新書 / 無蓄
故失時不雨,民且狼顧矣;歲惡不入,請賣爵鬻子,既或聞耳矣,安有爲天下阽危若此而上不驚者!世之有饑荒,天下之矣常也,禹湯被之。即不幸有方二三千里之旱,國何以相恤?卒然邊境有急,數十百萬之衆,國何以餽之矣?兵旱相乘,天下大屈,勇力者聚徒而橫擊,罷夫羸老易子孫而齩其骨。故法未必通也,遠方之疑者幷舉而爭起矣。爲人上者乃試而圖之,豈將有及乎?可以爲富安天下,而直以爲此廩廩也,竊爲陛下惜之。王制曰:「國無九年之蓄,謂之不足;無六年之蓄,謂之急;無三年之蓄,國非其國也。」其王制若此之迫也,陛下奈何不使吏計所以爲此?可以流涕者又是也。
新字:故失時不雨,民且狼顧矣;歳悪不入,請売爵鬻子,既或聞耳矣,安有為天下阽危若此而上不驚者!世之有饑荒,天下之矣常也,禹湯被之。即不幸有方二三千里之旱,国何以相恤?卒然辺境有急,数十百万之衆,国何以餽之矣?兵旱相乗,天下大屈,勇力者聚徒而横撃,罷夫羸老易子孫而齩其骨。故法未必通也,遠方之疑者幷舉而争起矣。為人上者乃試而図之,豈将有及乎?可以為富安天下,而直以為此廩廩也,窃為陛下惜之。王制曰:「国無九年之蓄,謂之不足;無六年之蓄,謂之急;無三年之蓄,国非其国也。」其王制若此之迫也,陛下奈何不使吏計所以為此?可以流涕者又是也。
書き下し
故に時を失いて雨ふらざれば、民且に狼顧せんとす。歳悪しく入らざれば、爵を売り子を鬻がんことを請う、既に或いは聞くのみ、安くんぞ天下の阽危此くの若くにして上驚かざる者有らんや。世の饑荒有るは、天下の矣常なり、禹湯も之を被れり。即し不幸にして方二三千里の旱有らば、国何を以てか相恤まん。卒然として辺境に急有らば、数十百万の衆、国何を以てか之を餽らんや。兵旱相乗じ、天下大いに屈せば、勇力ある者は徒を聚めて横撃し、罷夫羸老は子孫を易えて其の骨を齩む。故に法未だ必ずしも通ぜざるなり、遠方の疑う者は幷せ挙げて争い起こらん。人の上たる者乃ち試みて之を図らば、豈に将に及ぶ有らんや。以て富ましめ天下を安んず可くして、直だ以て此れ廩廩なりと為すは、竊かに陛下の為に之を惜しむ。王制に曰く、「国に九年の蓄え無きを、之を不足と謂い、六年の蓄え無きを、之を急と謂い、三年の蓄え無ければ、国は国に非ざるなり」と。其の王制の此くの若く迫れるに、陛下奈何ぞ吏をして此を為す所以を計らしめざる。以て涕を流す可き者は又是れなり。
現代語訳
だから、雨の時期を逃して降らなければ、民は後ろを振り返りながら怯えるようになります。凶作で収穫がなければ、爵位を売り、子を売らせてほしいと願う話は、すでに耳に入っています。天下がこれほど危うい縁に立っているのに、上に立つ者が驚かないなどということがありましょうか。世に飢饉があることは天下の常で、禹や湯もそれをこうむりました。もし不幸にも二、三千里四方の干ばつが起こったら、国は何で救うのでしょうか。突然国境に危急が起これば、数十万、数百万の軍勢を、国は何で養うのでしょうか。戦と旱が重なって天下がひどく窮すれば、腕っぷしのある者は仲間を集めて暴れ、疲れた者や弱った老人は子や孫を取り替えて骨をしゃぶる有様になります。法が必ずしも行き届かないので、遠方の疑いを抱く者もこぞって争いを起こすでしょう。そうなってから上に立つ者がはじめて対策を試みても、間に合うはずがありません。富ませて天下を安んじられるのに、ただこれを「穀倉の話」とだけ捉えているのは、陛下のために惜しまれます。『王制』には「国に九年の蓄えがなければ不足といい、六年の蓄えがなければ急といい、三年の蓄えがなければ国は国ではない」とあります。『王制』がこれほど切迫して述べているのに、陛下はなぜ役人に、蓄えを作る方法を計らせないのでしょうか。涙を流すほど悲しいのも、このことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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言志四録・言志後録 第百八十一条 凶歉に予め備ふ五穀の豊歉も、亦大抵数有り。三十年前後に必ず小饑荒有り、六十年前後に必ず大凶歉有り。較遅速有りと雖も、竟に免るる能はず。之が為に予め備へざるべけんや。(癸巳春季筆す)
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説苑・建本豊牆磽下は未だ必ずしも崩れざるも、流行潦至れば、壊るること必ず先んず。樹の本浅く、根垓深からざるは、未だ必ずしも橛れざるも、飄風起こり暴雨至れば、抜けること必ず先んず。君子是の国に居りて、仁義を崇めず賢臣を尊ばざるも、未だ必ずしも亡びざるも、然れども一旦非常の変有らば、車馳せ人走り、指して禍至れば、乃ち始めて喉を干し唇を燋がし、天を仰ぎて歎じ、庶幾わくは天其れ之を救わんと、亦難からずや。孔子曰わく、「其の前を慎まずして其の後を悔ゆれば、悔ゆると雖も及ぶ無し」と。詩に曰わく、「其れ啜りて泣く、何ぞ嗟くも及ばん」と。本を先に正さずして末に憂いを成すを言うなり。
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『春秋左氏伝』成公九年 備へ無きかな冬十一月、楚の子重陳より莒を伐ち、渠丘を圍む。渠丘城惡し。眾潰えて、莒に奔る。戊申、楚渠丘に入る。莒人楚の公子平を囚ふ。楚人曰く、「殺す勿かれ。吾而の俘を歸さん」と。莒人之を殺す。楚の師莒を圍む。莒の城も亦た惡し。庚申、莒潰ゆ。楚遂に鄆に入る。莒備へ無きが故なり。君子曰く、「陋を恃みて備へざるは、罪の大なる者なり。不虞に備豫するは、善の大なる者なり。莒其の陋を恃みて、城郭を脩めず。浹辰の間にして、楚其の三都に克つ。備へ無きかな。詩に曰く、『絲麻有りと雖も、菅蒯を棄つる無かれ。姬姜有りと雖も、蕉萃を棄つる無かれ。凡百の君子、匱しきに代はらざる莫し』と。備への以て已むべからざるを言ふなり」と。秦人・白狄晉を伐つ。諸侯貳するが故なり。鄭人許を圍む。晉に君を急がざるを示すなり。是れ則ち公孫申之を謀りて曰く、「我師を出だして以て許を圍み、將に君を改め立てんとする者の為にして、而して晉の使を紓べば、晉必ず君を歸さん」と。中城に城く。時を書するなり。十二月、楚子公子辰をして晉に如かしむ。鍾儀の使に報い、好を修め成を結ばんことを請ふ。
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『春秋左氏伝』昭公十八年 小国、守りを忘るれば危うし七月、鄭の子產火の故の為に、大いに社を為(つく)り、四方に祓禳して、火災を振除す。禮なり。乃ち兵を簡(えら)びて大いに蒐す。將に蒐の為に除(はら)はんとす。子大叔の廟は道の南に在り、其の寢は道の北に在り。其の庭小なり。期を過ぐること三日なり。除徒をして道の南、廟の北に陳せしめて曰く、「子產女(なんぢ)を過ぎて、速やかに除けと命ぜば、乃ち而(なんぢ)が鄉(む)かふ所に毀て」と。子產朝す。過ぎて之を怒る。除く者南に毀つ。子產衝に及び、從者をして之を止めしめて曰く、「北方を毀て」と。火の作るや、子產兵を授けて陴に登らしむ。子大叔曰く、「晉乃ち討ずること無からんや」と。子產曰く、「吾之を聞く、小國守を忘るれば則ち危うし、と。況んや災有るをや。國の小とす可からざるは、備へ有るが故なり」と。既にして晉の邊吏鄭を讓(せ)めて曰く、「鄭國災有り。晉君・大夫敢へて寧居せず、卜筮走望して、牲玉を愛しまず。鄭の災有るは、寡君の憂ひなり。今執事撊然として兵を授けて陴に登らしむ。將に誰を以て罪せんとする」と。
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『文武訓』武訓下一天下太平なれども、武をわするればあやふし。故に治世にも乱を忘れず、武事をまなぶべし。無事なる時武をならはば、後悔なかるべし。遠き慮なければ、必ず近きうれへあり。乱にのぞみて兵をならふは、渇にのぞんで井を掘るがごとし。
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