慎思録 / 巻之六
程子曰。堯夫道偏駁。於此可見康節之學與程子不同。伊川謝康節欲同遊看花曰。吾平生未嘗看花。是恐與伊川初年吟風弄月之氣象不同。又與康節寬舒之氣象異。其謹嚴與伯夷之隘同者耶。
新字:程子曰。堯夫道偏駁。於此可見康節之学与程子不同。伊川謝康節欲同遊看花曰。吾平生未嘗看花。是恐与伊川初年吟風弄月之気象不同。又与康節寛舒之気象異。其謹厳与伯夷之隘同者耶。
書き下し
程子曰く、堯夫は道偏駁なりと。此に於いて康節の学と程子と同じからざるを見るべし。伊川、康節の同じく遊びて花を看んと欲するを謝して曰く、吾平生未だ嘗て花を看ずと。是れ恐らくは伊川初年の吟風弄月の気象と同じからず。又康節の寛舒の気象と異なる。其の謹厳、伯夷の隘と同じき者か。
現代語訳
程子は「堯夫(邵康節)の道は偏っていて純粋でない」と言いました。ここに康節の学問と程子の学問が同じでないことが見て取れます。伊川は、康節が一緒に出かけて花を見ようと誘ったのを断って、「私はこれまで一度も花見をしたことがありません」と言いました。これはおそらく伊川が若いころの、風に吟じ月を弄ぶような気象とも違い、また康節ののびやかな気象とも異なります。その謹厳さは、伯夷の狭さと同じたぐいのものでしょうか。
解説
北宋の邵雍(康節)と程頤(伊川)の人柄と学風の違いを論じた条です。康節は象数易に通じ、自適の暮らしを楽しんだ人で、程子はその学を「偏駁」と評しました。花見の誘いを断った伊川の厳しさを、益軒は『孟子』公孫丑上で「伯夷は隘なり」と評された伯夷の狭さになぞらえています。益軒は朱子学者でありながら、程子の厳格さも一つの偏りと見ていました。立派な人にも気質の癖があると知っておくと、師や上司を見る目が穏やかになります。
この章句が説くこと
気象謹厳偏り程伊川邵康節
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