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言志四録 / 言志録 第百七条 悪を為すの由る所

欲知性之善。須先究爲惡之所由。人之爲惡。果何爲也。非爲耳目鼻口四肢乎。有耳目而後溺於聲色。有鼻口而後耽於臭味。有四肢而後縱於安逸。皆惡之所由起也。設令軀殼去耳目鼻口。打做一塊血肉。則此人果何所爲惡邪。又令性脫於軀殼。則此性果有爲惡之想否。盍試一思之。

新字:欲知性之善。須先究為悪之所由。人之為悪。果何為也。非為耳目鼻口四肢乎。有耳目而後溺於声色。有鼻口而後耽於臭味。有四肢而後縦於安逸。皆悪之所由起也。設令躯殼去耳目鼻口。打做一塊血肉。則此人果何所為悪邪。又令性脱於躯殼。則此性果有為悪之想否。盍試一思之。

書き下し

性の善を知らんと欲せば、須らく先づ悪を為すの由る所を究むべし。人の悪を為すは、果して何の為ぞや。耳目鼻口四肢の為に非ずや。耳目有りて而る後に声色に溺れ、鼻口有りて而る後に臭味に耽り、四肢有りて而る後に安逸に縦にす。皆悪の由りて起る所なり。設し軀殻をして耳目鼻口を去らしめ、打して一塊の血肉と做さば、則ち此の人果して何の悪を為す所あらんや。又性をして軀殻より脱せしめば、則ち此の性果して悪を為すの想ひ有りや否や。盍ぞ試みに之を一思せざる。

現代語訳

人の本性が善であることを知りたいなら、まず人が悪を行う原因がどこにあるかを究めなければならない。人が悪を行うのは、いったい何のためか。耳・目・鼻・口・手足のためではないか。耳や目があるから音楽や美色に溺れ、鼻や口があるから香りや味にふけり、手足があるから安楽をほしいままにする。これらはみな悪が起こる原因である。仮に身体から耳・目・鼻・口を取り去って、ただ一つの血肉の塊にしてしまったら、この人はいったいどんな悪を行えるだろうか。また本性を身体から抜け出させたとしたら、その本性にいったい悪を行おうという思いがあるだろうか。ためしにこのことを一度考えてみてはどうか。

解説

孟子以来の性善説を、悪の出どころを突き止めることで論証しようとした一条です。一斎は、悪は耳目鼻口や手足という身体の感覚と欲求から起こると考えます。声色に溺れ、美味にふけり、安逸をむさぼるのは、みな身体があってのこと。もし身体の器官を取り去れば悪を為しようがなく、また性を身体から切り離せば、性そのものには悪を為す思いなどない。だから性は善なのだ、という思考実験です。ここから数条、性と軀殻、欲をめぐる考察が続きます。自分の過ちを振り返るとき、それが心の本来から出たのか、疲れや欲といった身体の側から出たのかを分けて見ることは、自分を責めすぎず立て直す助けにもなります。

この章句が説くこと

性善躯殻悪欲心術

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