慎思録 / 巻之六
小雅蓼莪篇。此孝子行役而喪其親者之所作。第一章曰。哀哀父母。生我劬勞。葢其思慕之意最深切。令人發感歎。宜乎王裒之三復流涕也。四章曰。父兮生我。母兮鞠我。云云。此言父母之恩深厚。爲人子者。宜反覆吟咏。而追思想像之也。大全小註謝疊山說此章精詳。可謂發明於經意也。學者宜熟玩。
新字:小雅蓼莪篇。此孝子行役而喪其親者之所作。第一章曰。哀哀父母。生我劬労。葢其思慕之意最深切。令人発感嘆。宜乎王裒之三復流涕也。四章曰。父兮生我。母兮鞠我。云云。此言父母之恩深厚。為人子者。宜反覆吟咏。而追思想像之也。大全小註謝畳山説此章精詳。可謂発明於経意也。学者宜熟玩。
書き下し
小雅蓼莪の篇は、此れ孝子の役に行きて其の親を喪ふ者の作る所なり。第一章に曰く、哀哀たる父母、我を生みて劬労すと。蓋し其の思慕の意最も深切にして、人をして感歎を発せしむ。宜なるかな王裒の三復して流涕せしこと。四章に曰く、父や我を生み、母や我を鞠ふと、云云。此れ父母の恩の深厚なることを言ふ。人の子為る者は、宜しく反覆吟詠して、之を追思想像すべし。大全の小註に謝畳山此の章を説くこと精詳なり。経意を発明すと謂ふべし。学者宜しく熟玩すべし。
現代語訳
『詩経』小雅の蓼莪篇は、孝行な子が兵役に出ているあいだに親を亡くして作ったものです。第一章に「ああ悲しい、父母は私を生んで苦労された」とあります。その慕う思いは最も深く切実で、読む人の胸を打ちます。晋の王裒がこの句を読むたびに三度繰り返して涙を流したのももっともです。第四章には「父は私を生み、母は私を養い育ててくれた」云々とあります。これは父母の恩の深く厚いことを言ったものです。人の子たる者は、繰り返し吟じて、その恩を思い起こし心に描くべきです。『詩経大全』の小注に謝畳山がこの章を詳しく説いており、経の意味をよく明らかにしたものと言えます。学ぶ者はよく味わうべきです。
解説
親を亡くした子の悲しみをうたう蓼莪篇を取り上げ、繰り返し読んで父母の恩を思えと勧める条です。王裒は晋の人で、父が非業の死を遂げたため、この詩を読むたびに涙を流し、弟子たちはこの篇を読まなくなったと『晋書』に伝わります。謝畳山は南宋の謝枋得です。益軒は孝を人倫の根本とする朱子学の立場から、詩を知識としてでなく心で味わう読み方を示しています。親のありがたさは失ってから気づくことが多いものですが、古典の一篇がそれを前もって教えてくれます。
この章句が説くこと
孝恩詩経父母読書
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