慎思録 / 巻之六
朱子曰。平生自知無用。唯欲修葺小文字。以待後世。庶有小補於天地之間。篤信意謂。是先賢之事業。固後人之所不可及也。然而今日學者之所志。亦當要如此。葢吾人生乎天地之間。而受於罔極之恩。其生養之德。巨報於其萬一。豈亦忍忘之乎哉。然吾曹卑賤。不能下愛養民人。以酬天恩。惟綴輯於小文字之隨分易做者。以惠兒輩。是庶幾有補於萬一。而平生綴輯之書。豈特述說義理而巳耶。雖小道鄙陋之事。苟有裨民用者。選擇述之。亦惟可也。若夫註釋於經傳。則先賢之訓解既明備矣。不用後人之贅言而足矣。况我曹庸愚之學。不可妄作。苟有可述之事。必俟後之君子而可也。
新字:朱子曰。平生自知無用。唯欲修葺小文字。以待後世。庶有小補於天地之間。篤信意謂。是先賢之事業。固後人之所不可及也。然而今日学者之所志。亦当要如此。葢吾人生乎天地之間。而受於罔極之恩。其生養之徳。巨報於其万一。豈亦忍忘之乎哉。然吾曹卑賤。不能下愛養民人。以酬天恩。惟綴輯於小文字之随分易做者。以恵児輩。是庶幾有補於万一。而平生綴輯之書。豈特述説義理而巳耶。雖小道鄙陋之事。苟有裨民用者。選択述之。亦惟可也。若夫註釈於経伝。則先賢之訓解既明備矣。不用後人之贅言而足矣。況我曹庸愚之学。不可妄作。苟有可述之事。必俟後之君子而可也。
書き下し
朱子曰く、平生自ら無用なるを知る。唯だ小文字を修葺して、以て後世を待ち、天地の間に小補有るに庶からんことを欲すと。篤信意ふに、是れ先賢の事業にして、固より後人の及ぶべからざる所なり。然り而して今日の学者の志す所も、亦当に此くの如くなることを要すべし。蓋し吾人は天地の間に生まれて、罔極の恩を受く。其の生養の徳、巨ぞ其の万一に報いんや。豈に亦之を忘るるに忍びんや。然れども吾が曹は卑賤にして、下民人を愛養して、以て天恩に酬ゆること能はず。惟だ小文字の分に随ひて做し易き者を綴輯して、以て児輩に恵む。是れ万一に補ひ有るに庶幾からん。而して平生綴輯するの書、豈に特だ義理を述説するのみならんや。小道鄙陋の事と雖も、苟も民用に裨有る者は、選択して之を述ぶるも、亦惟れ可なり。若し夫れ経伝に註釈するは、則ち先賢の訓解既に明備なり。後人の贅言を用ゐずして足れり。況んや我が曹庸愚の学、妄りに作るべからず。苟も述ぶべきの事有らば、必ず後の君子を俟ちて可なり。
現代語訳
朱子は「私は日ごろ自分が役に立たないことを知っている。ただ小さな文章を手入れして後世を待ち、天地の間に少しでも補いがあればと願うだけだ」と言いました。私篤信が思うに、これは先賢の事業であって、もとより後の人の及ぶところではありません。しかし今日の学ぶ者の志すところも、やはりこのようであるべきです。思うに私たちは天地の間に生まれて、窮まりない恩を受けています。その生み養う徳に、どうして万分の一でも報いられるでしょうか。どうしてそれを忘れるに忍びましょう。しかし私たちは身分が低く、下々の民を愛し養って天の恩に報いることはできません。ただ分に応じてなしやすい小さな文章をつづり集めて、子どもたちに恵むだけです。これが万分の一の補いにでもなればと願います。そして日ごろつづり集める書物は、どうして道理を述べ説くことだけでしょうか。小さな技芸や卑しいことであっても、民の役に立つものであれば、選んで述べるのもまたよいのです。経書や伝に注釈することについては、先賢の解釈がすでに明らかで整っています。後の人の余計な言葉は必要ありません。まして私たちの凡庸で愚かな学問で、みだりに作るべきではありません。もし述べるべきことがあれば、必ず後の君子を待てばよいのです。
解説
この章句が説くこと
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