慎思録 / 巻之五
本朝古昔信使屢通中夏。故朝禮粗效中華。而其制頗行矣。如武家禮節。雖源義家頗定諸法式。至後世頽敗久矣。將軍足利義滿公憂其廢絕。命其臣今川左京大夫賴氏小笠原兵庫助長秀伊勢平氏滿忠。令議定於諸禮法。筆之於書。名之曰三議一統。葢三人相議。而一統天下之禮法也。厥後武家雖改姓易代。然歷世遵行而不廢。至乎今尙依據焉。葢因其所制頗合乎土宜也。
新字:本朝古昔信使屡通中夏。故朝礼粗効中華。而其制頗行矣。如武家礼節。雖源義家頗定諸法式。至後世頽敗久矣。将軍足利義満公憂其廃絶。命其臣今川左京大夫頼氏小笠原兵庫助長秀伊勢平氏満忠。令議定於諸礼法。筆之於書。名之曰三議一統。葢三人相議。而一統天下之礼法也。厥後武家雖改姓易代。然歴世遵行而不廃。至乎今尚依拠焉。葢因其所制頗合乎土宜也。
書き下し
本朝古昔、信使屢中夏に通ず。故に朝礼粗中華に効ひて、其の制頗る行はる。武家の礼節の如き、源義家頗る諸法式を定むと雖も、後世に至りて頽敗すること久し。将軍足利義満公、其の廃絶を憂へ、其の臣今川左京大夫頼氏・小笠原兵庫助長秀・伊勢平氏満忠に命じて、諸礼法を議定せしめ、之を書に筆し、之に名づけて三議一統と曰ふ。蓋し三人相議して、天下の礼法を一統するなり。厥の後武家姓を改め代を易ふと雖も、然れども歴世遵行して廃せず。今に至るまで尚ほ依拠す。蓋し其の制する所頗る土宜に合ふに因るなり。
現代語訳
わが国では昔、使節がたびたび中国に通いました。だから朝廷の礼はおおむね中国にならい、その制度がかなり行われました。武家の礼節については、源義家がかなり多くの作法を定めましたが、後世になって長く崩れていました。将軍足利義満公はその廃絶を憂え、家臣の今川左京大夫頼氏、小笠原兵庫助長秀、伊勢満忠に命じて、さまざまな礼法を協議して定めさせ、それを書に記して「三議一統」と名づけました。三人が相談して、天下の礼法を一つに統べたのです。その後、武家は姓が改まり時代が移りましたが、代々守り行って廃れず、今に至るまでなお拠りどころとしています。その定めたものが、よく国の風土に合っていたからでしょう。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』尚賢下若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず忠信の士は喜び、忠ならず信ならざる士は懼れんと為す。今、唯だ尚賢を以て其の國家百姓に政を為す毋くんば、國の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。夫れ以て天下に政を為さば、天下の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。然らば昔、吾が堯舜禹湯文武の道を貴ぶ所以の者は、何の故を以てなるか。其の唯だ衆に臨み政を發して民を治むるに毋くんば、天下の善を為す者をして得て勸む可からしめ、暴を為す者をして得て沮む可からしむるを以てなり。然らば則ち此の尚賢なる者は、堯舜禹湯文武の道と同じきなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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老子 第18章大道廃れて、仁義有り。智慧出でて、大偽有り。六親和せずして、孝慈有り。国家昏乱して、忠臣有り。
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孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
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