは親しむ。贈り物を折々に届け、箱に入れた品を折々に与えれば、家臣たちは付き従う。官府に使い切れない蓄えがなく、古くなった貯蔵を折々に出せば、民は上を戴く」と。詩にはこうあります。「私に木瓜を投げてくれたので、美しい玉でお返しします。お返しのためではなく、末永く仲よくしたいからです」と。上が少しでも下に与えれば、下は身を挺してそれに報います。報いとは言えませんが、末永く親しくありたいと願うのです。昔、下の者を養った人々は、こうして施しと報いを結びつけたのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。
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