慎思録 / 巻之五
萬物之始生。資始於天。資生於地。是天生之地育之也。葢人物之生也。形交而生焉。與艸木蒔種子而相續者異。其初不止父精之獨施。母精亦同相合。渾融無間。而始爲種子。是胎之成也。故易曰。男女構精。萬物化生。然後於胎中養育。十月而分娩。是母之功。比父爲最多。如父其始有施精之功而已。故於搆精之時。其功與母相半。到于胎中之養育。則全是母之功也。故人之生也。固以資父之氣爲本始。然而母之滋育功勞爲過父。猶萬物之生也。以資始於乾元爲本。然而資生於坤元之功爲多也。是以人之禀性也。其形容心志。似父者常少。似母者常多。以其資生者多也。故雖父賢知。然母姦凶。則所生之子。亦不似父之賢知。而似母之不德。則必不肖之子也。然則娶妻買妾。
新字:万物之始生。資始於天。資生於地。是天生之地育之也。葢人物之生也。形交而生焉。与艸木蒔種子而相続者異。其初不止父精之独施。母精亦同相合。渾融無間。而始為種子。是胎之成也。故易曰。男女構精。万物化生。然後於胎中養育。十月而分娩。是母之功。比父為最多。如父其始有施精之功而已。故於搆精之時。其功与母相半。到于胎中之養育。則全是母之功也。故人之生也。固以資父之気為本始。然而母之滋育功労為過父。猶万物之生也。以資始於乾元為本。然而資生於坤元之功為多也。是以人之禀性也。其形容心志。似父者常少。似母者常多。以其資生者多也。故雖父賢知。然母姦凶。則所生之子。亦不似父之賢知。而似母之不徳。則必不肖之子也。然則娶妻買妾。
書き下し
万物の始めて生ずる、始めを天に資り、生を地に資る。是れ天之を生じ地之を育するなり。蓋し人物の生ずるや、形交はりて生ず。草木の種子を蒔きて相続く者と異なる。其の初め父精の独り施すに止まらず、母精も亦同じく相合し、渾融して間無くして、始めて種子と為る。是れ胎の成るなり。故に易に曰く、男女精を構せて、万物化生す、と。然る後に胎中に於て養育し、十月にして分娩す。是れ母の功、父に比して最も多しと為す。父の如きは其の始めに施精の功有るのみ。故に構精の時に於ては、其の功母と相半ばす。胎中の養育に到れば、則ち全く是れ母の功なり。故に人の生ずるや、固より父の気に資るを以て本始と為す。然り而して母の滋育の功労は父に過ぐと為す。猶ほ万物の生ずるや、始めを乾元に資るを以て本と為し、然り而して生を坤元に資るの功多しと為すがごとし。是を以て人の稟性や、其の形容心志、父に似る者常に少なく、母に似る者常に多し。其の生を資る者多きを以てなり。故に父賢知なりと雖も、然れども母姦凶なれば、則ち生む所の子も、亦父の賢知に似ずして、母の不徳に似る。則ち必ず不肖の子なり。然らば則ち妻を娶り妾を買ふ。
現代語訳
万物が初めて生まれるときは、始まりを天に頼り、生育を地に頼ります。つまり天が生み、地が育てるのです。そもそも人や動物が生まれるときは、形が交わって生まれます。草木が種を蒔いて続いていくのとは違います。その初めには、父の精がただ一方的に施されるだけでなく、母の精も同じく合わさり、溶け合って隔てがなくなって、初めて種となります。これが胎ができることです。だから『易』に「男女が精を合わせて、万物が化生する」とあります。その後、胎の中で養い育て、十か月で出産します。これは母の功で、父に比べて最も多いのです。父はその初めに精を施す功があるだけです。だから精を合わせるときは、その功は母と半々です。胎の中での養育に至っては、すべて母の功です。だから人が生まれるのは、もちろん父の気に頼ることを本の始まりとしますが、母の育む功労は父よりも大きいのです。万物が生まれるのに、始まりを乾元に頼ることを本としながら、生育を坤元に頼る功が大きいのと同じです。そこで人の生まれつきは、その姿形や心や志が、父に似る者は常に少なく、母に似る者は常に多いのです。生育を頼る部分が多いからです。だから父が賢くても母が悪く凶暴であれば、生まれる子も父の賢さに似ず、母の不徳に似ます。必ず愚かな子になるでしょう。そうであれば、妻を娶り妾を迎えるときは(次条に続く)。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之五其の性行を審らかに択ばざるべからず。又須らく父家の良賤を選ぶべし。唯其の容貌の美悪を以て取舎を為すべからず。然れども君子の父に於けるや、愛敬兼ね至り、母に比して最も厚き者は、何ぞや。蓋し人の生ずるや、始めを父に資る。是れ稟受の本源たり。母の如きは、養育の功固より多しと雖も、然れども其の本始たりて之を統ぶる者は父なり。是れ猶ほ地育の功厚しと雖も、特に天生の徳大なるがごとし。故に父は天たり、母は地たり。其の尊卑自ら同じからず。此れ父を以て至尊至親と為し、其の尊ぶべきこと天と斉し。故に君子は最も其の父に厚くして、母は其の次なり。
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『慎思録』巻之四易に曰く、至れるかな坤元。万物資りて生ず。乃ち順ひて天を承く、と。蓋し地は天の気の中に在りて、順ひて天の施しを承けて、万物を成すなり。是れ地の能く万物を生育する者は、独り成すこと能はず。亦た天道に順承するなり。
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説苑・辨物夫れ天地に徳有り、合すれば則ち生気精有り。陰陽消息すれば則ち変化に時有り。時を得て治まり、時を得て化す、時を失えば則ち乱る。是の故に人生まれて具わらざる者五つ。目見ゆる無く、食らう能わず、行く能わず、言う能わず、化を施す能わず。故に三月にして眼達して後に能く見、七月にして歯生じて後に能く食らい、期年にして臏(ひざ)生じて後に能く行き、三年にして合して後に能く言い、十六にして精通じて後に能く化を施す。陰窮まれば陽に反り、陽窮まれば陰に反る。故に陰は陽を以て変じ、陽は陰を以て変ず。故に男は八月にして歯を生じ、八歳にして歯を毀ち、二八十六にして精小しく通ず。女は七月にして歯を生じ、七歳にして歯を毀ち、二七十四にして精化小しく通ず。不肖なる者は精化始めて至り、生気感動し、情に触れて欲を縦にす。故に反りて施化を乱す。故に詩に云う、「乃ち之くの人の如きは、婚姻を懐うなり。大いに信無きなり、命を知らざるなり」と。賢者は然らず、精化填盈して後、時の遇うべからざるを傷み、道端を見ずして、乃ち情欲を陳べて以て歌う。詩に曰わく、「静女其れ姝(しゅ)なり、我を城隅に俟つ。愛して見えず、首を掻きて踟躕(ちちゅう)す」と。「彼の日月を瞻(み)て、遙遙として我思う。道の云(ここ)に遠し、曷(なん)ぞ来る能わん」と。時を急(せ)くの辞なり、甚だしきかな、故に日月を称するなり。
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『慎思録』巻之五草木の生ずるは、人類動物と同じからず。雌雄交媾の事無し。但各自ら種子有りて生ず。其の種子を下せば、則ち地能く之を養ひて生長するのみ。然れども動物にも亦相似たる者有り。魚鼈の如き、亦既に卵を生じて、而る後に其の母伏育すること能はず。惟水土の気之を養ひて能く形を成す。此れ皆人類禽獣と異なる。
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『慎思録』巻之一天下の人は、天を父と為し、地を母と為して、天地の子為り。是を以て万物の中、唯人を最も貴しと為す。是れ霊為る所以なり。夫れ然り。故に人の天地に於けるや、罔極の恩有り。豈に唯気を稟くるの初め、其の始生の功に資るのみならんや。抑も有生の後、覆載愛育の恩も、亦此に係る。是の故に儒者終身の事業は、啻だ天地に事へて其の道を尽くすに在るのみ。西銘に所謂存しては吾順ひ事へ、没しては吾寧んずの意、学者の当に知るべき所なり。天地に事ふるの道は如何。曰く、仁を為すのみ。仁を為すの道は、心を存し性を養ひて、人物を愛育するに在るのみ。蓋し吾が心性は乃ち天地の賦与する所にして、即ち仁なり。之を存養して梏亡せざる者は、天地に事ふるの本なり。且つ夫れ天下の人物は、是れ天地の生ずる所なり。天地は其の生ずる所を愛育す。是の故に君子の天地に事ふるの道は、親を親しみ民を仁して物を愛するに在るのみ。聖人の民に教ふるに五典を惇くするを以てする所以なり。且つ其の余事は、又物を愛するに在るのみ。是れ人倫を惇くし万物を愛する者は、天地生育の心に奉若する所以なり。然らば則ち豈に敢へて人を慢悪し、物を暴殄して、天地生育の心に乖戻すべけんや。是を以て人物を愛養する者は、乃ち存心養性の功用にして、仁を為すの事なり。是れ天地に事ふるの道なり。
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『慎思録』巻之四朱子曰く、天は陰陽五行を以て万物を化生す。気以て形を成して、理も亦た賦す、と。窃かに謂ふ、天は即ち理なり。陰陽五行の万物を化生する所以の者は、即ち理之をして然らしむるなり。然らば則ち此の天の字は、理を以て言ふを是と為す。此れ万物未だ生ぜざる時を以て言ふ。蓋し天地に生理有りて、万物之に資りて始めて生ず。道は必ず陰陽有りて具はる。苟も陰陽無ければ、則ち以て道と為すべからず。陰陽は乃ち天道物を生ずるの具なり。故に以と曰ふなり。気以て形を成して、理も亦た賦す、此れ万物既に生ずる時を以て言ふ。蓋し万物の既に形を成すや、理も亦た旧に依りて在り。是れ理も亦た賦すなり。