新書 / 權重
諸侯勢足以專制,力足以行逆,雖令冠處女,勿謂無敢;勢不足以專制,力不足以行逆,雖生夏育,有仇讎之怨,猶之無傷也。然天下當今恬然者,遇諸侯之俱少也。後不至數歲,諸侯皆冠,陛下且見之矣,豈不苦哉!力當能爲而不爲,畜亂宿禍,高拱而不憂,其紛也宜也,甚可謂不知且不仁。夫秦自逆,日夜深惟,苦心竭力,危在存亡,以除六國之憂。今陛下力制天下,頤指而如意,而故稱六國之禍,難以言知矣。苟身常無患,但爲禍未在所制也。亂媒日長,孰視而不定。萬年之後,傳之老母弱子,使曹、勃不能制,可謂仁乎?
新字:諸侯勢足以専制,力足以行逆,雖令冠処女,勿謂無敢;勢不足以専制,力不足以行逆,雖生夏育,有仇讎之怨,猶之無傷也。然天下当今恬然者,遇諸侯之倶少也。後不至数歳,諸侯皆冠,陛下且見之矣,豈不苦哉!力当能為而不為,畜乱宿禍,高拱而不憂,其紛也宜也,甚可謂不知且不仁。夫秦自逆,日夜深惟,苦心竭力,危在存亡,以除六国之憂。今陛下力制天下,頤指而如意,而故称六国之禍,難以言知矣。苟身常無患,但為禍未在所制也。乱媒日長,孰視而不定。万年之後,伝之老母弱子,使曹、勃不能制,可謂仁乎?
書き下し
諸侯の勢い以て専制するに足り、力以て逆を行うに足れば、冠せしむと雖も処女を、敢えて無しと謂う勿かれ。勢い以て専制するに足らず、力以て逆を行うに足らざれば、夏・育を生ずると雖も、仇讎の怨み有れども、猶お之れ傷つくる無きがごとし。然れども天下の当今 恬然たるは、諸侯の俱に少きに遇えばなり。後 数歳に至らず、諸侯 皆 冠せば、陛下 且に之を見んとす、豈に苦しからずや。力 当に能く為すべくして為さず、乱を畜え禍を宿し、高拱して憂えざるは、其の紛るるや宜なり。甚だしきは知らず且つ不仁と謂う可し。夫れ秦は自ら逆い、日夜 深く惟い、心を苦しめ力を竭くし、危うきこと存亡に在り、以て六国の憂いを除く。今 陛下 力 天下を制し、頤もて指せば如意なり。而るに故に六国の禍を称す、以て知を言い難し。苟くも身 常に患無きも、但だ禍を為すこと未だ制する所に在らざるなり。乱媒 日に長じ、孰視して定まらず。万年の後、之を老母弱子に伝え、曹・勃をして制する能わざらしめば、仁と謂う可けんや。
現代語訳
諸侯は、勢いが専断するに足り、力が謀反を行うに足れば、たとえ処女に冠をかぶせたような者でも、あえて何もしないと言ってはなりません。勢いが専断するに足らず、力が謀反を行うに足らなければ、夏育のような勇者が生まれ、仇への恨みがあったとしても、害にはなりません。それでも天下がいま穏やかなのは、諸侯がみな若いからにすぎません。数年もたたないうちに諸侯がみな成人すれば、陛下はそれをご覧になり、どれほど苦しまれることでしょう。力があって為すべきことを為さず、乱を蓄え禍を寝かせ、腕組みして憂えないのでは、紛糾して当然です。ひどければ、知恵がなく、しかも仁でないと言うべきです。かの秦は自ら道に逆らい、日夜深く思い、心を苦しめ力を尽くし、存亡の危うさのなかで六国の憂いを除きました。いま陛下は力が天下を制し、あごで指せば思いのままです。それなのにわざわざ六国の禍を称えるのは、知恵があるとは言い難いことです。いま身に常に患いがなくても、禍がまだ抑えられる範囲にあるというだけです。乱の種は日々大きくなり、じっと見つめていても定まりません。陛下が亡くなられた後、老いた母や幼い子に伝え、曹参や周勃のような者でも抑えられなければ、仁といえるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公二十一年 先んずれば人の心を奪う冬、十月、華登吳の師を以って華氏を救ふ。齊の烏枝鳴宋を戍る。廚人濮曰く、「軍志に之れ有り、『人に先んずれば人の心を奪ふ有り、人に後るれば其の衰へを待つ有り』と。盍ぞ其の勞して且つ未だ定まらざるに及びて、諸を伐たざる。若し入りて固くせば、則ち華氏衆からん。悔ゆとも及ぶ無からん」と。之に從ふ。丙寅、齊の師・宋の師、吳の師を鴻口に敗り、其の二帥、公子苦雂・偃州員を獲たり。華登、其の餘を帥ゐて以って宋の師を敗る。公出でんと欲す。廚人濮曰く、「吾は小人なり、死を藉(か)す可くして亡を送る能はず。君請ふ之を待て」と。乃ち徇へて曰く、「徽を楊ぐる者は、公の徒なり」と。衆之に從ふ。公楊門より之を見、下りて之を巡りて曰く、「國亡び君死するは、二三子の恥なり。豈に專ら孤の罪ならんや」と。齊の烏枝鳴曰く、「少を用ゐるは齊しく死を致すに如くは莫く、齊しく死を致すは備へを去るに如くは莫し。彼は兵多し。
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『春秋左氏伝』宣公十二年 人に先んずる趙嬰齊其の徒をして先づ舟を河に具へしむ、故に敗れて先づ濟る。潘黨既に魏錡を逐ふ。趙旃夜楚の軍に至り、軍門の外に席して、其の徒をして之に入らしむ。楚子乘廣三十乘を為り、分ちて左右と為す。右廣は、雞鳴にして駕し、日中にして說く。左則ち之を受け、日入にして說く。許偃右廣に御し、養由基右と為る。彭名左廣に御し、屈蕩右と為る。乙卯、王左廣に乘りて、以て趙旃を逐ふ。趙旃車を棄てて林に走る、屈蕩之に搏ちて、其の甲裳を得たり。晉人二子の楚の師を怒らせんことを懼るるや、軘車をして之を逆へしむ。潘黨其の塵を望み、騁せて告げしめて曰く、「晉の師至れり」と。楚人も亦た王の晉の軍に入らんことを懼るるや、遂に出でて陳す。孫叔曰く、「之を進めよ。寧ろ我人に薄るとも、人の我に薄ること無かれ。詩に云ふ、『元戎十乘、以て先づ行を啟く』と、人に先んずるなり。軍志に曰く、『人に先んずれば人の心を奪ふこと有り』と、之に薄るなり」と。遂に疾く師を進め、車馳せ卒奔りて、晉の軍に乘ず。桓子為す所を知らず、軍中に鼓して、曰く、「先づ濟る者には賞有り」と。
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孫子・虚実篇孫子曰く、凡そ先に戦地に処して敵を待つ者は佚く、後に戦地に処して戦いに趨く者は労す。
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葉隠・聞書第一鉄山(てつざん)、老後に申し候は、「取手は相撲には違い、一旦(いったん)下になりても、後に勝ちさえすれば済む事と心得罷(まか)り在り。近年存じ当たり候は、一旦下になりて居る時、若(も)し誰(だれ)ぞ取りさかえ候わば負けになるべし。始めに勝つが始終の勝ちなり。」と申され候由。
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『春秋左氏伝』文公七年 人に先んじて心を奪う秦の康公公子雍を晉に送りて、曰く、「文公の入るや、衛無し、故に呂・郤の難有り」と。乃ち多く之に徒衛を與ふ。穆嬴日に太子を抱きて以って朝に啼きて、曰く、「先君何の罪かある、其の嗣も亦た何の罪かある。適嗣を舍てて立てずして、外に君を求む、將に焉くにか此を寘かんとする」と。朝を出づれば則ち抱きて以って趙氏に適き、宣子に頓首して曰く、「先君此の子を奉じて、諸を子に屬して曰く、『此の子や才あらば、吾子の賜を受けん。不才ならば、吾唯だ子を之れ怨みん』と。今君終はると雖も、言猶ほ耳に在り、而るに之を棄つるは、若何」と。宣子と諸大夫と皆穆嬴を患ひ、且つ偪らるるを畏れ、乃ち先蔑に背きて靈公を立て、以って秦の師を禦ぐ。箕鄭居守す。趙盾中軍に將たり、先克之に佐たり。荀林父上軍に佐たり。先蔑下軍に將たり、先都之に佐たり。步招戎に御し、戎津右と為る。堇陰に及び、宣子曰く、「我若し秦を受けば、秦は則ち賓なり。受けずんば、寇なり。既に受けず、而も復た師を緩くせば、秦將に心を生ぜんとす。人に先んじて人の心を奪ふ有るは、軍の善謀なり。寇を逐ふこと逃ぐるを追ふが如くするは、軍の善政なり」と。
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戦国策・或謂公仲或るひと公仲に謂いて曰く、「今一舉にして以て主に忠にし、國に便にし、身に利する可き有り、願わくは公の之を行わんことを。今天下散じて秦に事うれば、則ち韓最も輕んぜられん。天下合して秦を離るれば、則ち韓最も弱からん。合離の相續けば、則ち韓最も先に危うからん。此れ君國長民の大患なり。今公韓を以て先に秦に合すれば、天下之に隨わん、是れ韓天下を以て秦に事うるなり、秦の韓を德とすること厚し。韓天下と與に秦に朝すれども、獨り厚く德を取れば、公の之を行うの計、是れ其の主に於けるや至忠なり。天下秦に合せず、秦令すれども聽かざれば、秦必ず兵を起こして服せざるを誅せん。秦久しく天下と怨みを結び難を構え、兵決せず、韓士民を息めて以て其の亹を待たば、公の之を行うの計、是れ其の國に於けるや、大便なり。昔者周佼西周を以て秦に善くして、梗陽に封ぜられ、周啟東周を以て秦に善くして、平原に封ぜらる。今公韓を以て秦に善くすれば、韓の兩周に重きこと計る無く、秦の機を爭うや、周の時より萬なり。今公韓を以て天下に先んじて秦に合すれば、秦必ず公を以て諸侯と為し、以て明らかに天下に示さん、公の之を行うの計、是れ其の身に於けるや大利なり。願わくは公の務めを加えんことを。」
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