慎思録 / 巻之五
聖人謂。放鄭聲遠佞人。又謂。巧言亂德。甚矣淫聲巧言之迷人也。變亂是非。顚倒曲直。令陷溺而不覺。大率君子謹所好。鄭聲佞人。都是常情之所好。可畏之甚也。如邪說之姦巧誑誘。亦是此之儔也。使聞之者易迷難悟。可不畏乎。
新字:聖人謂。放鄭声遠佞人。又謂。巧言乱徳。甚矣淫声巧言之迷人也。変乱是非。顛倒曲直。令陥溺而不覚。大率君子謹所好。鄭声佞人。都是常情之所好。可畏之甚也。如邪説之姦巧誑誘。亦是此之儔也。使聞之者易迷難悟。可不畏乎。
書き下し
聖人謂ふ、鄭声を放ち佞人を遠ざけよ、と。又謂ふ、巧言は徳を乱る、と。甚だしいかな淫声巧言の人を迷はすや。是非を変乱し、曲直を顛倒し、陥溺して覚らざらしむ。大率君子は好む所を謹む。鄭声佞人は、都て是れ常情の好む所なり。畏るべきの甚だしきなり。邪説の姦巧誑誘の如きも、亦是れ此の儔なり。之を聞く者をして迷ひ易く悟り難からしむ。畏れざるべけんや。
現代語訳
聖人は「鄭の淫らな音楽を追い払い、口先のうまい人を遠ざけよ」と言い、また「巧みな言葉は徳を乱す」と言いました。淫らな音楽と巧みな言葉が人を迷わせるのは、なんとはなはだしいことでしょう。是非をかき乱し、曲直を逆さまにし、溺れさせて気づかせません。おおよそ君子は自分の好むものを謹みます。鄭の音楽や口先のうまい人は、どれも普通の人情が好むものです。だからこそ非常に恐ろしいのです。邪説の悪賢い巧みさで人を欺き誘うのも、これと同類です。聞く者を迷いやすく悟りにくくさせます。恐れずにいられましょうか。
解説
「鄭声を放ち佞人を遠ざく」は『論語』衛霊公篇で、顔回に国の治め方を答えた孔子の言葉、「巧言は徳を乱る」は同じく衛霊公篇の言葉です。鄭声は春秋時代の鄭の国の官能的な音楽で、雅楽を乱すものとされました。益軒は、これらが危険なのはまさに人が自然に好むものだからだと見抜きます。不快なものは避けられますが、心地よいものは知らぬ間に判断を狂わせます。耳あたりのよい提案やおだての言葉ほど、一度立ち止まって吟味する。君子は好む所を謹む、という一句はそのための戒めです。
この章句が説くこと
佞人巧言好悪謹慎邪説
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