慎思録 / 巻之六
三軍可奪帥。如關羽望見袁紹大將軍顏良麾蓋。策馬刺良於萬衆之中。斬其首還。紹諸將莫能當者。是也。雖至難之事。猶可能也。如奪匹夫之志。雖如易爲。然不可能也。如王蠋不降燕之類。是也。
新字:三軍可奪帥。如関羽望見袁紹大将軍顔良麾蓋。策馬刺良於万衆之中。斬其首還。紹諸将莫能当者。是也。雖至難之事。猶可能也。如奪匹夫之志。雖如易為。然不可能也。如王蠋不降燕之類。是也。
書き下し
三軍も帥を奪ふべし。関羽の袁紹の大将軍顔良の麾蓋を望見し、馬に策うちて良を万衆の中に刺し、其の首を斬りて還り、紹の諸将能く当たる者莫きが如き、是れなり。至難の事と雖も、猶ほ能くすべきなり。匹夫の志を奪ふが如きは、為し易きが如しと雖も、然れども能くすべからず。王蠋の燕に降らざるの類の如き、是れなり。
現代語訳
大軍の総大将でも奪うことはできます。関羽が袁紹の大将顔良の旗印と車蓋を遠くに見て、馬に鞭打ち、万の軍勢の中で顔良を刺し、その首を斬って帰り、袁紹の諸将に立ち向かえる者がいなかったのがその例です。きわめて難しいことでも、なおできるのです。しかし一人の男の志を奪うことは、たやすいように見えて、できません。王蠋が燕に降らなかったたぐいがその例です。
解説
『論語』子罕篇の「三軍も帥を奪ふべきなり、匹夫も志を奪ふべからざるなり」を、歴史の実例で説いた条です。関羽が顔良を斬った話は『三国志』関羽伝に見えます。王蠋は戦国時代の斉の人で、燕の楽毅に招かれても「忠臣は二君に事へず」と拒んで自害したと『史記』田単列伝にあります。武力で大将は討てても、一人の志は力では奪えません。自分の信念を持つことの強さと、他人の信念を力で曲げられないことの両方を教える条です。
この章句が説くこと
志論語関羽節義信念
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