師導古典を学びたいすべての人に

説苑 / 辨物

夫天地有德,合則生氣有精矣;陰陽消息,則變化有時矣。時得而治矣,時得而化矣,時失而亂矣;是故人生而不具者五:目無見,不能食,不能行,不能言,不能施化。故三月達眼而後能見,七月生齒而後能食,期年生臏而後能行,三年合而後能言,十六精通而後能施化。陰窮反陽,陽窮反陰,故陰以陽變,陽以陰變。故男八月而生齒,八歲而毀齒,二八十六而精小通;女七月而生齒,七歲而毀齒,二七十四而精化小通。不肖者精化始至,而生氣感動,觸情縱欲,故反施亂化。故詩云:「乃如之人,懷婚姻也;大無信也,不知命也。」賢者不然,精化填盈後,傷時之不可遇也,不見道端,乃陳情欲以歌。詩曰:「靜女其姝,俟我乎城隅;愛而不見,搔首踟躕。」「瞻彼日月,遙遙我思;道之云遠,曷云能來?」急時之辭也,甚焉,故稱日月也。

新字:夫天地有徳,合則生気有精矣;陰陽消息,則変化有時矣。時得而治矣,時得而化矣,時失而乱矣;是故人生而不具者五:目無見,不能食,不能行,不能言,不能施化。故三月達眼而後能見,七月生齒而後能食,期年生臏而後能行,三年合而後能言,十六精通而後能施化。陰窮反陽,陽窮反陰,故陰以陽変,陽以陰変。故男八月而生齒,八歲而毀齒,二八十六而精小通;女七月而生齒,七歲而毀齒,二七十四而精化小通。不肖者精化始至,而生気感動,触情縦欲,故反施乱化。故詩云:「乃如之人,懐婚姻也;大無信也,不知命也。」賢者不然,精化填盈後,傷時之不可遇也,不見道端,乃陳情欲以歌。詩曰:「静女其姝,俟我乎城隅;愛而不見,搔首踟躕。」「瞻彼日月,遙遙我思;道之云遠,曷云能来?」急時之辞也,甚焉,故称日月也。

書き下し

夫れ天地に徳有り、合すれば則ち生気精有り。陰陽消息すれば則ち変化に時有り。時を得て治まり、時を得て化す、時を失えば則ち乱る。是の故に人生まれて具わらざる者五つ。目見ゆる無く、食らう能わず、行く能わず、言う能わず、化を施す能わず。故に三月にして眼達して後に能く見、七月にして歯生じて後に能く食らい、期年にして臏(ひざ)生じて後に能く行き、三年にして合して後に能く言い、十六にして精通じて後に能く化を施す。陰窮まれば陽に反り、陽窮まれば陰に反る。故に陰は陽を以て変じ、陽は陰を以て変ず。故に男は八月にして歯を生じ、八歳にして歯を毀ち、二八十六にして精小しく通ず。女は七月にして歯を生じ、七歳にして歯を毀ち、二七十四にして精化小しく通ず。不肖なる者は精化始めて至り、生気感動し、情に触れて欲を縦にす。故に反りて施化を乱す。故に詩に云う、「乃ち之くの人の如きは、婚姻を懐うなり。大いに信無きなり、命を知らざるなり」と。賢者は然らず、精化填盈して後、時の遇うべからざるを傷み、道端を見ずして、乃ち情欲を陳べて以て歌う。詩に曰わく、「静女其れ姝(しゅ)なり、我を城隅に俟つ。愛して見えず、首を掻きて踟躕(ちちゅう)す」と。「彼の日月を瞻(み)て、遙遙として我思う。道の云(ここ)に遠し、曷(なん)ぞ来る能わん」と。時を急(せ)くの辞なり、甚だしきかな、故に日月を称するなり。

現代語訳

そもそも天地には徳があり、それが調和すれば生命の気に精妙さが生まれる。陰陽が満ち引きすれば、変化には時宜がある。時宜を得れば治まり、時宜を得れば正しく化育するが、時宜を失えば乱れる。だから人が生まれたときにまだ備わっていないものが五つある。目はまだ見えず、食べることができず、歩くことができず、話すことができず、生殖の働きを施すこともできない。だから三ヶ月で眼が開いて初めて見ることができ、七ヶ月で歯が生えて初めて食べることができ、満一年で膝の骨が固まって初めて歩くことができ、三年で口の機能が整って初めて話すことができ、十六歳で精気が通じて初めて生殖の働きを施すことができる。陰が窮まれば陽に転じ、陽が窮まれば陰に転じる。だから陰は陽によって変化し、陽は陰によって変化する。だから男子は生後八ヶ月で歯が生え、八歳で歯が抜け替わり、十六歳で生殖の精気がわずかに通じ始める。女子は生後七ヶ月で歯が生え、七歳で歯が抜け替わり、十四歳で生殖の精気がわずかに通じ始める。愚かな者は精気が通じ始めるとすぐに、生命の気が高ぶり、情欲に触れて欲望のままにふるまう。だからかえって生成化育の秩序を乱してしまう。だから詩経に「ああこのような人は、ただ婚姻を思い焦がれるばかりだ。まことに節度がなく、天命をわきまえていない」とある。賢者はそうではない。精気が満ち足りてから後も、時宜に恵まれないことを嘆き悲しみ、正しい道の糸口が見えなくても、情欲をそのまま述べて歌に託す。詩経に「あの物静かな娘は美しく、私を城の隅で待っている。恋しく思うが会えず、頭を掻いてためらい佇む」とあり、また「あの日や月を眺めては、遥かに思いを馳せる。道のりはこんなにも遠く、どうして来ることができようか」とある。これは時を待ちきれない切迫した言葉であり、まさに切実であるからこそ、日や月を引き合いに出しているのである。

解説

人の心身の発育には厳密な「時」があるという生理的観察から出発し、その時宜を待てずに欲望のままに動く愚者と、時宜が来なくとも情を歌に昇華させて節度を保つ賢者とを対比させる構成が巧みである。ここで説かれているのは禁欲そのものではなく、欲求と機が熟すタイミングとのずれにどう向き合うかという成熟の作法である。現代においても、成果や評価を急いで手に入れようとする焦りは判断を誤らせがちであり、機が熟すまでの間、衝動をそのまま行動化せず健全な形で表現し続けられるかどうかが、人としての器量を分けるのだろう。

この章句が説くこと

時宜陰陽節度

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる