慎思録 / 巻之五
韓子言左氏之浮誇。後人稱其言之當。夫左傳誠是古代之好書。猶不免有此病。况後世文人之所作。往往浮誇者不鮮矣。是不要義理。而以言辭爲滑稽者也。
新字:韓子言左氏之浮誇。後人称其言之当。夫左伝誠是古代之好書。猶不免有此病。況後世文人之所作。往往浮誇者不鮮矣。是不要義理。而以言辞為滑稽者也。
書き下し
韓子、左氏の浮誇を言ふ。後人其の言の当なるを称す。夫れ左伝は誠に是れ古代の好書なり。猶ほ此の病有るを免れず。况や後世の文人の作る所、往往浮誇なる者鮮からず。是れ義理を要せずして、言辞を以て滑稽を為す者なり。
現代語訳
韓愈は『左伝』の浮ついた誇張を指摘し、後の人はその言葉が当たっているとたたえました。『左伝』はまことに古代のよい書です。それでもこの病を免れていません。まして後世の文人が作ったものには、しばしば浮ついた誇張のものが少なくありません。これは義理を求めず、言葉で面白おかしくしているものです。
解説
韓愈は「進学解」で「春秋は謹厳、左氏は浮誇」と評しました。『左伝』は『春秋』の注釈書で、豊かな物語と弁舌に富む名文として知られますが、そのぶん誇張や脚色も多いとされます。益軒は、古典の名作にさえこの欠点があるのだから、後世の文人の作はなおさらだと言います。面白く語ることと正しく語ることは別物です。話を盛り上げるために事実を誇張していないか。読者を引きつける工夫が、内容の誠実さを損なっていないか。書き手にも話し手にも問われる点です。
この章句が説くこと
左伝浮誇文章誠実韓愈
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