孔子家語 / 正論解
衛孫桓子侵齊,遇敗焉。齊人乘之,執新築大夫,仲叔於奚以其眾救桓子,桓子乃免。衛人以邑賞仲叔於奚,於奚辭。請曲懸之樂,繁纓以朝。許之,書在三官。子路仕衛,見其故,以訪孔子。孔子曰:「惜也,不如多與之邑。惟器與名,不可以假人,君之所司,名以出信,信以守器,器以藏禮,禮以行義,義以生利,利以平民,政之大節也。若以假人,與人政也。政亡,則國家從之,不可止也。」
新字:衛孫桓子侵斉,遇敗焉。斉人乗之,執新築大夫,仲叔於奚以其眾救桓子,桓子乃免。衛人以邑賞仲叔於奚,於奚辞。請曲懸之楽,繁纓以朝。許之,書在三官。子路仕衛,見其故,以訪孔子。孔子曰:「惜也,不如多与之邑。惟器与名,不可以仮人,君之所司,名以出信,信以守器,器以蔵礼,礼以行義,義以生利,利以平民,政之大節也。若以仮人,与人政也。政亡,則国家従之,不可止也。」
書き下し
衛の孫桓子、斉を侵し、敗に遇う。斉人之に乗じ、新築の大夫を執う。仲叔於奚、其の衆を以て桓子を救い、桓子乃ち免る。衛人邑を以て仲叔於奚に賞せんとするに、於奚辞す。曲懸の楽、繁纓もて以て朝せんことを請う。之を許し、書は三官に在り。子路衛に仕え、其の故を見て、以て孔子に訪う。孔子曰く、「惜しいかな、之に邑を多く与うるに如かず。惟だ器と名とは、以て人に仮すべからず、君の司る所なり。名は以て信を出し、信は以て器を守り、器は以て礼を蔵し、礼は以て義を行い、義は以て利を生じ、利は以て民を平らかにす、政の大節なり。若し以て人に仮さば、人に政を与うるなり。政亡べば、則ち国家之に従う、止むべからざるなり。」
現代語訳
衛の孫桓子が斉に攻め入り、敗北を喫した。斉軍がそれに乗じて攻めたてたため、新築の大夫が捕らわれてしまった。仲叔於奚は自分の手勢を率いて桓子を救出し、桓子はそれによって危機を脱した。衛の人々は仲叔於奚に領地を与えて褒賞しようとしたが、於奚はこれを辞退した。その代わりに、諸侯並みの音楽の曲懸の礼と、馬の胸飾りである繁纓をつけて朝廷に出仕することを願い出た。衛の君主はこれを許可し、その記録は三官(司徒・司馬・司空)の記録に残された。子路が衛に仕えていたとき、この経緯を知り、孔子に意見を求めた。孔子は言った、「惜しいことだ。それよりは領地を多く与えた方がよかった。そもそも礼の器物と称号というものは、みだりに人に貸し与えてはならない。それは君主が専ら司るべきものだからだ。称号によって信義を明らかにし、信義によって器物の秩序を守り、器物によって礼を保ち、礼によって義を行い、義によって利益を生み出し、利益によって民を平らかにする、これが政治の大切な要である。もしこれをみだりに人に貸し与えれば、それは政治そのものを人に与えてしまうことになる。政治が失われれば、国家もそれに従って滅びる。一度失えば取り返しがつかないのだ。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孔子家語・致思子路孔子に見えて曰わく、「重きを負い遠きを渉るには、地を択ばずして休み、家貧しく親老いては、禄を択ばずして仕う。昔者由や、二親に事うるの時、常に藜藿の実を食らい、親の為に米を負うこと百里の外にす。親歿するの後、南のかた楚に遊ぶ。従車百乗、粟を積むこと万鐘、茵を累ねて坐し、鼎を列ねて食らう。藜藿を食らい、親の為に米を負わんと願欲すれども、復た得可からざるなり。枯魚索に銜まるるは、幾何ぞ蠹せざらん。二親の寿は、忽として隙を過ぐるが若し。」 孔子曰わく、「由や親に事うるは、生きては事えて力を尽くし、死しては事えて思いを尽くす者と謂う可し。」
-
孔子家語・始誅孔子魯の司寇と為り、相の事を摂行し、喜色有り。仲由問いて曰く、「由聞く、君子禍至るも懼れず、福至るも喜ばず、と。今夫子位を得て喜ぶは、何ぞや。」孔子曰く、「然り、是の言有るなり。貴を以て人に下るを楽しむと曰わずや。」
-
論語 公冶長篇子曰く、『由や果(あら)し。政に従うに何か有らん。』
-
孔子家語・致思子路蒲の宰と為る。水備を為し、其の民と溝瀆を修む。民の労煩苦しむを以て、人に一簞の食、一壺の漿を与う。孔子之を聞き、子貢をして之を止めしむ。 子路忿りて悦ばず、孔子に見えて曰わく、「由や暴雨将に至らんとするを以て、水災有らんことを恐れ、故に民と溝洫を修めて以て之に備う。而して民に匱餓する者多し、是を以て簞食壺漿もて之に与う。夫子賜をして之を止めしむ、是れ夫子由の仁を行うを止むるなり。夫子仁を以て教えて其の行いを禁ず、由受けざるなり。」 孔子曰わく、「汝民を以て餓うと為さば、何ぞ君に白して倉廩を発きて以て之を賑わさざる。而して私に爾の食を以て之に饋る、是れ汝君の恵無きを明らかにし、而して己の徳の美を見わすなり。汝速やかに已めば則ち可なり、然らずんば則ち汝の罪せらるること必せり。」
-
史記 仲尼弟子列伝仲由、字は子路、卞の人なり。孔子より少きこと九歳。子路の性は鄙しく、勇力を好み、志は伉直なり。雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子、礼を設けて稍く子路を誘ふ。子路後に儒服して質を委し、門人に因りて弟子為るを請ふ。子路、政を問ふ。孔子曰く、「之に先んじ、之を労ふ」と。益さんことを請ふ。曰く、「倦む無かれ」と。子路問ふ、「君子は勇を尚ぶか」と。孔子曰く、「義を之れ上と為す。君子、勇を好みて義無ければ則ち乱し、小人、勇を好みて義無ければ則ち盗す」と。子路、聞くこと有り、未だ之を行ふ能はざれば、唯だ聞くこと有るを恐る。孔子曰く、「片言以て獄を折む可き者は、其れ由なるか」と。「由や勇を好むこと我に過ぐ。材を取る所無し」と。「由の若きや、其の死を得ざらん」と。季康子問ふ、「仲由は仁なるか」と。孔子曰く、「千乗の国、其の賦を治めしむ可し、其の仁なるを知らず」と。
-
孔子家語・致思子路蒲を治め、見えんことを孔子に請いて曰わく、「由夫子に教えを受けんことを願う。」 子曰わく、「蒲は其れ如何。」 対えて曰わく、「邑壮士多く、又治め難きなり。」 子曰わく、「然り、吾爾に語らん。恭にして敬なれば、以て勇を攝む可し。寛にして正しければ、以て強を懐く可し。愛にして恕なれば、以て困を容る可し。温にして断なれば、以て奸を抑う可し。此くの如くにして之に加うれば、則ち正すこと難からず。」