慎思録 / 巻之五
孟子曰。君子親親而仁民。仁民而愛物。此言君子之道在博仁愛於萬物。而仁愛之之道。有厚薄次序也。葢天地萬物。本自一體。皆所當仁愛之也。是理一也。而其中自有親疎貴賤之品秩不同。是分殊也。故施仁愛之方。不能無厚薄之宜。先後之序。故親親仁民愛物。三者有緩急輕重。不可紊。如墨氏兼愛。是無三者之差等也。如釋氏禁戒殺生。而絕滅人倫是薄親貴而厚疏賤。可謂倒行逆施也。又與墨氏兼愛異。
新字:孟子曰。君子親親而仁民。仁民而愛物。此言君子之道在博仁愛於万物。而仁愛之之道。有厚薄次序也。葢天地万物。本自一体。皆所当仁愛之也。是理一也。而其中自有親疎貴賤之品秩不同。是分殊也。故施仁愛之方。不能無厚薄之宜。先後之序。故親親仁民愛物。三者有緩急軽重。不可紊。如墨氏兼愛。是無三者之差等也。如釈氏禁戒殺生。而絶滅人倫是薄親貴而厚疏賤。可謂倒行逆施也。又与墨氏兼愛異。
書き下し
孟子曰く、君子は親を親しみて民を仁し、民を仁して物を愛す、と。此れ君子の道は仁愛を万物に博くするに在り、而して之を仁愛するの道に、厚薄次序有るを言ふなり。蓋し天地万物は、本自ら一体にして、皆当に之を仁愛すべき所なり。是れ理一なり。而して其の中自ら親疎貴賤の品秩の同じからざる有り。是れ分殊なり。故に仁愛を施すの方は、厚薄の宜しき、先後の序無きこと能はず。故に親を親しみ民を仁し物を愛する、三者緩急軽重有り。紊るべからず。墨氏の兼愛の如きは、是れ三者の差等無きなり。釈氏の殺生を禁戒して人倫を絶滅するが如きは、是れ親貴を薄くして疎賤を厚くす。倒行逆施と謂ふべし。又墨氏の兼愛と異なり。
現代語訳
孟子は「君子は親を親しみ、それを推して民を仁し、民を仁してそれを推して物を愛する」と言いました。これは、君子の道は仁愛を万物に広く及ぼすことにあり、その仁愛の仕方には厚い薄いの順序があることを言ったのです。そもそも天地万物はもともと一体で、みな仁愛すべきものです。これが「理は一つ」ということです。しかしその中には、親しい疎い、貴い賤しいの等級の違いがおのずとあります。これが「分は殊なる」ということです。だから仁愛を施す方法には、厚い薄いのほどよさや、先と後の順序がないわけにはいきません。だから親を親しみ、民を仁し、物を愛する三つには、緩急軽重があり、乱してはなりません。墨子の兼愛は、この三つの差がないものです。仏教が殺生を禁じながら人倫を絶つのは、親しく貴いものを薄くし、疎く賤しいものを厚くするものです。逆さまのやり方と言うべきです。これはまた墨子の兼愛とも異なります。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之四君子の道、親を親しみ民を仁しみ物を愛する者は、義有り。蓋し親と民と物と、三者は皆天の生ずる所にして、愛育する所なり。是を以て吾が天に事ふるの道は、当に天の愛する所を厚くすべし。吾の之を親しみ之を仁しみ之を愛する者は、乃ち天心に順ひて之に事ふる所以なり。此れ一義と為す。且つ三者は本是れ天地の生ずる所にして、吾と一気同体なり。所謂民は吾が同胞、物は吾が与なり。是れ厚くせざるべからず。故に吾の之を親しみ之を仁しみ之を愛する者は、乃ち吾が気類を厚くする所以なり。此れ一義と為す。然れども二義有りと雖も、之を要するに皆是れ天に事ふるの道なり。人子の親に事ふるの道も、亦た此に猶し。蓋し人の子為る者は、父母の生む所を厚くし、父母の愛する所を愛す。是れ兄弟を宜しくすれば、則ち親に事ふるの道なり、一義と為す。又克く兄弟に友なるは、此れ同気を厚くするなり、是れ一義と為す。然れども其の友愛此の如くなれば、則ち是れ父母も亦た之を悦楽す。此れも亦た親に事ふるの道なり。故に二者は、之を要するに皆是れ親に事ふるの事なり。夫れ仁人の親に事ふるや、天に事ふるが如く、天に事ふること親に事ふるが如し。蓋し仁孝は一理なり。天に事ふると親に事ふると、其の事異なりと雖も、然れども其の心同じく、其の理一なり。
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