五常訓 / 巻之一・総論
昔もろこしの齊の宣王は、一牛を殺すを情なく思ひ、助けられしは、誠に惻隱の心、善心の發なり。されども、わが國の多くの人民の飢寒をすくはず。是牛を愛する仁心はありながら、其仁心をおしひろめて、萬民に及ぼす工夫なくして、民を飢寒せしむ。火のはじめてもえ出でたるを打消したるが如し、物を燒くことあたはず。およそ人の善を行はずして、不善をするは、皆其善心あるをおしひろめざるなり。善をするは、皆善心の內にあるを、外におしひろむるなり。親に事ふるに、親を愛する一念あるは善なり。これをおしひろむれば、大孝にいたる。もし是をすてゝ、おしひろめざれば、不孝となる。自餘も皆此類なり。故に善と惡とは、此心をおしひろむると、おしひろめざるとに有り。
新字:昔もろこしの斉の宣王は、一牛を殺すを情なく思ひ、助けられしは、誠に惻隠の心、善心の発なり。されども、わが国の多くの人民の飢寒をすくはず。是牛を愛する仁心はありながら、其仁心をおしひろめて、万民に及ぼす工夫なくして、民を飢寒せしむ。火のはじめてもえ出でたるを打消したるが如し、物を焼くことあたはず。およそ人の善を行はずして、不善をするは、皆其善心あるをおしひろめざるなり。善をするは、皆善心の内にあるを、外におしひろむるなり。親に事ふるに、親を愛する一念あるは善なり。これをおしひろむれば、大孝にいたる。もし是をすてゝ、おしひろめざれば、不孝となる。自余も皆此類なり。故に善と悪とは、此心をおしひろむると、おしひろめざるとに有り。
書き下し
昔もろこしの斉の宣王は、一牛を殺すを情なく思ひ、助けられしは、誠に惻隠の心、善心の発なり。されども、わが国の多くの人民の飢寒をすくはず。是牛を愛する仁心はありながら、其仁心をおしひろめて、万民に及ぼす工夫なくして、民を飢寒せしむ。火のはじめてもえ出でたるを打消したるが如し、物を焼くことあたはず。およそ人の善を行はずして、不善をするは、皆其善心あるをおしひろめざるなり。善をするは、皆善心の内にあるを、外におしひろむるなり。親に事ふるに、親を愛する一念あるは善なり。これをおしひろむれば、大孝にいたる。もし是をすてて、おしひろめざれば、不孝となる。自余も皆此類なり。故に善と悪とは、此心をおしひろむると、おしひろめざるとに有り。
現代語訳
昔、中国の斉の宣王は、一頭の牛を殺すのを情けなく思って助けられましたが、これはまことに惻隠の心、善い心の発露です。けれども、自分の国の多くの人民の飢えや寒さは救いませんでした。これは牛を愛する仁の心はありながら、その仁の心を押し広めて万民に及ぼす工夫がなくて、民を飢えこごえさせたのです。火が初めて燃え出したのを打ち消したようなもので、物を焼くことができません。およそ人が善を行わずに不善をするのは、みなその善い心があるのを押し広めないからです。善をするのは、みな内にある善い心を外に押し広めるからです。親に仕えるのに、親を愛する一念があるのは善です。これを押し広めれば大孝に至ります。もしこれを捨てて押し広めなければ、不孝となります。そのほかもみなこの類です。ゆえに善と悪とは、この心を押し広めるか押し広めないかにあります。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『初学訓』巻之一一人となるものは、つねに天地につかへて、其大恩を報ぜんことをおもひ、父母につかへて、孝を行ふがごとく、天地に仁をつくして忘るべからず。仁とは、心にあはれみ有りて、人物をめぐむをいふ。是天のめぐみにしたがひうけて、天地につかふる道なり。是人の道とする本意にして、一生の間つとむべきわざなり。怠るべからず忘るべからず。天につかへて仁なると、父母につかへて孝なるとは同じ。仁孝一理なり。人たる者の、必ず知りて行ふべき理、これより大なるはなく、又是より急なるはなし。すべて人は、父母の家に居ては、父母に専に孝を尽し、君に仕へては、君に専に忠をつくすべきが如く、天地の中に在りては、天地につかへ奉りて、仁をつくすべし。人となる者、若かかる大事を知らで、いたづらに日をおくり世を過ぐさば、一生をむなしくして、人となれるかひなかるべし。人となれる者是を知らざらんや。是則人の道とする所なり。此外にもし道ありといはば、まことの道にはあらず。
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『五常訓』巻之二・仁之上いたりて不仁にして、又愚なりと云ふべし。人の子として、親に事へずして、親の用にたたず、かへりて親にそむき、不孝にして親を苦むるが如し。されば親によく事ふるを孝とし、親に背くを不孝とす。天地によく事ふるを仁とし、天地に背くを不仁とす。仁と孝とは一理なり。天地の恩と父母の恩とは同じ。父母に事ふる心を以て、天地に事ふるは仁なり。天地に事ふる心を以て、父母に事ふるは孝なり。又天理にそむきて人欲を行ふは、我が父母に不孝にして、他人の父母を親むが如し。かへすがへす、ただ人はあだなる世の迷を悟りて、大恩をうけて人と生れ、身をよせたる処の、いたりて貴き天地の道に朝暮したがひ、身を終るまで天道を畏れつつしみて、天に事へ奉るべき事にこそあれ。
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『五常訓』巻之二・仁之上仁の性にしたがへば、五倫を愛する道自ら行はる。中庸に、性にしたがふを道と云ふ、是なり。仁は性なり。五倫を愛するは道なり。天地より生れつきたる仁の性にしたがひて、五倫の道を行ふが、天地につかへ奉る孝にて、人の道なり。是即仁なり。人の道とする所、さらに此外に有るべからず。次に禽獣草木を愛するも、亦仁の内の事なり。天地は万物の父母なれば、人倫を愛し、次に万物を愛するも、亦天地につかふる道なり。
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『五常訓』巻之二・仁之上一天によく事ふる道を仁とし、よく事ふる人を仁人と云ふ。親によく事ふる道を孝とし、よく事ふる人を孝子と云ふ。仁人の天によく事ふるは仁なり。孝子の親によく事ふるは孝なり。礼記に、仁人の親に事ふるは、天に事ふるが如く、天に事ふるは、親に事ふるが如し。是故に、孝子は身を成すといへり。親に事ふるには、愛をおもくし、天に事ふるには、敬をおもくす。愛敬を尽して、天に事へ、親に事ふるは、其身の徳行の成就する道なれば、これを身を成すと云ふ。天は地を統ぶ。地は天の内にあり。故に天道をいへば、地道は其内にあり。天に事ふれば、地に事ふるも、其内にあり。
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『慎思録』巻之四君子の道、親を親しみ民を仁しみ物を愛する者は、義有り。蓋し親と民と物と、三者は皆天の生ずる所にして、愛育する所なり。是を以て吾が天に事ふるの道は、当に天の愛する所を厚くすべし。吾の之を親しみ之を仁しみ之を愛する者は、乃ち天心に順ひて之に事ふる所以なり。此れ一義と為す。且つ三者は本是れ天地の生ずる所にして、吾と一気同体なり。所謂民は吾が同胞、物は吾が与なり。是れ厚くせざるべからず。故に吾の之を親しみ之を仁しみ之を愛する者は、乃ち吾が気類を厚くする所以なり。此れ一義と為す。然れども二義有りと雖も、之を要するに皆是れ天に事ふるの道なり。人子の親に事ふるの道も、亦た此に猶し。蓋し人の子為る者は、父母の生む所を厚くし、父母の愛する所を愛す。是れ兄弟を宜しくすれば、則ち親に事ふるの道なり、一義と為す。又克く兄弟に友なるは、此れ同気を厚くするなり、是れ一義と為す。然れども其の友愛此の如くなれば、則ち是れ父母も亦た之を悦楽す。此れも亦た親に事ふるの道なり。故に二者は、之を要するに皆是れ親に事ふるの事なり。夫れ仁人の親に事ふるや、天に事ふるが如く、天に事ふること親に事ふるが如し。蓋し仁孝は一理なり。天に事ふると親に事ふると、其の事異なりと雖も、然れども其の心同じく、其の理一なり。
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