慎思録 / 巻之六
篤信爲性。記得鮮矣。故每觀群書。好抄錄。提其精要。以備後覽。自謂。是可爲看讀之良法也。葛稚川曰。余抄掇衆書。撮其精要。用力少。而所收多。思不繁。而所見博。是稚川所可謂先得吾心之所同然也。
新字:篤信為性。記得鮮矣。故毎観群書。好抄録。提其精要。以備後覧。自謂。是可為看読之良法也。葛稚川曰。余抄掇衆書。撮其精要。用力少。而所収多。思不繁。而所見博。是稚川所可謂先得吾心之所同然也。
書き下し
篤信の性為る、記得すること鮮し。故に群書を観る毎に、抄録することを好み、其の精要を提して、以て後覧に備ふ。自ら謂ふ、是れ看読の良法と為すべしと。葛稚川曰く、余衆書を抄掇し、其の精要を撮れば、力を用ゐること少なくして、収むる所多く、思ひ繁からずして、見る所博しと。是れ稚川の、先づ吾が心の同じく然る所を得たりと謂ふべきなり。
現代語訳
私篤信の性質は、物覚えがよくありません。だから多くの書物を読むたびに書き抜くことを好み、その要点を取り出して、後で見るのに備えています。自分では、これが読書のよい方法だと思っています。葛稚川(葛洪)は「私は多くの書物を書き抜き、その要点をつまみ取るので、力を使うことは少なく得るものは多く、考えは煩わしくなくて見るところは広い」と言いました。これは稚川が、私の心と同じところを先に得ていたと言うべきです。
解説
物覚えが悪いので、読むたびに要点を抄録して後で見返すのが読書の良法だと述べ、葛洪の同じ言葉に共感した、巻之六の結びの条です。葛洪(稚川)は東晋の道士・学者で、『抱朴子』の著者です。「先づ吾が心の同じく然る所を得たり」は『孟子』告子上の語です。益軒の膨大な著作は、こうした抄録の蓄積に支えられていました。記憶に頼らず、要点を書き抜いて整理する習慣は、ノートやメモを使う今の学びにもそのまま通じる、確かな方法です。
この章句が説くこと
読書抄録学問方法記録
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