新書 / 審微
古者周禮,天子葬用隧,諸侯縣下。周襄王出逃伯鬬,晉文公率師誅賊,定周國之亂,復襄王之位。於是襄王賞以南陽之地,文公辭南陽,請即死得以隧下。襄王弗聽,曰:「周國雖微,未之或代也。天子用隧,伯父用隧,是二天子也。以地爲少,餘請益之。」文公乃退。禮,天子之樂宮縣,諸侯之樂軒縣,大夫直縣,士有琴瑟。叔孫于奚者,衛之大夫也。曲縣者,衛君之樂體也。繁纓者,君之駕飾也。齊人攻衛,叔孫于奚率師逆之,大敗齊師。衛於是賞以溫,叔孫于奚辭溫,而請曲縣、繁纓以朝,衛君許之。孔子聞之,曰:「惜乎!不如多與之邑。夫樂者所以載國,國者所以載君。彼樂亡而禮從之,禮亡而政從之,政亡而國從之,國亡而君從之。惜乎!不如多與之邑。」
新字:古者周礼,天子葬用隧,諸侯県下。周襄王出逃伯闘,晋文公率師誅賊,定周国之乱,復襄王之位。於是襄王賞以南陽之地,文公辞南陽,請即死得以隧下。襄王弗聴,曰:「周国雖微,未之或代也。天子用隧,伯父用隧,是二天子也。以地為少,余請益之。」文公乃退。礼,天子之楽宮県,諸侯之楽軒県,大夫直県,士有琴瑟。叔孫于奚者,衛之大夫也。曲県者,衛君之楽体也。繁纓者,君之駕飾也。斉人攻衛,叔孫于奚率師逆之,大敗斉師。衛於是賞以温,叔孫于奚辞温,而請曲県、繁纓以朝,衛君許之。孔子聞之,曰:「惜乎!不如多与之邑。夫楽者所以載国,国者所以載君。彼楽亡而礼従之,礼亡而政従之,政亡而国従之,国亡而君従之。惜乎!不如多与之邑。」
書き下し
古者 周礼に、天子の葬は隧を用い、諸侯は県下す。周の襄王 出でて伯鬬に逃るるや、晋の文公 師を率いて賊を誅し、周国の乱を定め、襄王の位を復す。是に於いて襄王 賞するに南陽の地を以てす。文公 南陽を辞し、即ち死して隧を以て下すを得んことを請う。襄王 聴かずして曰く、「周国は微なりと雖も、未だ之に代わる或らざるなり。天子 隧を用い、伯父も隧を用うれば、是れ二天子なり。地を以て少なしと為さば、余 請う之を益さん」と。文公 乃ち退く。礼に、天子の楽は宮県、諸侯の楽は軒県、大夫は直県、士は琴瑟有り。叔孫于奚は、衛の大夫なり。曲県は、衛君の楽の体なり。繁纓は、君の駕の飾りなり。斉人 衛を攻む。叔孫于奚 師を率いて之を逆え、大いに斉師を敗る。衛 是に於いて賞するに温を以てす。叔孫于奚 温を辞して、曲県・繁纓を以て朝せんことを請い、衛君 之を許す。孔子 之を聞きて曰く、「惜しいかな。多く之に邑を与うるに如かず。夫れ楽は国を載する所以、国は君を載する所以なり。彼の楽 亡べば礼 之に従い、礼 亡べば政 之に従い、政 亡べば国 之に従い、国 亡べば君 之に従う。惜しいかな。多く之に邑を与うるに如かず」と。
現代語訳
昔の周の礼では、天子の葬儀には隧道(墓道)を用い、諸侯は棺を吊り下ろして埋めました。周の襄王が都を出て伯鬬に逃れたとき、晋の文公は軍を率いて賊を討ち、周の国の乱を鎮め、襄王の位を戻しました。そこで襄王は南陽の地を恩賞として与えようとしました。文公は南陽を辞退し、死んだときに隧道を用いることを許してほしいと願いました。襄王は聞き入れず言いました。「周の国は小さいが、まだ他の誰かが代わった例はない。天子が隧を用い、伯父(そなた)も隧を用いれば、二人の天子になってしまう。土地が少ないと思うなら、私がさらに加えよう」。文公はそれで退きました。礼では、天子の楽は四面に楽器を吊り、諸侯は三面、大夫は二面、士は琴瑟だけです。叔孫于奚は衛の大夫でした。曲県は衛君の楽の格式で、繁纓は君の馬車の飾りです。斉人が衛を攻めたとき、叔孫于奚は軍を率いて迎え撃ち、斉軍を大いに破りました。衛は褒賞として温の地を与えようとしましたが、叔孫于奚は温を辞退し、曲県と繁纓を用いて朝廷に出ることを願い、衛君はこれを許しました。孔子はこれを聞いて言いました。「惜しいことだ。もっと多くの邑を与えるほうがよかった。そもそも楽は国を支えるもの、国は君を支えるものだ。楽が亡びれば礼がそれに従って亡び、礼が亡びれば政がそれに従い、政が亡びれば国がそれに従い、国が亡びれば君がそれに従う。惜しいことだ。もっと多くの邑を与えるほうがよかった」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孔子家語・正論解衛の孫桓子、斉を侵し、敗に遇う。斉人之に乗じ、新築の大夫を執う。仲叔於奚、其の衆を以て桓子を救い、桓子乃ち免る。衛人邑を以て仲叔於奚に賞せんとするに、於奚辞す。曲懸の楽、繁纓もて以て朝せんことを請う。之を許し、書は三官に在り。子路衛に仕え、其の故を見て、以て孔子に訪う。孔子曰く、「惜しいかな、之に邑を多く与うるに如かず。惟だ器と名とは、以て人に仮すべからず、君の司る所なり。名は以て信を出し、信は以て器を守り、器は以て礼を蔵し、礼は以て義を行い、義は以て利を生じ、利は以て民を平らかにす、政の大節なり。若し以て人に仮さば、人に政を与うるなり。政亡べば、則ち国家之に従う、止むべからざるなり。」
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国語・周語中晋の文公既に襄王を郟(こう)に定む。王之を労(ねぎら)うに地を以てす。辞して、隧(すい)を請う。王許さずして曰く、「昔我が先王の天下を有つや、方千里を規して以て甸服と為し、以て上帝・山川・百神の祀に供し、以て百姓兆民の用に備え、以て不庭・不虞の患いを待つ。其の余は以て公侯伯子男に均分し、各寧宇有らしめ、以て天地に順及し、其の災害に逢うこと無からしむ。先王豈に頼(り)有らんや。内官は九御に過ぎず、外官は九品に過ぎず、以て神祇に供給するに足るのみ。豈に敢えて其の耳目心腹を猒縦(えんじゅう)して以て百度を乱さんや。亦唯是れ死生の服物采章、以て百姓に臨長して軽重之を布く。王何の異なること之れ有らん。今天禍災を周室に降す。余一人僅(わず)かに亦府を守るのみ。又不佞(ふねい)にして以て叔父を勤めしむ。而るに先王の大物を班(わか)ちて以て私徳を賞せば、其れ叔父実に応じて且つ憎み、以て余一人を非とせん。余一人豈に敢えて愛(お)しむこと有らんや。先民言えること有りて曰く、『玉を改むれば行を改む』と。叔父若し能く大徳を光裕し、姓を更め物を改め、以て天下を創制し、自ら顕庸して、備物を縮取して以て百姓を鎮撫せば、余一人其れ裔土に流辟旅(りゅうへきりょ)せん、何の辞か之れ有らんや。若し由お是れ姫姓ならば、尚お将に列して公侯と為り、以て先王の職を復せんとす。大物は其れ未だ改む可からざるなり。叔父其れ懋(つと)めて明徳を昭らかにせよ。物将に自ら至らんとす。余何ぞ敢えて私労を以て前の大章を変じ、以て天下を忝(はずかし)めん。其れ先王と百姓とを若何せん。何の政令をか之れ為さん。若し然らずんば、叔父地有りて隧せば、余安んぞ能く之を知らん」と。文公遂に敢えて請わず、地を受けて還る。
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『韓非子』內儲說上七術第三十過ち有るも罪せず、功無くして賞を受くれば、亡ぶと雖も、亦可ならずや」と。斉国厚葬を好み、布帛は衣衾に尽き、材木は棺椁に尽く。桓公之を患ひ、以て管仲に告げて曰く、「布帛尽くれば則ち以て蔽ひと為す無く、材木尽くれば則ち以て守備と為す無し。而るに人の厚葬すること休まず、之を禁ずること奈何」と。管仲対へて曰く、「凡そ人の為す有るや、之を名とするに非ざれば、則ち之を利とするなり」と。是に於て乃ち令を下して曰く、「棺椁度に過ぐる者は其の尸を戮し、夫の喪に当たる者を罪す」と。夫れ死を戮すれば名無く、喪に当たる者を罪すれば利無し。人何の故にか之を為さんや。衛の嗣君の時、胥靡有りて魏に逃れ、因りて襄王の后の為に病を治す。衛の嗣君之を聞き、人をして五十金を以て之を買はんことを請はしむ。五たび反るも魏王予へず、乃ち左氏を以て之に易へんとす。群臣左右諫めて曰く、「夫れ一都を以て胥靡を買ふは、可ならんや」と。王曰く、「子の知る所に非ざるなり。夫れ治に小無く、乱に大無し。法立たずして誅必ならずんば、十の左氏有りと雖も益無きなり。法立ちて誅必ならば、十の左氏を失ふと雖も害無きなり」と。魏王之を聞きて曰く、「主治めんと欲して之に聴かざるは、不祥なり」と。因りて載せて往き、徒だ之を献ず。三。斉王、文子に問ひて曰く、「国を治むること何如」と。対へて曰く、「夫れ賞罰の道為る、利器なり。君固く之を握り、以て人に示すべからず。臣の如き者の若きは、猶ほ獣鹿のごときなり、唯だ薦草にのみ就く」と。越王、大夫文種に問ひて曰く、「吾呉を伐たんと欲す、可ならんか」と。対へて曰く、「可なり。吾が賞は厚くして信、罰は厳にして必なり。君之を知らんと欲せば、何ぞ試みに宮室を焚かざる」と。是に於て遂に宮室を焚く。人之を救ふ莫し。乃ち令を下して曰く、「人の火を救ひて死する者は、死敵の賞に比し、火を救ひて死せざる者は、勝敵の賞に比し、火を救はざる者は、降北の罪に比す」と。人の其の体に塗り濡衣を被て火に走る者、左に三千人、右に三千人。此れ必勝の勢ひを知るなり。呉起、魏の武侯の為に西河の守と為る。秦に小亭有りて境に臨む。呉起之を攻めんと欲す。去らずんば、則ち甚だ田者を害す。之を去らんとすれば、則ち以て甲兵を徴するに足らず。
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『新書』禮容語下魯の叔孫昭子宋に聘し、宋の元公之と燕し、酒を飲みて楽しむ。昭子右に坐し、歌終わりて語り、因りて相泣く。楽祁曰く、「過てり、君。哀しむ所に非ざるなり」と。已にして人に告げて曰く、「今茲、君と叔孫と其れ皆死せんか。吾之を聞く、哀しみて楽しみ、楽しみて哀しむは、皆心を喪うなりと。心の精爽は是を魂魄と謂う。魂魄已に失えば、何を以て能く久しからん。且つ吾之を聞く、民に主たる者は媮なる可からず、媮なれば必ず死すと。今君と叔孫と其の語皆媮なり、死日遠からず」と。居ること六月、宋の元公薨ず。間すること一月、叔孫婼卒す。晋の叔向周に聘し、幣を大夫に発す。単靖公に及び、靖公之を享すること倹にして敬、賓礼贈賄同じく、是れ礼にして従う、享燕に私無く、送ること郊を過ぎず、語りて昊天有成命を説く。
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史記 晋世家従亡の賤臣壺叔曰く、「君三たび賞を行ふも、賞臣に及ばず。敢て罪を請ふ」と。文公報じて曰く、「夫れ我を導くに仁義を以てし、我を防ぐに徳恵を以てす。此れ上賞を受く。我を輔くるに行ひを以てし、卒に以て成立す。此れ次賞を受く。矢石の難、汗馬の労、此れ復た次賞を受く。若し力を以て我に事へて吾が欠を補ふこと無き者は、此れ復た次賞を受く。三賞の後、故に且に子に及ばんとす」と。晋人之を聞き、皆説ぶ。二年春、秦河上に軍し、将に王を入れんとす。趙衰曰く、「覇を求むるは王を入れて周を尊ぶに如くは莫し。周・晋は同姓なり。晋先んじて王を入れずして、後に秦之を入れば、以て天下に令する毋からん。方今王を尊ぶは、晋の資なり」と。三月甲辰、晋乃ち兵を発して陽樊に至り、温を囲み、襄王を周に入る。四月、王の弟帯を殺す。周の襄王晋に河内の陽樊の地を賜ふ。四年、楚の成王及び諸侯宋を囲む。宋の公孫固晋に如きて急を告ぐ。先軫曰く、「施しに報い覇を定むるは、今に在り」と。狐偃曰く、「楚新たに曹を得て初めて衛に婚す。若し曹・衛を伐たば、楚必ず之を救はん。則ち宋免れん」と。是に於て晋三軍を作る。趙衰郤縠を挙げて中軍に将たらしめ、郤臻之を佐く。狐偃をして上軍に将たらしめ、狐毛之を佐く。趙衰に命じて卿と為す。欒枝下軍に将たり、先軫之を佐く。荀林父戎に御し、魏犫右と為る。往きて伐つ。冬十二月、晋の兵先づ山東に下り、而して原を以て趙衰を封ず。五年春、晋の文公曹を伐たんと欲し、道を衛に仮る。衛人許さず。還りて河南より度り、曹を侵し、衛を伐つ。正月、五鹿を取る。二月、晋侯・斉侯斂盂に盟ふ。衛侯晋に盟はんことを請ふ。晋人許さず。衛侯楚と与せんと欲す。国人欲せず。故に其の君を出だして以て晋を説ばしむ。衛侯襄牛に居り、公子買衛を守る。楚衛を救ふも、卒へず。晋侯曹を囲む。
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『新序』善謀第九晉の文公の時、周の襄王に弟太叔の難有り。出亡して鄭に居り、入るを得ず。使いをして難を魯に、晉に、秦に吿げしむ。其の明年の春、秦伯河上に師し、將に王を納れんとす。狐偃晉の文公に言いて曰く、諸侯を求むるは、王に勤むるに如くは莫し。且つ大義なり。諸侯之を信ぜん。文の業を繼ぎて、信を諸侯に宣ぶるは、今爲す可きなり、と。卜す。偃之を卜して曰く、吉なり。黃帝阪泉に戰うの兆に遇う、と。公曰く、吾堪えざるなり、と。對えて曰く、周の禮未だ改まらず。今の王は、古の帝なり、と。公曰く、之を筮せよ、と。之を筮するに、大有の暌に遇う。曰く、吉なり。公用て天子に享せらるるの卦に遇う。戰いて克ちて王享す。吉孰れか焉より大ならん。且つ是の卦や、天澤と爲りて以て日に當たる。天子心を降して以て公を迎う。亦た可ならずや。大有暌を去りて復す。亦た其の所なり、と。晉侯秦師を辭して下る。三月甲辰、陽樊に次る。右師温を圍み、左師王を逆う。夏、四月丁巳、王王城に入る。太叔を温に取りて之を隰城に殺す。戊午、晉侯王に朝す。王醴を享し、之に侑を命じ、之に陽樊・温原・攢茅の田を予う。晉是に於いて始めて南陽の地を開く。其の後三年、文公遂に再び諸侯を會して以て天子に朝す。天子之に弓矢・秬鬯を錫い、以て方伯と爲す。晉の文公の命是れなり。卒に覇道を成すは、狐偃の謀なり。夫れ秦・魯皆な晉に狐偃の善謀有りて以て覇功を成すを疑う。故に謀帷幄に得れば、則ち功天下に施さる。狐偃の謂いなり。
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